いのちと経済って

そもそも経済ってなんですかね?

「いのちは経済がだめになったらだめになる」って言葉。

最近よく目や耳に入るし、当たり前に受け入れているときもあった。けれど、ちょっと待った。

本当に?

たった200年くらいで定着した思想に、人間の営みのすべてを語らせてはいけない気がする。


たしかに命と経済は繋がってるよ、めゃくちゃ密接に。

でも、いま新型コロナウィルスで世界全体が経験したこともない恐怖にさらされている中で、ほんとうに目を向けなければいけないことがあるんじゃないだろうか?

私のなかのわたしは1月の終わりに新型のウィルスが発見されて以来、一瞬にして変わってしまった日常を前に、ずっと止まない鐘をカンカン鳴らしてる。

何か思い込みの可能性があるんじゃないだろうか。

悔しさやもどかしさとともに与えられた今の立ち止まる時間を、決して望んではいなくとも、考えてみるのはいまとても重要で、部屋にいて、身体や心を癒しながら、誰の型にはめられることもないじぶんだけの考えに気づいてあげること。

私はいま、部屋にいて、ラジオを聴いている。聴いているというよりただ流している。

ツイッターで情報を集めたり発信したりして、掃除機をかけ、洗濯物を干し、チョコレートを食べて、一杯のコーヒーを飲む。

その当たり前のしずかな時間の中で浮かんだのは、「いのちための経済」は言葉として成り立つけれど「経済のためのいのち」は言葉として成り立たない。

成り立たせるわけにはいかない。

じゃあこの状況で生活の危機に立たされている人はどうなるんだ!

というのはもっともな意見なんだけど、私自身取り立てて裕福なくらしをしているわけでもなければ、貯蓄があるわけでもなく、組織に属している一雇われの身でこの状況にいつどうなるかなんてわからない。

わかっているのは、いまのこの経済のなかではただただ弱者でしかないこと。

自身フリーランスの入口で挫折した経験があるから、周りの自営業でがんばっている人たちのことを想うと苦しい気持ちだよ。

そうは言っても、組織にいるから安全なわけではない。そんな神話一夜にして通用しなくなった。お店を持っている方の家賃や借り入れのことなどを勘定に入れても、誤解を恐れずに言えば、みんな同じところに立っているも同然だと思ってる。

「自分は組織にいるから大丈夫」だと思っている人にとってはこの言葉は受け入れがたいものかもしれない。かくいう私もその神話をどこかで捨てきれなかった。だからフリーランスに焦がれながらいまこうして属している立場なのだけれど。

でもね、ここで大事なのは組織が、フリーランスが良いとか悪いとかそういう話では一切ない。それはまた別の話で。

一番大切なことは、組織にいようがフリーランスや自営業であろうが、こうした状況になったとき、脆くも崩れ去るような経済であっていいの?ってこと。

いまあらためて自分に問うよ。


言葉で表せるかどうかはひとつの道しるべで、言葉はいつも私たちに教えてくれると感じている。

いのちのための経済であって、経済のためのいのちではない。

少なくとも私はいまをそう受け止めているよ。

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