ツジカワ文子

ひとである限り挑戦と訓練はつづく。ならば私らしく生きようじゃないか。遊びながら。野望は…

ツジカワ文子

ひとである限り挑戦と訓練はつづく。ならば私らしく生きようじゃないか。遊びながら。野望はひとりひとり自分らしい光に満ちた祝福の未来。

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地球人の言葉で伝えて

ちょうどコロナ禍の緊急事態宣言で、今の仕事が休業に入る直前にあった、ある出来事を思い出している。その出来事と、いまの私の状態のあいだには、はた目におなじことはひとつもなくて、ただ、重なり合うたいせつな点の存在はある気がしたので、書いてみようと思う。 ある日、まだ入って日も浅い新人のひとの様子を観ていたら、なんとなく気になった。 これはちょっときついのかもしれないと感じて、なまえを呼んで、足を止めてもらった。 正面で、指先で両肩に触れながら、相手の目をみつめて 「だいじ

    • 好きなひとへの愛情の伝え方

      恋愛をしているとき、人はどんな風に相手に好きな気持ちを伝えるのかな。 大好きだからこそ、好きを素直に表現できなかったり、周りに人がいたらそれを隠してしまったりすることが、少なくとも私にはある。いま、心から好きなひとがいるからこそ、それを痛感している。 ここで、ちょっぴり恥ずかしいけれど、打ち明けようと思う。数えきれないくらいの夜を、ひとりで過ごしてきた。ひとりベランダに出て、夜空にはためく星や、しんと見守ってくれている月をみつめていると、ふと、いつか必ず出会う私にとっての

      • 恋愛のこと

        恋愛。私に限らず、世界中のあらゆる世代、あらゆる人が、恋愛における楽しみも痛みも経験してこそのいまであるように思う。時を経ていま、私は、恋愛のもたらすパワーが私たちの内側に秘められた何層も奥のエネルギーを呼び覚ますひとつの大きな要因になっているような気がしてる。恋愛には、たとえ誰か特定の人と付き合った経験がなくてもいろいろのかたちがあるという前提で、今回は言葉を探ってみたいと思う。さて、とりわけ恋愛から自らの血肉となる痛みについては、自分も相手も未熟であればいろいろなことがあ

        • ポッキリ折れた心に添え木

          2020年の2月だった。新型コロナの雲行きが思わぬ方へと渦を巻き始めたのは。 あれから一年、本当にあっという間だった。 それぞれのひとの、それぞれのくらし。 どんなふうに変わっただろう。 思えばこの一年、いろんな挑戦をしてきたなあ。 今までなら、一度結果がダメだと、それで全ての道が閉ざされたように感じてしまうところがあって、その都度心がポッキリ折れてしまっていたような気がする。 そして、ポッキリ枝に添え木ができたら、その場からいったん立ち去って、べつのアプローチで

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        地球人の言葉で伝えて

          待つのをやめてない

          待つのをやめてない。 ある日、待つのをやめて流れに委ねると、 敢えて口にした。 あのとき、言葉という形にすることで、 私の自由も、相手の自由も、守りたかった。 これからすこしずつ、時間をかけて、 私のことを知ってほしい。 これからすこしずつ、時間をかけて、 相手のことを、知っていきたい。 これからもずっと心でつながっていたい。 そして、そのときが来たら、そばにいて支えたい。 大切にしたい。 しずかな道を、たわいもない会話と となりで鳴る歩調に、耳をす

          待つのをやめてない

          ぼんやりでもいい、ちゃんとある#01

          目に見えないもの。 というと、これからの季節ならオバケとか、幽霊とかになるだろうか。 ならば、私は、そうしたオバケを見たことはないし、幽霊の姿に出会ったこともないから、霊能力者とよばれる人とは違う役割を与えられたのかなと、なんとなく思う。 そんなわけで、そうした意味での霊感はない私にとって、目に見えないものとは何ぞや?というと、霊的感覚とか、神秘とかいえば伝わりやすいのかなあ。 どうなのだろう。こうした話をすると、変なふわふわしたこと言ってるなあとか、変なヤツって思わ

          ぼんやりでもいい、ちゃんとある#01

          たくあんと肩書き。

          肩書きってなんだろう。 あっても、なくてもよいもので、だからずっとずっとわからずにいる。 この世界では何者かにならなきゃいけないのかもと、じぶんを奮い立たせて名前を付けてみたことももちろんある。 だけど、どうやら私の心は向いていなかったみたい。 それでもあきらめの悪いわたしは、じゃあしっくりくるものが無ければ、ヒントの糸を撚り合せてつくればいい、最近 connect'e'r という名前をごく個人的に持ってみた。 何かや誰かを否定する気持ちは一切なくて、肩書きを名乗る

          たくあんと肩書き。

          タイムライン

          タイムラインから、わたしの顔の、鼻のあたまへと働きかけてくる命のこえ。 世界中で起きている、胸を傷めてしまうようなひとつの事柄は、ひとりのたいせつな命は、わたしたちの未来、未来のいのちのために何をしらせてくれているのだろう。 私が、どんなに誰かを傷つけないでいたいと願い、祈るようなきもちでじぶんに言い聞かせて生きてみても、それは圧倒的にいつだってコントロールの外にあって、唯一コントロールできることがたったひとつあるとすれば、それは私の奥にかすかに漂う意識くらいしかないこと

          タイムライン

          家族への感謝

          いま、わたしの内側で泉のように湧いてくる家族への感謝のこころに、いまのこのコロナ禍の時世に改めて家族という存在と向かい合っているひとの流れを感じて、私もその一片なのだなあと想わずにはいられない今日この頃。 いままでに何度となく振り返って、もうよい加減にじぶんでも腹に落ちていると思っていたのだけれど、どうやらまだ勘違いしていたみたい。 今回ようやく深く「わかる」というときを迎えたみたいなので、記していようと思う。 物理的に離れていても、連絡しても、していなくても、いつもう

          家族への感謝

          おわるからきっとはじまる

          みなさま、初夏の陽気にお部屋のなかはちょっぴりむせかえるような暑さも感じられるような気がしていますが、いかがお過ごしでしょうか。 わたしはいま、檸檬をスライスにしたソーダ水をクウと喉をあげて飲みほしてみたところです。 ところで、インスタグラムには字数制限があることを、みなさんはご存じでしょうか。なんと、キャプション部分に書くことがゆるされているのは、2200字なのだそうです。 いやはや、うっかりしておりました。(トホホ) 今日は、これまでたくさんのひとりひとりの存在に

          おわるからきっとはじまる

          紫陽花

          私は2009年からの5年間を東京で暮らしていた。元々はもう少し早く上京するつもりだったのだけれど。 京王線沿線の町に暮らしていた頃。いつも明大前乗り換えのぎゅうぎゅうの箱の中で、ラッキーなときには窓から外の景色が見えた。ドア付近で立ち止まらないで下さいのアナウンスに肩をすくめて、いつでもお目にかかれるわけではなかったのだけれど、停車の瞬間が近付くにつれてみるみるうちに窓の画面を埋め尽くすのあのこがいた。紫陽花が一斉に笑う。笑ってくれている。ひしめきあう肉体の塊に向かって別け

          もしかして思いこみ

          今日、お昼にテイクアウトの美味しいシュリンプマスタードのカレーを食べて、大好きなコーヒーを淹れていたら、ぼんやり浮かんだ。 家族に対して勝手に自分で責任を背負こみすぎている可能性。 ハッとした。 心配かけないようにとか、連絡しないと寂しい思いをさせるんじゃないかとか、外出自粛が続くなか、私がいなくて社会的つながりは大丈夫かとか、これもあれも助けないと、とか。これってもしかして、俗に言う思いこみ?頼まれたわけでもないのに気にかけすぎた結果、気が付けば身体中のいたる所に糸た

          もしかして思いこみ

          泣くこと

          泣くこと。 いま世界中の人たちと共に直面している日常を前に、泣くことは、誰もがお金をかけずにできることで、それでいてかなり重要な行為だと思っている。 日本で最初の緊急事態宣言が発令されるよりも少し前から、東日本大震災の経験に、あの日、いのちに、私は何を学ばせて頂いたのだろうと考えることがある。 尊く大切ないのちに想いを巡らせ、あの日、東京で暮らし、身をもって学ばせて頂いたことのひとつは、押し寄せる膨大な情報量と、目の当たりにする数々の困難な現実を前に、私のこころとからだ

          いのちと経済って

          そもそも経済ってなんですかね? 「いのちは経済がだめになったらだめになる」って言葉。 最近よく目や耳に入るし、当たり前に受け入れているときもあった。けれど、ちょっと待った。 本当に? たった200年くらいで定着した思想に、人間の営みのすべてを語らせてはいけない気がする。 たしかに命と経済は繋がってるよ、めゃくちゃ密接に。 でも、いま新型コロナウィルスで世界全体が経験したこともない恐怖にさらされている中で、ほんとうに目を向けなければいけないことがあるんじゃないだろう

          いのちと経済って