たくあんと肩書き。
肩書きってなんだろう。
あっても、なくてもよいもので、だからずっとずっとわからずにいる。
この世界では何者かにならなきゃいけないのかもと、じぶんを奮い立たせて名前を付けてみたことももちろんある。
だけど、どうやら私の心は向いていなかったみたい。
それでもあきらめの悪いわたしは、じゃあしっくりくるものが無ければ、ヒントの糸を撚り合せてつくればいい、最近 connect'e'r という名前をごく個人的に持ってみた。
何かや誰かを否定する気持ちは一切なくて、肩書きを名乗るも名乗らないも自由であってええじゃないかと思っている。
その前提で、私の根底にうっすら流れ続けているその疑問をわたしは自分でもわかっていたし、履歴書の転職欄に書ききれないくらいの転職歴をもつわたくしなものですから、いつもある一定の節目でこの肩書き問題に向き合うことも多かった。
それもあってか、肩書きをわかることができないこと、なぜか自分にはしっくりいかないことは、日ごろからわりとオープンにしていたと思う。
振り返れば、その積み重ねも、私自身の曖昧さのルーツのひとつかなと感じているし、そのスタンスと言えるような立派なものでも何でもないけれど、それはなかなか人に伝わりにくいもので、理解しにくいものでもあるのだなと、体感で感じてきた。
これまでにも、否定する意味ではなく中途半端と形容してもらったこともあるし、悲しい意味ではなく自分でもそうだよなあと思う。
ずっとそう素直に受け入れて来られたかといえば、そうではなかったし、「僕は、私は、○○です」と名乗る人を観ていると、なんて輝きに満ちているのだろうと、なんて潔よいのだろうと眩しくて、いまだに焦がれる気分もある。
とはいえ、最近ある出会いのお陰で、いまやっとじぶんの曖昧さを愛せると、愛したいと思えるようになった。
それは、私の人生にとっては、とても素晴らしいことで、涙が出るほどうれしいことなんです。
この曖昧さを、これからもずっと愛していたいし、曖昧だからこそ、色々な人と想いを分かち合って、関わり合って、じぶんの魂が喜べる場所で、ささやかでも情熱と、かけがえのない出会いから受け取ったものをもって、この世界に還元していきたいし、きっとできる、むしろそうするために生まれてきたとすら思っているのだけれど、結局のところわかりやすい肩書きといえば人間であり、ほかにあるのは両親にもらったたいせつな一庶民としての名前である。
これを、どう人に伝えていけば伝わるように届けられるのか、そしてこれから行きたい場所に、どうすればいけるのか、今はわからない。
ただ、いきたい場所が見えたことは大いに光だと思っている。
最初の方で打ち明けたような、新しいニックネームみたいな名前はつくってはいるけれど、あれは、存在を知らない世代もいるだろうけど、昔ガラパゴス携帯ていう移動式携帯電話が主流だった日々に人々がこぞって付けていたストラップみたいな位置付けであると思うのは、私なりの感性である。
この間、近くのスーパーマーケットでたくあんを買った。
大分県日田市の名前は大村さんだっただろうか。
昔ながらのウコンで薄く黄色が色づいた素朴なたくあん。
袋から出して、切ったあとの洗って取っておいたプラスチックカップにこんもり折り重なったたくあんたちの山に「わたしは単身者だった」と思い出した。
ツイッターを観ていたら、大分の日田市が、いま九州各地で警戒がつづいている大雨の影響を受けていると知った。
いまもわが家の冷蔵庫のなかでこんもりとそびえるたくあんの山を、分け入って、最後のひとつぶまで、大切に、食べようと想う。
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