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学問との出会い

「学問のファン」との出会い


 今から20年ほど前のことである。生命科学の岡田節人氏が新聞のエッセイで「学問のファン」ということばを紹介されていた。それまで私は自分の専門性のなさがいやで、社会人になってからも数年は大学院への進学を希望していた。しかし、このことばと出会って肩の荷がすっと下りたような気分になった。そう、私は学問のファンに徹しようと思った。それからというもの、興味のある本は分野に関わらず読むようになったし、数多くの公開講座・講演会にも参加した。そう思って読み始めると学生時代に学んだ物理学も違って見えてきた。「複雑系を解く確率モデル」香取眞理著(講談社ブルーバックス)では学生時代に理解できていなかったことがはっきりと見えてきた。サル学の松沢哲郎氏の講演を聴きに行った。私の質問に対し、ニヤッとしながら答えて下さった。質問が的を得ていたようでちょっと鼻が高かった。こういうところがライブの良さだ。政治経済にまったく興味のなかった人間が「貨幣論」岩井克人著(ちくま学芸文庫)、「市場主義の終焉」佐和隆光著(岩波新書)などを読むようにもなった。貨幣の持っている意味、社会が、経済がどのように動いているのかを学んだ。政治経済が身近に感じられるようになってきた。社会のことに興味を持ち出した。もっと社会に関与する必要性を感じ出した。30歳過ぎてのことだ。選挙にも必ず参加するようになった。市会議員の方とも知り合った。自分に子どもができて「子ども学」に触れる機会が圧倒的に多くなった。自分の読書体験からどんどんと世界が広がっていくこともある。「読書力」斎藤孝著(岩波新書)は一気に読み通した。自分の感じている通りのことがそこには書かれていた。1冊の本が本当にたくさんの出会いを与えてくれる。読書のおもしろさはここにあると思う。私は読後、人に感想を語るかわりに必ず本の紹介を書くようにしている。校通信で本の紹介をするためでもある。しばらくして自分の書いた紹介文を読むと、そのときよくそんなことが理解できていたものだなあと感じることが多い。読んだことは次々忘れていくのだが、それでも印象に残った事柄は、いつまでも覚えているし、そうでなくてもその時々で頭がフル回転しているという感覚は何とも楽しいものだ。学問のファンにとっては新書ブームは非常にうれしい。新書だけであらゆる分野の本が手に入る。最近は時間と小遣いの関係で新書専門の読者となってしまっている。たまにはハードカバーを、と思って「世界史の構造」柄谷行人著(岩波書店)を手に入れた。やっと半分読み進んだが、内容はあまり頭に入っていない。それでも、ときには時間をかけてじっくり思考することの大切さも感じる。50歳になり社会に何か貢献できることはと考えると、学問のファンとして、学問のおもしろさを伝える、読書のおもしろさを伝えることなんだろうと思う。子どもと接する仕事をしているものとしての責任とも感じる。そしてまず何より自分自身が学問のファンとしていつまでも好奇心いっぱいで輝いていたいと思う。これから私の出会った学問について、あまりかたくならずに気軽に書いていこうと思う。みなさんが少しでも興味を持てるものがあれば幸いです。

数学(特に森毅)との出会い


 小学生のころから算数は好きだった。「力の5000題」はぼろぼろになっていた。何ページにどんな問題があるのかも覚えていた。中学受験に失敗して、公立中学で数学の勉強をしていたけれど、塾で先に進んでいる私にとっては、学校の授業は退屈なものだった。いつも授業中に宿題を済ませていた。古い版の「頭の体操」とか「数学パズル」などをよく読んでいた。「1,9,8,3と4つの数字を使って1から100までの数が答になる式をつくる」などという問題が出されたら、夢中になって考えていた。高校に入ってからも数学だけは成績が良かった。(他はぼろぼろになりかけていた。高2からは物理が得意教科に加わる。)それでも、微分積分になると次第に分からないことが多くなってきた。模擬試験で0点を取ってしまったこともある。そのころだったと思う。友人が「数学受験術指南」森毅著(中公新書)を貸してくれた。一晩で読み通した。内容はすっかり忘れてしまったが、大学受験をひかえて神経質になっていた私の気持ちをずいぶんほぐしてくれたことは間違いない。同じ友人とその森先生の授業をモグリで聞きに行った。先生はジーンズ姿、くわえタバコ、15分遅れで登場された。しかし、あまりの学生の少なさにしり込みし、結局中には入れなかった。それからの数年間、森先生の新刊が出版されるたびに即購入して読んでいった。私の人生観、教育観のほとんどがその読書体験を通して得られたと言っても過言ではない。先生の講演会にも何度か足を運んだ。実は15年ほど前、そのあこがれの先生を私が参加していた勉強会でお願いして講演会にお越しいただいた。私にとっては講演会終了後、飲み屋で向かい同士でお話させてもらったのが何よりうれしかった。私の興味がいろいろな方面に広がっていったのも、森先生の著作からヒントを得ていることが非常に多い。選挙のときになぜかテレビに出ていた森先生が、「景気回復なんてせなあかんのかなあ・・・」とぼそっとおっしゃっていたのが何ともうれしかった。「数学入門」遠山啓著(岩波新書)なども読み、算数・数学の自分にとっては新しい考え方(水道方式)を学んだ。哲学にも少し興味を持ち始めていた私には数学基礎論というのがかっこうよく響いた。竹内外史先生の著作も興味を持って読んだ。大学生のころにはファジイ(あいまい)論理というのが少しずつ世間をにぎわすようになっていた。後に洗濯機やエアコンなどの家電にも使われるようになった。塾での仕事につくようになってからは、秋山仁先生に教えられたネタがとても役立っている。夏休み中によく小中学生対象の番組をされていた。そこで初めて算数・数学のおもしろさ・奥深さに出会ったような気がする。この数年では「離散数学 数え上げ理論」野崎昭弘著(ブルーバックス)が群を抜いておもしろかった。フィボナッチ数列とかカタラン数が登場する。世界は広い、まだまだ知らないことがいっぱいある。

                                  

物理学との出会い


 中3のころだったと思う。「クォーク」という月刊誌が創刊になった。「ニュートン」はすでにあったけれど、私は「クォーク」の方が好みだった。もう忘れてしまったが、たぶんそこにはクォークのことが書いてあったのだと思う。クォークとは素粒子の中のさらに小さな粒子。原子の中の原子核の中の陽子や中性子の中にあると考えられている。すべての素粒子をつくる究極の粒子。現在の研究がどこまで進んだかは追いかけていないので分からないが、高校生のころの私にはすごく魅力的に感じられた。その雑誌で、アインシュタインのこと、数学者のクルト・ゲーデルのことなどを知った。岐阜県神岡鉱山の中に造られた実験施設カミオカンデでの陽子崩壊実験についても読んだ。水槽の中に何本もある光電子増倍管(フォトマル)の写真の青さが今も鮮明によみがえる。物理学とか宇宙論にあこがれ始めていた。AIDS(エイズ)についてもそこから知識を得た。80年代初頭のことだ。中学生のころからSF(サイエンスフィクション)は好きで、星新一とか筒井康隆なんかのショートストーリーを読んでいた。タイムトラベルだとか、4次元の世界だとか、けっこう空想していたと思う。「宇宙戦艦ヤマト」を観て育った世代だから。私自身はもともと理科が好きだったわけではない。昆虫少年だったわけでもないし、星は少しは好きだったけれど、地層とか岩石とかはまったくダメ。だいたい細かい作業が苦手で、実験など面倒なことは嫌いだった。私は紙と鉛筆があれば、パズルをしたり、一筆書きをしたりと、算数・数学そして理論物理、あるいは後には哲学の方に強い興味をもった。そして、高校2年から本格的に物理学を学ぶようになる。1年間のアメリカ留学も終えて、一回り大きくなって日本にもどってきた私は、当時京大前にあったナカニシヤ書店にふと足を運んだ。棚から引き出したのは「宇宙をかき乱すべきか」ダイソン著(ダイヤモンド社、今はちくま文庫に入っていたように思います)だった。そのタイトルが目を引いた。高校生の私にとって2200円を払ってハードカバーを買うということはけっこう勇気のいることだった。物理学を習いはじめ、興味を持っていた私は、この物理学者の自伝的読み物を貪るように読んだ。そこから読書の輪が広がり始めた。オッペンハイマー、フェルミ、シラードなどの伝記を読んだ。そして、「部分と全体」ハイゼンベルグ著(みすず書房)と出会う。この本を読んだ話を高校の倫理社会の先生にすると、それはすごいと感心して下さった。少し誇らしかった。大学は物理学科に進学することを決めた。「物理学読本」朝永振一郎著(みすず書房)で勉強した。受験に向かう特急列車の中では、「物理学はいかに創られたか」アインシュタイン、インフェルト著(岩波新書)を読んでいた。さらに、大学合格祝いとして朝永振一郎著作集(みすず書房)を購入してもらい、順に読み進んでいった。大学1年生では3種類の物理学の授業を受けた。力学、電磁気学どちらにも興味が持てなかった。最先端の研究にあこがれて入学した私にとって、古典的な内容が退屈で仕方なかった。というか、内容についていけなかった。そこに必要な数学の基礎の勉強もつらかった。木を見て森を見ずという感じになっていたと思う。当時、超伝導ブームが起こり、物性物理にも少しは興味を持ったが、結局自分は物理学自体よりも物理学の歴史について勉強するのが向いていると思って、人文学部の方に顔を出すことが多くなった。それでも、最先端の話題についていきたかったから、「数理科学」(サイエンス社)という専門の月刊雑誌には目を通していた。ここ数年で気付いたことだが、古くて新しい寺田寅彦はもう一度読み直さないといけない。寺田先生の頭のなかは100年先を見通していたとも言える。あるいは、時代が、技術が寺田先生のアイデアに追いついてきたのかもしれない。

科学思想史との出会い


 物理学の勉強は自分にとってそうたやすいものではなかった。遠くから物理学という森を見て、それにあこがれて入ってきた私は、1本1本の木を地道に観察していくような日々がたえられなかった。次第に私の興味は物理学そのものより、その歴史、あるいは科学哲学に向かっていった。「現代物理学と新しい世界像」柳瀬睦男著(岩波書店)は最初に私の興味を広げてくれた1冊である。その中で数学基礎論やファジイ論理という未知のことばと出会った。大学2年になるころから、私は人文学部に足を運ぶようになった。まず科学基礎論という講座で科学哲学のエッセンスを学んでいった。自由意志とか自己言及とかそんな話題が出てきた。その続きの時間でヴィトゲンシュタインという哲学者の「論理哲学論考」という本を英語で読んだ。何が書いてあるのかまったく分からなかったけれど。それから、授業とは別に科学史の勉強会に参加した。何をやっていたかはもう忘れたが、今でも膨大な資料(コピーの山)はとってある。科学の歴史をしっかり勉強しようと思って「思想史のなかの科学」広重徹、伊東俊太郎、村上陽一郎著(木鐸社)をていねいに読み進めた。そして私にとって決定的な出来事は、村上陽一郎先生の集中講義を受講できたということだ。村上先生の授業は私が今まで受けた授業の中で(講演会も含めて)もっとも素晴らしいものであった。それはどこからどこまでが本題でどこからが雑談なのかがまったく分からない授業だった。とにかくものすごいエピソードの量なのだ。今でも覚えているのは、散髪屋の前で赤青白の3色でまわっているやつのこと。今は外科医は医者の中でも花形だが、500年ほど前なら、刃物を握るのは医者の仕事ではなく、散髪屋の仕事だったそうだ。だから、あの赤は動脈を、青は静脈を、そして白は体液を表しているのだそうだ。ついでに言うと、江戸時代に「解体新書」など書かれているが、実際に刃物を握って解剖していたのは当時いわゆる人間とは認められていない身分の人たちだったのだそうだ(養老孟司「死の壁」)。私のノートはとにかくそれらのエピソードが至る所に書き込まれている。今でも宝物だ。一瞬たりとも気を抜くのがもったいないと感じるような授業であった。(それでも寝ているヤツがいるのだから、やはり聞く方の意識が問題か。)3年生のときは比較科学思想という授業でユートピア論を取り上げた。4年生になっても科学史の勉強会には参加させてもらった。それを主宰されていたのが当時まだ助手の井山弘幸さんだった。村上先生の弟子にあたる。後に自分の仕事選びでも大変お世話になった。私は村上先生がいて井山さんが出てこられた東大科哲にあこがれて、無謀にもその大学院をチャレンジしたが、その夢はすぐに絶えてしまった。今でも細々と科学思想史のファンを続けている。ところでなぜ科学史ではなく科学思想史なのか。それは、科学の歴史をたどっていくとき、ニュートンあたりまで来るともう科学とは呼べなくなるからだ。科学者(サイエンティスト)ということばが使われだすのは19世紀に入ってからなのだそうだ。現在の尺度で、歴史を考えてはいけない。錬金術(いろんなものから金をつくり出そうとする試み)や占星術をやっていたからといって、それをみな非科学的な魔術師の仕事と決めつけてはいけない。科学思想史ということばにはそんな気持ちが込められている。

生物学との出会い


 私は昆虫少年だったわけではない。田んぼでカエルを捕まえてきて育てたことはあった。えさを与えるのに苦労した。スズムシを育てていて、蚊取り線香か何かで全滅させてしまったことがあった。生き物の思い出というと、その2つくらいだ。高校で教わった生物学にはまったく興味がわかなかった(今から思うと本当にもっとしっかり勉強しておくべきだったと後悔している)。「授業中、他人に迷惑をかけなければ寝ていても良い、いびきはダメ」と言われていたので、よく居眠りをしていた。テストの点数もひどいものだった。大学では教職(教員免許を取るため)に必要ということで生物学科の授業を1つだけ受講した。つまらなくて途中で授業には出なくなった。試験も受けなかった。結局、何だか忘れたけど別の集中講義か何かで単位だけは取ることができた。そんな中で生物学に対して目を開かせてくれたのは大学3年生で受講した生体物理学(物理学科の講義として)という集中講義だった。当時、東北大の沢田康二先生が担当されていた。そこでカオスやフラクタルという非常に興味深い考え方に出会った。発生生物学の基礎も教わった。私の世界観はここで大きく変化してしまった。その後、「存在から発展へ」プリゴジン著(みすず書房)を、時間をかけて読んだ。今まで物理学が扱うのは素粒子や宇宙と考えていた私にとっては、現実的な複雑な系を物理学で扱っているということが新鮮に映った。後にプリゴジン先生の講演を聴く機会にも恵まれたが、何とも存在感のあるすごい人だった。著書は続けて読んでいる。それから「生命を捉えなおす」清水博著(中公新書)や「動物の体はどのようにしてできるか」岡田節人著(岩波新書)などと読み進んだ。ゴキブリのあしをつなぎ替える実験と出会ったことは私にとって本当にショッキングな出来事だった。今でも授業の中で興味深い話題として何度もこの話をしている。大学卒業後には脳の科学にも興味を持つようになった(この話は次の節で)。実は本当の意味で生き物が好きになったのは塾で理科を指導するようになってからだ。雑草1つ取ってみても、すべての草に名前が付いている。名前を覚えるといとおしさが増してくる。オオイヌノフグリなんかはどうしてそんな名前をつけたのだろうと思ってしまうが(名前の由来を調べてみよう)、花は本当に小さくてかわいい。ちょっと触るとポロンととれてしまう、なんともはかない。40歳にもなってアオムシを育てたりもした。1年目はすんなりと羽化に成功。同じ調子で2年目トライすると、今度はアオムシが水におぼれて死去。もう1回チャレンジすると、次にはアオムシコバチに寄生される。生き物の不思議さに気づかされる。ずいぶん前になるが校通信の中で、2冊の本をそれぞれ1年かけて自分なりに読みくだいて紹介したことがある。「オスとメス=性の不思議」長谷川真理子著(講談社現代新書)はとてつもなくおもしろい本だった。この中のエピソードも授業中によく使わせてもらう。「考えるヒト」養老孟司著(筑摩書房)は何度も読んで考えさせられた。養老先生はこの数年前に大ヒットしてしまったが、一応私は学生時代からのファンです。いろんな生き物について興味が持てるようになったけれど、それでもやはり一番おもしろいのはヒトだろう。今現在最も興味があるのはヒトの発達だ。つまり結局は教育にいきあたる。この話は後ほど。この10年で、生物分野での一番のヒットは「生物と無生物の間」福岡伸一著(講談社現代新書)だろう。ちょっと売れすぎたため、少し遅れて読んだのだけれど、中身は抜群におもしろい。生物の専門的な内容を、あたかも推理小説でも読むかのようなタッチで描かれている。ミクロレベルで見た物質としてのヒトは、次々と新たな原子に置き換えが行われている。にもかかわらず、「私」は「私」。昨日も、今日も、たぶん明日も。

脳科学との出会い


 大学4年生になっても私は就職活動をまったくしなかった。相変わらず理学部から人文学部に出向いて科学史の本を読んだりしていた。そして、科学史専攻で大学院に進学することを考えていた。だからといってそんなに勉強しているわけではなく(特に語学は苦手だった)、結局は最初に受けた大学院入試には失敗した。もう1つ別の大学院を受験しようと受験料を振り込んだ直後、いつものように生協の書店に立ち寄り科学の専門雑誌「数理科学」を見ていた。するとその最後の編集後記に編集者募集という記事があった。私は直感でこれだと思った。すぐに履歴書を送り、面接に行くことになった。その雑誌では当時話題になっていた「超伝導」の特集がまだ組まれていなかった。そのことを採用面接で生意気にもなぜかと聞いたりした。2日後、採用通知が届く。私の就職活動はこれだけ、たった1週間のことであった。そういう時代だったのかもしれない。大学卒業後すぐに、私は神田にあった理系専門書籍の出版社に勤務することになった。今までは読者としてしか書店を見ることができなかったが、そこからは作り手、売り手の立場で店頭を見て回ることになった。自分が編集した本をこっそり面出しにしたりして、誰かが手に取らないかじっと見張っていたこともある。手にしたならば、レジに持って行け、と念じたこともある。著者の前書きなどで自分の名前が載ったりすると、それが社交辞令だと分かっていても、うれしくて両親や友人に見せたものだ。たった3年間の編集部勤めではあったのだが、その中で1冊自分の企画編集で、著者と一から作り上げた本がある。「カオス的脳観」津田一郎著(サイエンス社)。このタイトルも自分が発案した。カオス関係書籍の先駆けとなった・・・と自負している。1990年のことである。そのころから21世紀は生物、特に脳研究の時代であると感じていた。原稿をいただいたときには本当にわくわくしながら読ませていただいた。まだまだ未熟ではあったけれども、自分の考えを反映していただいた箇所もあり、思い入れが強い。その後会社を辞めてしまったため、刷りが変わるたびに購入し現在でも5冊ばかり同じ本が我が家の本棚に並んでいる。脳研究はいま大きく4つに分けることができる。生理学の立場から「脳を知る」ということ。医学の立場から「脳を守る」ということ。また、物理学・数学やコンピュータサイエンスの立場から「脳を創る」ということ。もちろん脳そのものを創り出すことはできないだろうが、そのモデルを創ることはできる。その研究から新しく脳の仕組みを知ることにもなる。さらに、心理学・教育学をはじめあらゆる分野から「脳を育む」ということまでも研究者たちの興味が広がってきている。我々のすることなすことすべて脳に関わっている。このことについては「唯脳論」養老孟司著(ちくま文庫)を読めばよいのだがちょっと難しいので、「考えるヒト」養老孟司著(ちくまプリマーブックス)がおすすめ。脳研究は日進月歩で進んでいる。これら2冊の本ももうすでにかなり古くはなったが、基本的な部分では何も変わりはないと思う。ヒトの脳の仕組み自体はこの何万年かの間、ほとんど変わっていないのだろうが、科学技術の進歩により生活はすっかり変わってしまった。同じ仕組みの脳を持っていながら、人によって、文化によって感じ方・考え方は異なる。この個人差・個体差という部分の脳研究はまだほとんど進んでいないようだ。<私>はどうやって作り上げられるのか。脳内の1千億にもおよぶ神経細胞がどういう仕組みで意識を作り上げるのか。これから最もおもしろい研究テーマになると思う。さらに、高校生対象で話された内容を本にまとめた「進化し過ぎた脳」「単純な脳、複雑な私」池谷裕二著(ブルーバックス)を読むと、記憶のこと、脳の不可思議な病のこと、などなどたくさんの興味深い話題に出会えるだろう。8年ほど前だろうか、卒業生にこの本を紹介した。最近になって、東大の大学院に進学した彼女は、それがあって今の私がいると言ってくれた。

社会学・人類学との出会い


 東京での出版社勤務を終え、実家のある京都にもどった。テレビで森毅、井上章一対談を放送していた。そこで現風研(現代風俗研究会)の存在を知り、早速定例会に参加し、入会した。土曜に仕事が入るようになって、結局大した回数参加することができないまま(それでも10年ほどいて)脱会することになったのだが、その間に2つのエッセイを会報に掲載してもらった。「’94アブない人体」(リブロポート)に「私の危ないからだ体験記」。私の舞踏体験記を綴ったものだ。舞踏家田村哲郎氏との出会いについて書いている。「’98-’99不健康の悦楽・健康の憂鬱」(河出書房新社)には「カフン症な私-私の花粉症日誌」を。日々鼻をかんだ回数、くしゃみをした回数を数え上げた。こちらは自分でもかなり時間をかけて、調べ上げて書いた。編集者という裏方がちょっとだけ表舞台に立った瞬間であった。そう言えば、舞踏でも「裏方ばっかりやっていてもつまらんだろう」という田村先生の一言で二度舞台に立たせてもらった。ライトを浴びると何かからだの中で熱くなるものを感じた。現風研には社会学関係の人が多かった。大学の一般教養の授業で社会学も受講したがそのときにはそのおもしろさに全く気づけなかった。「社会学・入門」(別冊宝島)に会員の方が執筆されていたこともあり、ふと購入して読み進めた。社会学のおもしろさに初めて気づいた。複数の人間に関わることであれば「何でもあり」と思い出すと、とてつもなくおもしろい学問に見えてきた。私の知りうる限りでこの一風変わった社会学者たちが何を調査していたかをざっと書き出してみよう。何でも学問にしちゃうのだ。これは有名な話。鴨川の堤防にカップルがどのように座っていくか。これは物理学者(寺本英)も数式を使って研究していたようだ。カップルがどのように手をつないでいるか。河原町の喫茶店でコーヒーを何杯もおかわりして、行き交うカップルを定点観察(斉藤光)。腕を組む、手を握る、指を交互にからめて手を握る、小指だけでつながる・・・などなど数え上げていく。遊園地の調査(橋爪伸也)、ダンスホールの調査(永井良和)、「18歳未満お断り」の店の調査、大衆演劇の舞台について(自分も役者になってしまった=参与観察、鵜飼正樹)、たこ焼きや明石焼きなどについて(熊谷真菜)以上はそれぞれちゃんとした書籍にもなっている。それから、食パンやカレーライスの食べ方について・・・と、とにかく人と関わりのあるものは何でも研究対象になる。私が協力した調査。薬局の前にいる、カエルとかウサギとかゾウがどのように分布しているか。京都市内の西の方をくまなく調べ回ったけど、そのうち薬局の看板が見えたら(あるいは薬局と分からなくても緑の看板が少し見えただけでも)近づいて見ずにはいられなくなってしまった。そんなことして何の役に立つのか・・・それは愚問です。興味があるから調べてみる。ただそれだけ。しかし世の中の出来事はすべて人が関わって起こる。物価の上下だって、選挙だって、事件・事故も、そしてテロや戦争も。社会学は複数の人間に関わる出来事を何でもかんでも扱う学問です。興味がわけば徹底的に調べ上げ、社会学の一分野に仕立て上げてしまいましょう。
社会学に近いところに人類学というものもある。頭に自然とか社会とか医療とかいろいろなことばをつける。文化をつけるのが一番一般的だろうか。科学思想史が、現在の常識で歴史上の出来事を判断するべきでない、というところに重点を置くのに対し、文化人類学は今の我々の常識をいわゆる未開の民族にそのまま適応してはいけない、という点を重視する。たとえば電気がないのはさぞ不便だろうと思って、アフリカの中でもまだまだ現代化していない土地に電気を引くとする。そこに暮らす人々はそれで本当に幸せになれるのだろうか。本当の幸せって一体何だろうか。こういったことを学問的に確立したのはレヴィ=ストロースだけれど、なかなか読み通すことができていない。「カイエ・ソバージュ」中沢新一著(講談社選書メチエ)のシリーズ5冊でなんとか雰囲気をつかんだ。そこで、神話とも出会っている。古事記にしろ、アイヌの神話にしろ、アボリジニでも、ケルトでも、ナホバでもとにかく神話は不思議だ(河合隼雄先生の著作で確認できる)。
この10年くらい古本屋で見つけては買って読み続けている梅棹忠夫先生を紹介しよう。万博公園内にある民族学博物館を設立され、その後長く館長を務められた。歳をとられてから、目が見えなくなり大変だったようだが、執筆活動も精力的に続けられた。若いころはアジア、アフリカとフィールドワーク(探検と言った方が良い)に出られていた。日本人として民族学(文化人類学)のさきがけとなる研究をしてこられた。おそらく、梅棹先生の考えていたことは時代より50年くらい早かったのだろう。だから、今読んでもまったく古さを感じさせない。皆にもぜひいろんな文化に触れるために読んでみてほしい。「文明の生態史観」(中公文庫)がもっとも有名だが、私は「東南アジア紀行」(中公文庫)あたりが好きだ。むちゃくちゃ読みやすい。やたらとひらがなが多い。すべてローマ字にしたらいいとか考えられていたくらいだから。さらに、梅棹先生や梅原猛先生に続く形で出て来られた安田喜憲先生などが始められた環境考古学。私自身が今一番注目している分野だ。最近の著作「一万年前」(イースト・プレス)にはその研究から得られた成果が紹介されている。

心理学との出会い


 京都にもどった私は、学生時代の恩師の紹介でまた別の出版社にしばらく勤務することになった。それがどうしても自分のからだに合わず、初めての花粉症とも重なって、自分でどうすることもできなくなってしまった。出勤することはできたけれども、校正の作業などをしているとめまいを起こした。勤め始めて半月ほど立ったある日、帰宅中の電車の中で気分が悪くなり、もう続けられないと思った。後で分かったことだけれど(医者から聞いたのではなく、自分で調べて結論を出した)たぶん軽い神経症で不安発作を起こしたのだと思う。自分のからだ・こころはどうなってしまったのか。そう思って大学病院をたずねた。「時間と自己」(中公新書)の著者、木村敏氏に会いたい(だいたいミーハーなのだ)と思って行ったけれど、内科にまわされ、研修中の学生の前でいろいろ検査だけされて(そのかわり検査料はまけてもらった)、どこも悪くないと帰された。会社を辞めればすっと症状はおさまったのだから、たしかにからだに悪い部分はなかったのだろう。それからというもの心理学の教科書などを読みあさった。自分のことをより深く知ろうと思った。こころとからだの関係を知りたかった。そして挙げ句の果てには、こういう経験をした自分こそカウンセラーになるべきだと思いこんで、社会人大学院を受験することにした。学生時代にも心理学の授業を受けた。教職免許を取るために、教育心理とか青年心理とかも勉強した。でも、自分から好んで始めた勉強は進み具合が全く違う。線を引きながらテキストを読み進むと、内容がおもしろいように頭に入った。大学院の面接(口頭試問)のとき、自分が勉強した本を執筆された著者もそこに同席されていた。緊張した。「あなたのアイデンティティは何か」とたずねられた。でも何も答えられなかった。だいたい周りに他の受験生がいるところで、そんなプライベートなことを聞く方が間違っている。そう思う。もちろん不合格である。今ならきっと「アイデンティティを見つけるためにここに来た」とかわせたのだろうけれど、まだまだ青かった。27歳冬のこと。そのころがたぶん私の人生にとっては大きな転機になっていたとのだと思う。社会学・心理学と2つの学問に並行して出会った。1年間で次々に世界が広がっていった。河合隼雄先生の著書を読み進むようにもなった。河合先生のことを批判的に言う人もいるけれど、私は大ファンです。講演会にも何度か足を運んだ。後に河合先生の自伝「未来への記憶」(岩波新書)を読んだ。これは格別だった。自伝というのは著者が有名だからこそ読み応えがあるのだろうか。1人の人間が生きていく中でたくさんの人との出会いがある。そのつながりがおもしろい、そこからさらに世界が広がる、それが自伝の魅力のような気がする。心理学にはいろんな立場がある。カウンセリングの手法もいろいろあるようだ。私には何がいいのかは分からない。でも今までにいろんな人と出会い、いろんな相談を受けてきた。その中で言えることはただ一つ。相手の話をよく聞いてあげるということ。話をじっくり聞いていると、そのうちに勝手に自分で解決策を見つけて帰って行かれることもある。皆、相談する相手がほしいのだと思う。話をするだけでも気持ちが楽になるものだ。現在、清水は、「子育て・教育なんでも相談所」というのを勝手にやっています。なんでも気軽にご相談下さい。

文学との出会い


 20年ほど前、テレビで「文学と云ふ事」という番組があった。1冊の本の内容を30分の番組の中で紹介するというものだ。それを見て、もっと文学も読みたいと思うようになった。その番組で取り上げた本は次の日に確実に売れる。それを平積みにしているかどうかは書店によって違っていた。できれば書店人にはそういうことにも敏感になってほしい。同じような番組をまた希望しているのは私だけであろうか。私はこの番組を見て初めて夏目漱石に手を出した。30歳になっていたからこそ共感できる部分もあったと思う。高校生のころには安部公房をよく読んだ。人間が植物になったり、知らない人が家に居座ったり、わけの分からない話が好きだった。大学生のころは生協の書店で長期休暇前に実施されていた文庫本バンドセールでまとめ買いをした。5冊以上買うと、割引率が上がるのだ。書籍を値引きするかどうかは意見が分かれるところだが、消費者としては少しでも安く買えるに越したことない。その上、ついでにこの本もと余分に手を出してしまうのだから、この企画悪くはない。そのとき購入して読んだのは、それまで気になりながら読んだことのなかった、村上春樹の作品だ。「羊をめぐる冒険」(講談社文庫)と出会い、私は不思議な世界に入り込んでいった。村上春樹の小説は文章自体のあり方がとにかく自分にしっくりきてしまう。エッセイでも旅行記でもなんでも楽しく読める。翻訳だけはちょっと苦手だけれど。読んでいると時間が経つのを忘れる。頭の中が村上ワールドに染まってしまい、ハルキ的文章が流れ出てくる。「ノルウエイの森」(講談社文庫)を読んだのは就職してから。ベストセラーには少ししり込みをする。終盤、主人公が旅に出るところでは止めどなく涙が流れた。2度目に読んだのは、人生の転機に立ったとき。精神的に落ち込み、自分がどの方向に進めばよいか分からなくなり、その本に登場するバスに乗って、京都の北山に向かった。帰り道、鴨川のほとりをぶらぶら歩きながら自分の進む道を決めていった。3度目に読んだのは、結婚を前にしたとき。パートナーになる女性にもぜひにと読んでもらった。結婚を決めたのも、村上春樹のエッセイがきっかけになった。「村上朝日堂 はいほー!」(新潮文庫)の中の「わり食う山羊座」。天秤座と山羊座は相性が悪いが、結婚すると結構長続きするというもの。はたして、彼女は天秤座、私は山羊座。星座占いを信じるわけではないけれど、これをきっかけにして彼女との将来を決めることができた。ある講演会をきっかけに読み始めたのが「ゲド戦記」ル・グィン著(岩波書店)。児童文学だ。ジブリの映画で観た人も多いだろう。子どものころにもっともっと本を読んでおけば良かったと思う。でも大人になった今だからこそ、感動できることもあるのかも知れない。第3巻のいかだに乗って生活する人たちの話では、からだがゾクゾクした。魔法使いの話だから「ハリーポッター」好きの人にもぜひ読んでみてほしい。ちょっと退屈かも知れないけれど。テーマに興味があって図書館で借りて読んだのが平野啓一郎著「葬送」(新潮文庫)。ショパンとドラクロワの芸術論をわくわくしながら読んだ。当時のパリの風景が今でも目に浮かぶ。数年前、校通信に連載するためもあって思い切ってドストエフスキー著「カラマーゾフの兄弟」(光文社文庫)を一気に買って新訳で読んだ。たぶん新訳だから最後まで読めたし、おもしろさも分かったのだと思う。3ヶ月ほどかけて読んだけれど、今でもその情景が頭に浮かぶ。他にも読んでみたい本はいっぱいあるが、いまだに手が出せていない。最近では、三島由紀夫・谷崎潤一郎などを読んでいる。三島の「豊饒の海」は「カラマーゾフ」につくりの雰囲気が似ているように思う。

サル学との出会い


 実は塾で理科を教えるようになって私の興味は次から次へと広がりを見せていった。それまでは本の中だけの知識になっていたことが多かったが、足下の雑草や、天の星や雲の流れにも目を向けるようになった。自然の不思議さを次々に体験することになる。「人間の由来」河合雅雄著(小学館)からは本当にたくさんのことを学んだ。正直言って上下巻で一万円近くする本をよく買ったものだと今になると思うのだが、その値打ちは十分にあった。共進化ということに興味を持ち出した。マメの花の形の意味もそこで知った。マツヨイグサが夜を待って咲く理由も。それらは今でも私の授業のネタになっている。「人間性はどこから来たか」西田利貞著(京大出版会)は、「はじめに」を読んだだけでも意味があった。そこでは、オオカミに育てられた少年の話が完全に否定されている。いろいろな場面でその話に出くわし、肯定・否定両方の意見を聞き、どちらを信じていいか分からなくなっていた。だから、「はじめに」を読んだだけで即購入を決めた。「チンパンジーの心」松沢哲郎著(岩波現代文庫)では松沢氏のチンパンジーに対する強い思いがひしひしと伝わってきた。チンパンジーを「ちんぱんじん」と言わしめたその理由が分かる。さらに同じ著者による「想像するちから」(岩波書店)は最高傑作と言っていいだろう。必読書である。日本のサル学者たちはそれぞれの個体に名前をつけ、1人2人と数えるのだそうだ。嵐山のサル山(岩田山)にもぜひ足を運んでみよう。一度、松沢氏の講演会に足を運んだことがある。その際、私が質問した内容に対して、非常にうれしそうに答えて下さったのがとても印象に残っている。自称「講演会あらし」の私は、話を聞きながら必死にメモを取り、質問しようと思った内容はグルグル巻きにしておく。何度同じことを繰り返していても、質問の時間が始まると、ドキドキが始まる。周りを見渡して、誰も手を挙げる人がいないようならおもむろに自分が手を挙げる。根はあつかましい方なのだけれど、ちょっと物怖じしてしまう。松沢先生の講演会ではチンパンジー「アイ」のビデオを見せてもらった。その中でモニターの画面に触れるシーンがあった。アイは手の甲の側をそっと画面に近づけていた。どうして指の腹を使わないのか。不思議に思った私はその点をたずねてみた。先生はニヤッとしながら、私のその質問に答えて下さった。おそらくチンパンジーたちの歩き方に関係しているのだろうと。チンパンジーは「ナックルウォーク」と呼ばれる歩き方をする。手の先を内側に曲げて、甲を地面について歩くのだ。雰囲気が分かってもらえるだろうか。(わかりにくい人は、リクエストしてくれたらその場でやって見せるよ。)けっこう核心を突く質問ができたのだ。そういうとき、私は誇らしげに家路につくことができる。「赤ちゃん誕生の科学」正高信男著(PHP新書)は自分の子育てが始まりかけていた時期と一致したこともあり非常に興味深く読んだ。その後は正高先生の大ファンとなり、次から次へと著作を読みあさった。先生の興味の広がり(赤ちゃんから老人、現代の若者、もちろん本職のサル)、調査の仕方など、驚くことばかりだ。正高氏にしろ、松沢氏にしろ、チンパンジー研究からヒトの子育て・教育へと話が及んでいく。ここでも学問の世界の広がりを感じる。自分自身の子育てとも相まって各地の科学館などに足を運ぶことも多くなった。河合雅雄先生が名誉館長の「ひとはく」(兵庫県立人と自然の博物館・三田市)などに行ってみるのも面白いだろう。近くにすんでいればセミナーにも参加できるのだけれど。河合先生の最近の編著である「動物たちの反乱」(PHPサイエンス・ワールド新書)では、人間とそれ以外の動物との関係について大変考えさせられる。

哲学・倫理学さらに経済学・政治学との出会い


 高校3年のとき、倫理社会という授業があった。指導して下さったのは庭田茂吉先生。今は同志社大学にいらっしゃる。たしか半年経った段階でもギリシア哲学をやっていたのではないかと思う。デカルト、ベーコン、カントまではかろうじて進んだけれど、それ以降の近現代の哲学者については予備校での授業で始めて教わったと思う。それにも関わらず、私にとってその倫社の授業は本当に意義深いものとなった。哲学者がどんなことを考えているのかということを、ほんのさわりだけでも知ることができた。もう一つ、庭田先生からは読書の楽しみ方を教わった。今の自分はその上にあると思う。本当に感謝している。大学では科学哲学を学んだ。自由意志であるとか、時間の問題などについて議論した。黒板の中に黒板の絵を描くという話があった。黒板の絵の中にも黒板の絵がある。その中にも・・・これを無限後退というそうだ。始めて聞いたときはわくわくしたものだ。カントやウィトゲンシュタインという人たちの本も少しはかじってみたけれど、学生時代にはあまりぴんとこなかった。40歳を過ぎて、「自由とは何か」佐伯啓思著(講談社現代新書)を読んで、ほんの少しだけ、そういう人たちの倫理観というのが分かったような気がする。哲学については古代ギリシアのプラトンやアリストテレスによって語り尽くされているとも言う。一度しっかり読んでみたいものだが・・・善く生きるとはどういうことなのか。今の時代だからこそ、もう一度しっかり考え直したい。政治や経済については本当に無頓着だった。それでも30歳を過ぎたころからは年相応に社会のことも分かりたいと思い、少しずつ本は読んでみた。「市場主義の終焉」佐和隆光著(岩波新書)は抜群におもしろかった。夜中の討論番組などで話されていることが、少しは理解できるようになった。「貨幣論」岩井克人著(ちくま文庫)ではお金の意味に気づかされた。つまり、次の日、世界が滅亡すると言われたら、お金の価値は一瞬にしてなくなってしまう。1万円札はただの紙切れだ。次の日にもそれがちゃんと使えると信じているから、お金に価値はある。そのあたりの考え方を少し改めて地域通貨なるものも少しずつ使われ始めている。おもしろい取り組みだ。さらに、「経済物理学の発見」高安秀樹著(光文社新書)を読んでみると、為替のことや株のことなどにも少しは興味がわいてきた。もっとも楽して金をもうけようという発想が私には全くないので(そんなふうにしてもうかったお金-あぶく銭-は一気になくなってしまうことだろう)、あまり深入りしようとは思わないけれど。これからの社会がどうあるべきかということのヒントが「人口減少社会という希望」広井良典著(朝日選書)の中には書かれている。私が考えてきたことと一致することが多い。また、哲学から経済・政治のあり方まで考えさせられる「人類哲学序説」梅原猛著(岩波新書)はぜひ読んでみてほしい。「草木国土悉皆成仏」がキーワードである。いずれにしても50歳になった今、社会ともしっかり関わっていく必要があるし、また自分が善い生き方とは何かを考え、それを子どもたちにも伝えなければならないと考えている。たぶんそれはそんなに楽な生き方ではないのだろう。苦しいことも多いだろう。それでもその苦しみの中に楽しみを見出したい。苦楽しい(五木寛之)人生を送れれば幸せだと思う。

教育学・子ども学との出会い


 齋藤孝ブームが何年間か続いた。テレビにもよく出演されるようになった(NHK教育の「にほんごであそぼう」以来)。私自身あまりはやり過ぎるとちょっと引いてしまうのだけれど、けっこうファンではある。すべての本は読めないが、ところどころ興味のあるものを読んでいる。教育や読書、コミュニケーションなどについてはほとんど自分の考えていることと一致するため、安心して読み進むことができる。ただその分、そこから得るものはちょっと少ない(自分が動かされることが少ない)ように感じる。それに、齋藤先生が言うことをすべて真に受けて実行してしまうとちょっとつかれるようにも思う。その点では、やはり私には森毅先生がしっくりいく。先にも書いた通り、20歳代前半は森先生の本が出るたびに買って読んでいた。本棚には40冊近く本が並んでいる。自分の教育観・人生観はやはり森先生の著作によって作り上げられた。(あまり大げさに言うと、森先生自身にはいやがられそうだけど。)学校にはいろんな先生がいる。みんなが素晴らしい先生であるはずもない。当たりはずれがあるのも仕方がない。そんなに先生という人間に期待しすぎるのも…というのが森先生の考えだった。確かにそう考えておけば、はずれだったときには気が楽だ。人生楽しいことばかりではない。つらいこともある。それが人生だ…そう考えていれば、少しは気が滅入らなくてすむ。ややこしい方がおもしろいのだ。一方で教育ということに真剣に向き合ったとき出会ったのが大村はま先生や林竹二先生だった。お二人の実践記録などを読むにつけ、自分はまだまだだと感じずにはいられない。林先生の著作を読むと、もう40年近く前に書かれたことであっても、今に十分通じることがある。先生が先を見越していたのか、それとも、そのおかれた環境がいくら変わっても(IT化など)教育がかかえる問題はそう大きく変わらないということなのだろうか。学ぶということは、それを通して子どもの中に何か変化があることである。何も動かされなければ学んだことにはならない。教師は教えたことにならない。今日1日の授業の中で、あなたは何か動かされたということを実感しましたか?「そういうことだったのか!」「そんなことがあるのか!」「それってけっこうおもしろいなあ!」何か人に伝えたくなるようなことがありましたか?わくわくすることがありましたか?私たち、教える立場の人間は、常に子どもたちのその心の変化に敏感でなければならない。子どもの凶悪犯罪が増えている(統計からいうとそうでもないのかも知れないが)。子育てをする親のとんでもない犯罪もある。心のことを真剣に考えなければいけない。宗教の力が弱い日本で、倫理観をどう養っていくかを考えないといけない。「いつもお天道様が見ている」そのことを子どもたちにも伝えたい。

あとがき


 さて、少しでも興味のわいた話があったでしょうか。15年ほど前、私がいろいろな学問とどのようにして出会ってきたのかを1年にわたって校通信に連載しました。今回それに若干の加筆・訂正をほどこしました。
 仕事でたくさんの子どもと出会ってきました。その子どもたちに学問のおもしろさを伝えたいと思って書き始めました。読書の楽しみを伝えたいと思って、授業中にもよく本の話をします。自分が書いたものを読んで下さっているという声を聞くと、本当にうれしいものです。ある卒業生はこの文章を最初に掲載した校通信をいまだに取りに来てくれます。(それもまた物好きというものだけれど。)私が紹介した本を買って読んだということを聞くのも、またうれしいものです。そうして私が周りの人たちに少しでも影響を与えている、それこそが私自身の存在意義でもあるのです。
 読むペースより、買うペース(もらってくるのも含む)の方が早かったりするので、積読になっている本もたくさんあります。それを読むことのできるたっぷりの時間がほしいです。本当は、時間は自分で作り出すものなんでしょうが。ただ、読書だけでなく、たくさんの体験も必要です。特に若い皆さんは、どんどん外(外国でも)に出て行かないと。自分の目で見て、いろいろな人と出会って、いろんな話を聞いて、いろんなことを感じて、それを自分の学びにも結び付けていってください。私にとっても、日々の皆さんとの出会いが、一つ一つ学びとなっています。
 いつも言っていますが、私の夢は「こだわり本屋のオヤジ」です。60歳になったら自分で本屋のようなもの?をこしらえて、できればそこでいろんな勉強会もしてみたいです。最近はやりの哲学カフェとかサイエンスカフェみたいな感じで。そして、ビブリオバトルもやってみたい。いくつになっても学ぶことは本当に楽しいものです。皆さんにもいつまでも学び続ける大人になってほしいと思います。そのことを、これから出会う人たちにも伝え続けていきたいと思います。学問について一緒に語り合うことのできる日を楽しみにしています。

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