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恋愛のこと

恋愛。私に限らず、世界中のあらゆる世代、あらゆる人が、恋愛における楽しみも痛みも経験してこそのいまであるように思う。時を経ていま、私は、恋愛のもたらすパワーが私たちの内側に秘められた何層も奥のエネルギーを呼び覚ますひとつの大きな要因になっているような気がしてる。恋愛には、たとえ誰か特定の人と付き合った経験がなくてもいろいろのかたちがあるという前提で、今回は言葉を探ってみたいと思う。さて、とりわけ恋愛から自らの血肉となる痛みについては、自分も相手も未熟であればいろいろなことがあると思う。私個人で言えば、自ら勲章のように増やしてきたその胸の痛みをマトリョーシカみたいにせっせと何層にも仕舞い込んで隠して、それがひとりの時間を長くするひとつの要因となったのはおよそ間違いないと思う。私の過去の恋愛の痛みについてはいまここで語ってもさして盛り上がるものでもないと思うので、差し控えさせていただこうと思う。

では、何を書くのか。それはいまのこと。いま、わたしには好きな人がいる。その人と出会ったとき、わたしは生まれて初めて人を魂から好きになった。私にとって唯一無二のそのひとは、家族とも、友だちとも、仲間ともちがう、このはるかなる広い宇宙で、たったひとりのかけがえのないひと。

こんな風にひとを好きになれるなんて思ってもみなかった、というとちょっぴり語弊があるかもしれない。この人を好きになるために今までがあってくれたんだというのが水のように腑に落ちる。

こんなにもひとを好きになれた。ほんとうに感謝してる。こんなにたいせつにしたいと想えるひとに出会えた奇跡、この気持ちに私は誠実でありたい。この想いを、ほかでもない私が一番の味方でいて信じてあげたいし、全力でこの恋愛を応援してあげたい。みんなのことが好き、ではなくて、私はこのひとだけを好きになった。ずっとずっと味方でい続けたいし、味方であれるような私でありたい。その人の大切なひとも、ものも、ひとりひとり、ひとつひとつを大切にしたい。家族以外で、初めてそう想わせてくれたひと。

そうしたら、自分の内側が変わり始めた。自分の足できちんと立つひとになりたいとつよく思った。たったひとりを好きだと言うことが薄情と言われようとも、すなおな気持ちにもう嘘はつきたくないし、たったひとりを好きだと言えるから、それが巡り巡って、周りにいてくれる大切なひとたち、そして、だれよりも自分という存在を大切にしたかったわたしの気持ちに気付くことができた。ある意味ひとつの循環が生まれた。一見、自立とは矛盾しているように見えて、自立するからそういった変化が立ち現れてくるんじゃないかと感じてる。

それぞれに、いろいろの考え方があると思う。正しい正しくないはなくて、その人の思うことがすべてなんだと自分としては思う。どうであってもよいのだと。と、偉そうなことを言いながら、私は、恋愛に限らず今まで沢山じぶんを隠してきたし、隠れてきた。勿論、この社会に自分のすべてを一滴残らず晒け出している人なんて、ほとんどいないんじゃないかとは思う。それはそのひとにしかわからないことだけれど、それぞれに人に言えなことのひとつやふたつ、抱えていても何の不思議もないし、時と場合によるけど、あえて求められなければ相手の力を信じてそっとしていようといまの私はそういう考え方をする。さまざまに心の痛みを懐に携えて、いまここを精一杯に歩んでいるわたしたち(と言ってしまうけれど)。

人にどう思われるかばかりを気にしてじぶんを決めてきたこんな私でも、いまの自分に正直に、じぶんらしさに向き合い続けるとあらためて決め直せたから、真心のお祝いの気持ちと、みなさんへの祝福の気持ちをこめて、ここに記念のように書き記そうと思い至りました。

ただいま感じていることにすなおに。

とても私的なものだけれど、同じように自分のなかに相手への好きな気持ちや、じぶんという存在を隠してきた人がもしいて、この文章を読んでくれたとしたら。いつかそれぞれの場所で、ほんとうの心をおひさまに照らして、かたちにする喜びを共に味わえていたなら。表した先の現実がどんな世界であろうと、じぶんらしくあれることほどうれしいことはないと思う。この世の時間も距離も空間も無い場所で、大大だいすきなひとへの感謝と、しあわせを想いながら。



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