見出し画像

バルコの航海日誌 Ⅱ◆銀沙の薔薇《6》

Ⅱ◆銀沙ぎんさの薔薇

《6.海へ》


灼熱に包まれた砂漠は陽炎のなかにある。山犬の黒い影も熱波に揺らいでいる。バルコも気が遠くなりそうになったが、年長の二人には負けじと、大きく息を吸い込むと腹の底から大声を出した。

砂丘の上から突如襲い掛かってきた人間たちの奇声と、黒煙を上げながら燃え盛る松明に、泉に群がっていた山犬たちはひるんだ。
群れの一頭が悲鳴を上げると同時に、山犬は散り散りになって逃げ去った。

足がめり込む砂丘での全力疾走はさすがにこたえる。肩で息をしながら、一同は灼けた砂の上に腰を下ろした。

「上手くいったな。二人ともよくやった」
マッテオのねぎらいに、息を継ぎながらダッカが口を開いた。
「おうよ、あいつら、口ほどにもなかったな。俺様の腕っぷしを見せるまでもなかったわ」
「よく言うぜ、ダッカ。声が裏返っていただろう」
「うるせえ、バルコ」
「ふたりともそのあたりでやめておけ。さあ、女の子を助けに行くぞ」
そうは言うものの、まだマッテオとバルコの息は荒い。
「俺、行ってくるよ」
バルコが砂を払って立った。
「そうか、頼む。砂漠の泉は、水底がいきなり沈み込むことがあるから気をつけろよ」
「わかった」

泉は水晶のように澄んでいる。みぎわでは、水は砂地の色を明るく透かせているが、深みでは天の色を吸い込んだかのように青みを湛えている。
バルコは靴を脱ぎ、泉に足を踏み込んだ。冷たい。足先から全身の火照りが抜け、涼しさが身体を包んでいく。水圧を心地よく味わいながら歩を進めてゆくと、水底の砂を揺らしてこんこんと水が湧いているのがみえる。両手で水をすくってバルコは喉を潤した。砂埃で荒れた喉に冷たい水が染みとおっていく。

思いのほか水位は深く、あっという間に胸のあたりまで来た。あの子、どうやって中州までたどり着いたのだろう。バルコは不思議に思った。

泉の中央には、平らな岩がテーブルのように突き出ていている。少女は岩に上半身だけ乗り上げるようにしてぐったりともたれていた。
まつげを伏せた横顔は繊細な顔立ちだ。銀色の髪が水面にまで零れている。髪も、まとっている薄い衣もぐっしょりと濡れている。胸はわずかに上下しているので息はあるようだ。

少女の傍らに回り込み、岩にしがみついている細い指を一本ずつはがすようにして手を取ると、瞼を閉じたままの少女の顔がゆがんだ。
見ると、掌に怪我をしている。清水に洗い流され、色の薄い血が裂けた傷口ににじんでいる。おそらく岩に這い上がる時に出来た傷だろう。
痛々しい様子にバルコは思わず顔をしかめたが、ふたたび気を引き締めると、両手を少女の身体の下に差し込んだ。泉の浮力に頼るまでもなく、少女は軽い。一掬いっきくの水を掌に汲むように、はかなげな身体を腕にすくい取った。

「痛むだろうけど、ごめんよ」
意識の戻らないままの少女にバルコは声を掛けると、自らの肩に少女の腕を掛け、背負って岩を離れた。背中に重みはほとんど感じず、ひんやりとした水の感触があるだけだ。

「こりゃあ、不思議なものを着ているな」
岸に横たえられた少女がまとっているのは、不思議な素材の布だった。麻のようにも、紙のようにも見える。なめらかな部分とざらついた部分が混在する。角度によっては、身体の線に沿って淡い虹が浮かぶ。

ダッカが声を上げた。
「鱗だ」
注意深く見てみると、確かに細かい鱗が生えそろっている。そっと触れてみると、こまかいざらつきが指に逆らう。どうやら水棲の蛇の革をなめしたもののようだ。

「とりあえずは傷の手当てだな」
ダッカがシャツを裂いて、少女の掌をぐるぐる巻きにする。
「この様子では船に連れて帰るしかないが……果たして乗船が許されるかどうか」
眼を閉じたままの少女を見下ろして呟いたマッテオに、
「とりあえず頼んでみようよ。話はそれからだ」
バルコはそう応え、再び少女を負ぶった。

***

「じいさん!」
少女を伴って港に戻ったバルコたちは、船の甲板を仰ぎ見て大声で呼ばわった。
ややあって老いた船乗りが姿を表した。甲板から身を乗り出して答える。
「騒がしいと思ったらおまえたちか」

船乗りたちから親しみを込めてじいさんと呼ばれる老船乗りは、めったに甲板に現れない。このところめっきり身体が弱り、力仕事からは隠居しているためだ。いまではちょっとした船具作りや傷んだ部品の修理を専らとしているが、さすが年期のはいった腕前で、じいさんのなうロープは絶対にちぎれないと評判だ。
もっともじいさんが船倉にこもりきりなのは、縄のためだけではなく、隠し持っているとっておきの酒をちびちびやるためだというのも知らぬ者のない話だが。

船規には厳しい船長も、自らがおやじと呼ぶこの老爺には少し手柔らかになる。なにせ、まだほんの子どもだった船長に、最初にロープの結び方を教えたのがこのじいさんだ。

「じいさん、この子、船に乗せてやってもいいかい。ケガしてるんだよ」
船はよそ者をきらう。招かれざる客は、ネズミや流行り病、時にはそれよりもっとおそろしい「不運」を持ちこむことがあるからだ。
この船に乗ってよいのは、じいさんの審査を通った者だけだ。じいさんは甲板から一同を見下ろすと薄く目を細めた。しばらく目を凝らしていたが、ふっとその目が和らいだ。

「お姫様じゃな。こんなかわいらしいお姫様がおったら、荒くれ者ばかりのこの船もちっとは行儀良くなるだろう」
バルコたちはわっと歓声を上げた。  

(続く)


【バルコの航海日誌】

■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b

■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855

■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea 
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a 
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28 
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae 
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987 ☆この話
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7 
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34 
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb 
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2 
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56 

■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?