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ポッキリ折れた心に添え木

2020年の2月だった。新型コロナの雲行きが思わぬ方へと渦を巻き始めたのは。

あれから一年、本当にあっという間だった。

それぞれのひとの、それぞれのくらし。

どんなふうに変わっただろう。

思えばこの一年、いろんな挑戦をしてきたなあ。

今までなら、一度結果がダメだと、それで全ての道が閉ざされたように感じてしまうところがあって、その都度心がポッキリ折れてしまっていたような気がする。

そして、ポッキリ枝に添え木ができたら、その場からいったん立ち去って、べつのアプローチで関わる道すじや、方法を考えようと、次のあたらしい場所をめざす。

それは、たくさんのひとへの感謝や御恩と、いとしみの感覚を残したままつづいていて、私にとってのゆたかな土壌というか、とても大切なものであるというのは、ゆるぎない事実だと思っている。

そんな最中、この一年、こういう時代になって、人との距離や、時間ができた。

いつもよりじっくり、自分だけの境界のなかでわたしを振り返っているうちに、わたしの道は、逃げてきた軌跡でもあるのかもしれないと思うこともある。

逃げてきた先には、いろいろの魅力をもった巣、家があって、ひとがいる。

そうして想うのは、周りから見ればフラフラしているように見えるかもしれないけど、自分の中ではひとつのことにちゃんと向かっているという確信。

いのちのことをちゃんと見つめている。

逃げることは、一度終わらせること。

終わらせるってじつはすごく勇気と、エネルギーのいることなんじゃないのかなって思う。これは、自らの経験上という、至極せまくて小さな世界で口にすることで、ほかのひとに当てはまるかどうかはわからないけれど。

終わらせるって結構つらい。めんどうくさい。わたしはのび太並みのめんどうくさがりだと自負している。のび太が大好きだ。そうだとして、いまの自分ではそこに敵うものがないと知ったら、もっと大きくなって、帰ってこなきゃって思っちゃう。だから旅に出るよ、みたいな。寅さんか。いつか必ず恩返ししたいとか、そこで面白いことをやって盛り上げたいとか、そういう思いはずっと胸にある。逃げてきたじぶんを受け容れてくれた場所と、ひとの顔はいつだって思い浮かべている。大好きだから。

関わることをあきらめていない一方で、もっと深く自身のなかで掘り下げたり、磨いていくことからは文字通り逃げてきた。

たくさんあきらめて、だから中途半端と言われればそうだよねと思う。

長い旅路だったけど、本当にいろいろな生活の場を目の当たりにしてきたなあと思う。それでもまだ知らない世界が山ほど在るだろうこともわかっている。ここにきて変わったのは、やっと碇を下ろして、深めて磨いていく時機が来たように思うこと。

失敗のデータをたくさん集めてきた。

中途半端という言葉に、一つのことを極めてこなかったコンプレックスもある。

一方で、中途半端だったから得ることのできた視点や視座は、きっとここからの自分をつくっていくにあたって必然なんじゃないかな、とも思う。

もう一歩踏みこんで打ち明ければ、いまから道を極めてみてもいいんじゃない?と、思いはじめているのと、それは、小さな日々の行動にすこしずつではあるけれど、反映しはじめている。

「一度挑戦してダメ=試合終了」とは違う、何かが生まれはじめているんだなあと、体感をもって感じている。

この間は、写真コンペに出してみて、ダメだった。

何がダメだったのかなー、じゃあ次はこうしてみるといいのかなーと、じぶんなりに還元して写真を撮ってみたり。指摘されたことに対して、自分の感性はダメだと捉えるのではなくて、ふむ、それがいいと思われる場面もあるのか、ならば一度やってみようと思える。

一度ダメだったら世界は終了のような想像に不安を募らせるあまり、挑戦することから逃げてしまっていた時期もあったなあと、切ないような、微笑ましいような気分で自らを振り返る、失敗から学びつつある。

さてはて、20年後の自分から見れば、いまのわたしに私はこう言うだろう「あなたいま一番若い時よ!どんどんやりなさい!どんどんすっ転びなさい!いまのあたくし(?)の足腰なんかに比べたら、どれほどまだまだ飛び回れる日々に感謝なさい!」そう叱咤激励するだろう。

弱い心でゆわえた添え木は、時を経て、家族や友人、仲間、出会えたいろいろのひとに支えてもらったお蔭と、揺れながら自らも支えてきたお蔭で、今では添え木ごと太くてしっかり葉をつける枝に変わりはじめている、ような気がする。

写真家として、ライターとして、美術に関わっていたいものとして。日常とあらゆる文化、営みのゆたかさをつないでいたいものとして。ここからは深く掘って、磨いていくことに専念していきたい。

そうした意味で、自分自身の頑ななとらわれから自由になるために与えられたいまという時間は、尊い。

同じような気持ちで、いまと向かい合っている人がもしいるとしたら、逃げることで出会った世界、自らの中途半端さから生みだせる世界があることを、ともに証明していきましょう、と最近すっかりご無沙汰している握手を贈るような気持ちで、この文章を書いています。

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