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ぼんやりでもいい、ちゃんとある#01

目に見えないもの。

というと、これからの季節ならオバケとか、幽霊とかになるだろうか。

ならば、私は、そうしたオバケを見たことはないし、幽霊の姿に出会ったこともないから、霊能力者とよばれる人とは違う役割を与えられたのかなと、なんとなく思う。

そんなわけで、そうした意味での霊感はない私にとって、目に見えないものとは何ぞや?というと、霊的感覚とか、神秘とかいえば伝わりやすいのかなあ。

どうなのだろう。こうした話をすると、変なふわふわしたこと言ってるなあとか、変なヤツって思われたらどうしようとか、考えるとずっとこわかったかな。

それが、ある魂とのつながりをきっかけに、すごいスピードで変わりはじめたのですね。どう思われても大丈夫、私はわたし、と。

頭ではわかっていた「つもり」でいたことが、ちょっとずつ、肚の感覚として落ちてきたような気になれたから、いまここに書いています。

エネルギーや、精霊、この世に肉体として形のないたましい、いのちのこえ、空気のなかにある存在を、日常的に感じること。つながること。

それは、私にとってはごくふつう、ザ・フツウ。

最近覚えたてのラテン語でいえばcommunis「ごくあたりまえの」である。

会話をすることもある。言葉のかたちで、空の高い所からのときもあるし、どこかわからないところから、ふっと降りてきたり、内側から浮かんできたりすることもあれば、身体の奥に感覚としてぎゅうっと浸透してくるものだったり、イロイロ。

感じる対象は、言葉をしゃべらないもの、生き物だとされる動物や植物以外にも、たとえばゴミとか、アンテナとか金属とかタイヤとかの無機物も入るし、もちろん人も、ほんとうに色々。

あ、ただ先にひとことお伝えしておくと、小さな頃に歌っていた魔法のメガネの歌みたいなことはないのですね。

なんだっけ、あの歌の名前。

お母さんといっしょで聴いていた気がする。

たとえばそのメガネを掛けて、誰かのことを見ると、その人がいま頭の中にそこはかとなく思い浮かべた「あー。アイス食べたい。冷凍庫いっぱいのアイスをお腹をこわしちゃうくらいたらふく食べながら、冷房をガンガン効かせたお部屋で、ふかふかお布団にくるまれて朝から晩を越えて次の日までも、ただ何もせずひたすらダラダラ眠りたいなあ」みたいな、じぶんなりの究極のダメへの欲望を、一瞬で見透かしてしまうような透明のメガネ。

そういう能力のある人もいるだろうと思う。そしてそれがいいとかわるいとかはなく、そうした人がいても自然だと思っていて、それとはべつのところで、私はそのメガネをもし目の前に差し出されたら、あんまり掛けたくないかなあとは思う。責任を背負こみそう。そしてつぶれちゃいそう。そうした力は、きっとはるかなるときを超えて、経験を積んだ、くりかえした、ちゃんとコントロールできそうな人にあてがわれるのではないだろうかと思う。誰が選ばれるとか優劣でなく、単にその人その人に与えられた役割がある、ただそれだけの素敵なことなんじゃないだろうかというのは、私なりの想像だけれど。


なんて歌だったかなあ。たぶん調べたらすぐ出てくるのだろうね。ドラえもんの道具にもあった気がするよね。

と、話がそれました。

そんなこんなで、あるところまでじぶんのこの感じが、みんなも当たり前だと思っていたから、取り立ててだれに話すこともなかったかなと思う。

ただ、話したときに、ことばがうまく通じないというか、話があまりはずまないこともあって、だからどうせならみんなと楽しく通じる、弾むことの方がいいよね!と、ごく自然な流れでその方向へじぶんが流れていくようになった幼少と思春期という、いまになって振り返れば、たぶんそんな感じです。

それは、私にとってはべつに悲劇でもなんでもなくて、すこやかに楽しんでいたし、いま思い出しても輝きに満ちていて、かつ、古より遺伝子レベルで潜在する生存本能として、こうした行動の選択は、当時1980~90年代の集団生活では私だけでなく、誰もがやっている当たり前のことなんじゃないかと思っている。いや、もしかすると稲作が伝来して、定住生活が当たり前になり始めたあたりからは、すでにそうだったのかもしれない、と、根拠はないですよ、これは私の経験から得たものとか、自分なりに調べたり勉強したりしてきたこととか、想像とか、色々なものをまぜこぜにして推察していますのでね。


だから、当時の意識下ではとくに疑問もなく、学校では、小中とただひたすら一日一日を精一杯、日々起こる色々なことに歓んだり、傷ついたり、乗り越えたり、泣いたり、怒ったり、笑ったりしながら高校になって、部活して、好きな人ができて、仲間とのきずなを深めて、青春の高校時代をいきて、高校3年生のあたりの時点では、このまま当たり前に大学いって、就職して、働いて、誰かに出会って、結婚して、ただ、バリバリ仕事をする女性になるだろうというのはなんとなくあって、だから晩婚で、27とか28歳あたりで結婚するのかなあ、そして子が産まれて、当たり前に家庭を築くのだろうなあ……と、思っていたときがあった。これはもう理想的だなあと。

しかしですね。

そうはなっていないのですね。

なぜなら、当時の私には、理想というものが何なのかも、じぶんがどんな人間なのかも、わかっていなかったというか、忘れていたというか、そうなんですね。

ここから大学へ通わせてもらって、その後。私はある夢を明確に意識するようになりました。

夢であり、使命感みたいなもの。

そうして、色々あって、イロイロのお仕事を経験させてもらうわけですが、少しずつ、書きたいと思うときに書いて、残してみようかなと思う次第です。

次回へつづく




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