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好きなひとへの愛情の伝え方

恋愛をしているとき、人はどんな風に相手に好きな気持ちを伝えるのかな。

大好きだからこそ、好きを素直に表現できなかったり、周りに人がいたらそれを隠してしまったりすることが、少なくとも私にはある。いま、心から好きなひとがいるからこそ、それを痛感している。

ここで、ちょっぴり恥ずかしいけれど、打ち明けようと思う。数えきれないくらいの夜を、ひとりで過ごしてきた。ひとりベランダに出て、夜空にはためく星や、しんと見守ってくれている月をみつめていると、ふと、いつか必ず出会う私にとっての真実のひとも、何処かでこの空を見ているだろうか、となんとなく思っていた。

まだ見ぬ誰かに、時が来れば必ず出会えると信じていた。その誰かが登場してくれた!と感じたのが、ほかでもない私の好きなひと。

映画の見過ぎと言われようとも、目の前の現実は映画と同じような世界だと思っているので気にならない。ただこれはまたべつのお話になってしまうので、このあたりで話を戻そうかな。

愛情表現について、私は「好きなひとに人前で好きを伝える=死ぬほど勇気が要ること」だと思い込んで来た。

ただ、最近、本当にそうなの?と疑問が生まれた。

いまの恋愛に出会ってからというもの、本当に色々の感情を感じては、自分に向き合わざるを得なくなって、そのどれもが私にとっての尊い気づきを与えてくれる。こんなにもゆたかな恋愛は人生で初めてで、どこかでずっと望んでいた気がして、しみじみと感謝をしている。

初めて好きなひとに気持ちを伝えた日から、迎えた2度目の夏。いまも一歩、一歩、その人を知って、知れば知るほど自分も変わりながら、変わらないまま好きでいる。

できればいつだってこの好きな気持ちを、誰の前でも素のままに伝えられる自分でありたい。

そう感じる一方で、大切なものほど触れるのをためらったり、近づきにくくなったりするように、好きの表現が難しくなることは大いにある。好きな気持ちが、独特の表現になることもしばしば。

それもあっていいと思ってる。ただ、私ももうひとりの自立した女性。人にどう思われるかの恐れから自由になって、変化球を投げるのもいいけど、まっすぐの球で堂々とキャッチボールをする楽しみも、そろそろ自分に許し始めてみてもいいのかもしれない。

言わなくても通じ合っている。

言葉にしなくても感じられるものがある。

それもひとつの真実だと思っているし、すばらしいことだと思う。私自身、そうした目に見えないつながりを感じているし、信じているから。

ただ、にんげんとしてこの地球にいる限り、自分と相手が言葉なくして100%同じく心を分かちあえるかと問われれば、それは無理がある気がする。それに、私は、心でつながっている大切な相手だからからこそ、言葉を尽くすこともたいせつにしたい。そうすることが、お互いの間の理解を育み、深い尊重にもつながるように思う。

冒頭の疑問、恋愛をしているとき、人はどんな風に相手に好きな気持ちを伝えるのかな。

言葉とはべつの表現で伝えることも、言葉で伝えることも、大切にしたい。ほんとうに好きなひとだからこそ、人前では素直に言葉を伝えられないこともある。相手のしあわせを想うからこそ、余計に思考が働いて、言葉を見失ったり、言葉足らずになってしまうこともある。

そんな自分も受け容れながら、ここに書くことでいまこの瞬間から、少しずつそうした自分を軽やかに手放して、変わっていきたいと思っている。

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