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バルコの航海日誌 Ⅱ◆銀沙の薔薇《4》

Ⅱ◆銀沙ぎんさの薔薇

《4.異族》


ギンがいない」
背後からあどけない声がした。

族長のアムディンが振り向くと、幼い子どもがこちらを見上げていた。アムディンのまとう毛皮の裾を握りしめて訴えかける。
「アムディン、銀、いない」
成人したばかりのアムディンは、鍛えられた身体に、一族の長にのみ許された白狼の毛皮をまとっている。まだ年若いがすでに一族の信は篤く、年長者から子どもたちまで慕われている。

「……リケ」
リケと呼ばれた幼児の瞳はいっぱいに不安を湛えている。
アムディンはしゃがみこんで幼児の視線に眼を合わせた。陽に灼けた肌に黒髪をもつアムディンの表情は精悍な印象だが、その瞳は柔らかい。
「どうした、リケ」
「銀がいないから、寝るの、こわい」

一族が「銀」と呼ぶひとりの少女が山犬の群れに攫われてからはや数日が立つ。数人ずつが連れ立って、昼夜を問わず必死に探索を続けているものの未だ手掛かりはない。

銀は一族の守りだ。夜を徹して一族を守る「夜張よはり」である。褐色の肌と黒髪ばかりの一族にひとり、突然変異のようにして生まれる夜張りは、白い肌と、生まれながらにして月光のように輝く銀の髪を持つ。夜行性の夜張りは、日中は男たちが担ぐ輿で眠り、陽が落ちると同時に目覚めては夜は冷たい岩山に一人座して一族の夜を守る。蒼い月の光を浴びて、銀は星々の運行を感受し、夜をゆく獣たちのあしおとに耳を傾ける。

夜を司る者として、銀は常に静謐な空気をまとっている。何か派手がましい行動をとるわけではなかったが、そこに「在る」ことで一族に安定をもたらしていた。

その銀が、いなくなってしまった。

その不在によって、一族の中に不安が広がらないよう、大人たちは意識して銀の不在に触れないよう努めていたが、子どもたちの柔らかい心は嘘がつけない。
リケの顔は涙と土埃に汚れている。アムディンは小さな頬を両手で柔らかく包み込んだ。
「大丈夫だ、リケ。銀はもうすぐに帰ってくるよ」
「ほんとう?」
「ほんとうだ。銀は一族の守りなんだから、絶対に帰ってくる。ほら、おまえもここにまじないを入れてもらっただろう」
アムディンはリケの眉間にそっと指を触れた。その小麦色の肌にはかすかな線が隆起している。
リケも小さな両手を重ねた。
「銀は俺たちを見捨てないし、俺たちも絶対銀を取り返す」

***

リケの眉間の線は、かつて銀が施したまじないの痕跡だ。赤子が生まれると、銀によって護符がしるされるのが一族の決まりとなっている。

まだ赤ん坊だったリケが銀のもとへ連れてこられたときのことをアムディンは覚えている。その頃のアムディンはまだ少年だった。母親に言いつけられ、銀の世話をする女たちに届け物をした折りのことだ。

抜けるような青空の日だった。頼まれものを女たちに渡しアムディンが帰ろうとしたちょうどその時、陽炎にゆらめく道の先から若い女がやってきた。白い布にくるんだ赤子を大事そうに抱いている。母子を見つけるが早いか、女たちは小走りに駆け寄って、母親を銀のもとに案内した。

「かわいい子だねえ」
「もう巻き毛が生えてきているよ」
女たちのざわめきの中でも、母親の胸に抱かれた赤子はよく眠っていた。
銀を世話する女たちのひとりが輿の中の銀に声を掛けた。

夜行性の銀は、日中は眠っているのが常だが、赤子が生まれた時だけは特別だ。ややあって輿の天幕が割れ、銀が姿を現した。青空の下、銀髪がまばゆく輝いている。
「頼むよ、銀」
母親の頼みに応え、銀は穏やかな眼差しを赤子へ向けた。視線は赤子の全身をゆったりとなぞり、一点で止まる。

銀の護符がどこへ施されるか、母親たちは固唾をのんで見守る。護符は、子の持つ能力に応じて最適な場所が選ばれるからだ。俊足の者には踵に。耳のよい者には耳たぶに。
銀は赤子に目を凝らし、ひとさし指を伸ばすと、産毛の寄り集まったような淡い眉の間にすっと爪を滑らせた。肌に薄く線が残り、わずかに血が滲みだす。眼を覚ました赤子は火の付いたように泣きだした。

「おしるしは眉間だね。千里眼だ。大きくなったらいい狩人になるだろう」
「元気な泣き声だ。よかった、よかった。いまから頼もしいよ」
これでよい。わずかに残った爪の跡は聖痕となって、その子の一生を守り続ける。

まだほんの少年だったアムディンが赤子を覗き込むと、出血は止まり、傷はすでにふさがりかけている。銀の爪は子どもを傷めない。そっと差し出したアムディンの指をつかみ、赤子は機嫌のよい笑い声を立てた。 

しかしアムディンには気に掛かることがあった。アムディンは女たちのひとりに問うた。
「ねえ、銀はこんなにみんなに好かれているのに嬉しくないの。だって赤ちゃんがきても笑わないなんてさびしいよ」

女たちはアムディンの幼い問いにかぶりを振り、穏やかな笑顔を返した。
夜張りがその一生の中で表情をあらわすことはほとんどない。一族を守るため星の巡りの受容体としての存在に徹する夜張りは、水盤に落ちる一滴の波紋を受け取るようにして、星の囁きを聞く。個人の感情は、いつも平静であるべき水面にさざめきを起こしてしまうのだ。

誰に教わったことでもないが、長ずるにつれ夜張りは個人の感情から遠く隔たってゆく。守り人のさだめから生まれ持った大きな愛で一族を包んでいるが、喜びや哀しみといった感情を見せることはなかった。

「よくお聞き、アムディン。銀はね、もちろんみんなのことが好きだよ。だけど銀は、私たちを守るために、遠いところに心をしまっているんだよ。おまえにはまだ分からないかもしれないねえ」
「ふうん、そうなんだ」
アムディンはもの足りない顔をした。
「でもぼくは銀にわらってほしいな。銀だってそのほうがうれしいでしょう。だって、ぼくも銀がすきなんだ」

(続く)


【バルコの航海日誌】

■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b

■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855

■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea 
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a 
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28 ☆この話
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae 
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987 
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7 
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34 
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb 
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2 
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56 

■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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