sunposky

アマチュアのカメ爺です。イラストは全然似ていません。散歩が好きなのでこのネーミングです…

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アマチュアのカメ爺です。イラストは全然似ていません。散歩が好きなのでこのネーミングです。なんのひねりもありません。カメラはオリンパスSTYLUS 1s、キヤノン PowerShot G5 Xで、どちらも気に入っています。「耳管開放症」のため会話が聞き取りにくいので悪戦苦闘中です。

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  • 気になる 2024年1月分

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川面に泡沫の 写真は撮る時代から作る時代になって久しいのですが

じつは写真そのものに興味がある人は、それほどいないのではないでしょうか。写真はイラストや絵のように腕前みたいのものがなくても、手軽に自分の思うように描けるアイテムなのだと思います。 写真は自分にとってのファッションやインテリアみたいなものなのです。それで、写真でいろいろ出来れば写真を作ることにもあまり抵抗がないのだと思います。大盛りも大歓迎なのです。 写真は撮る時代から作る時代になって久しいのですが、最初のころにあった、ためらい感みたいなものは無くなってしまったのでしょう

    • ミナミノスタルジア 「photograph」は「光で描いた絵」?「光が描いた絵」?

      「写真」は英語で「photograph」ですが一般的には「光で描いた絵」と言われています。「絵」より「画」だと思うのですが、それより気になっていることがあります。「光で描いた絵」ではなくて「光が描いた絵」ではないかなと。 「光で描いた絵」はカメラマンつまり人間が主語ですが、「光が描いた絵」で主語は光なのです。カメラマンにできることは光が描こうとする「画」の邪魔をしないことなのですが、カメラマンの「我」が邪魔をして歪めてしまっているように感じることがあります。 「美意識」「

      • ミナミノスタルジア おじさんカメラマンとカメラマンおじさんの、それぞれの言い分

        「頭ごなしに写真とはこういうもんだ!と、自分の考えを押し付けてくる、おじさんカメラマンって、嫌だよね?」と言っている人がいたとします。 そしてそのあとで、そのカメラマンおじさんは「そうじゃなくて、オレは写真はこうあるべきだと思うんだっ!!」などと言ったりするのです。 ん? (2024年7月上旬・大阪、難波周辺)

        • a dramatic fine day of May 写真の構図と骨組み  

          構図、あるいは構図法についてはいろいろ言われていますが、写真は平面の画像なので、必然的に「図を構える」になるんですね。構図法を意識して撮影する、しないに関わらずです。 面(カタチ、太い線も)、色(白黒も)、濃淡(コントラスト、鮮やかさも)などで出来た図=画像が写真です。 その構図というものを支えているのは「骨組み」みたいなものではないでしょうか。骨組みがしっかりしていないと肉付きが上手く行かず安定しません。写真で言えば見た目の不安定さではなく、感覚的に何となく落ち着かない

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        • 気になる 2024年1月分
          15本

        記事

          川面に泡沫の 自分が思う「写真」をやってゆくしかないと思います

          出来れば「写真そのもの」と「写真まがいデジタル画像」は、分けて考えたいと思っています。個人的には「写真まがいデジタル画像」は、限りなく写真に近いイラストのように感じています。写真のように見えるイラストというのでしょうか、デザイン的に思います。 先ず何より、写真かCGかも見分けがつきません。写真として見せられた、その人物やその景色が実在するか、写真だけでは分からないのではないでしょうか。写真より、その画像のほうがリアルだったりします。 「写真そのもの」をどう判断するか、定義

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          いつものことだから いつものことだけど 「ハイアングル」はなんとなく作品ぽくなる「危険なアングル」かも

          ハイアングルからの撮影は画面を整理しやすいように感じます。特にスナップ撮影の、街なかなどで高い位置からの撮影に言えるようです。上から見下ろすことで視野が平面化されるので、人やモノの配置がよく分かるようになるからです。 ちょうどチェス盤などを見ているような感じで、ほとんど奥行きが無くなります。普段の視野の場合は前後も加わるのでゴチャゴチャしているのですが、その感じが薄まるのです。 でも、それは正確には整理できたように感じているだけかもしれません。ふだんはまっすぐ前を見て暮ら

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          公園、7月。 久しぶりに、雨の日に撮影  

          いつもは雨の日の撮影は避けているのですが、雨で暑さはマシなので久しぶりに撮影したくなりました。ネットの予想を見ると数時間は小雨の状態が続きそうです。 風が強くなったり、本降りになったらサッサと帰ることにして、カメラ1台をバックに入れていつもの公園に出かけることにしました。 左手に軽量の折り畳み傘、右手にカメラを握っての撮影です。その体勢で何とか撮影を続けることが出来ました。 手ブレ補正機能のおかげで、片手でも撮影できるのはいいですね。さすがいつものような時間は撮影できま

          公園、7月。 久しぶりに、雨の日に撮影  

          公園、7月。 写真撮影で大切なのは、カット数ではなくてシーン数だけど

          「写真は質より量」と言われています。「量のない質はない」からです。写真は製品作りと違って、基本的には撮影時に完成する「瞬間のアート」だと思っています。ただ、今はレタッチに時間をかけて完成させるという考え方が普通になってきました。 私は「撮影100」「レタッチ100」と撮影とレタッチは別に考えているのですが、普通は「撮影50+レタッチ50=100」ということなんですね。撮影かレタッチかで、どちらに比重を置くかで数字は変わってくると思いますが。 それで、私の場合、撮影を重視し

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          川面に泡沫の 写真展などの「キャプション」と「ステートメント」について

          写真展などで「キャプション」と「ステートメント」という言葉が使われます。たいていはどちらも文章なのですが詩なども使われるようですね。ここではとても簡単に私なりに整理してみました。 「キャプション」は説明文です。「キャプション」は相手のためにあります。それで客観的に分かりやすく書く必要があります。作品の理解を助けるために書くのですから難解な文章や言葉はNGです。難解な言葉を使うのならその説明もあったほうがいいです。「キャプション」は「テーマ」と関連していると思います。 いつ

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          公園、6月。  写真をトコトン楽しむために考えたこと

          写真をトコトン楽しむにはどうしたらいいか、ずっと考えてきました。それも自分なりの、自分に合った楽しみ方でないとつまらないと思ってきました。人といっしょではイヤですから。せっかく写真を始めるのですから。 私は理屈っぽいことが好きなので、「写真とは何か?」といった本を自分としてはいろいろ読んできたように思います。若いころは東京にいたので、水道橋、神田、高田馬場の古本屋街で写真論のような本を探してみたこともありましたね。 長い間「写真とは何か」が分かれば「いい写真」が撮れると錯

          公園、6月。  写真をトコトン楽しむために考えたこと

          さよならはこんにちはのせい 「バエ写真」と承認欲求

          時々、写真の「バエ」についてネガティブな記事や文章を見かけます。人気のある写真家さんも著書の中で触れたりしています。中にはちょっと嫌みな言い方のように感じることもあります。 正直、私も「バエ」に対してはあまり好意的には見ていませんでした。「バエ写真」=「過剰と言われるレタッチ写真」みたいな偏見がありました。いいえ、今もありますね。「バエ写真」は言ってみれば「ごちそう」みたいなもので、ごちそうばかりでは飽きてくると思い込んでいるのです。 ただ、それは私の個人的な好き嫌いで思

          さよならはこんにちはのせい 「バエ写真」と承認欲求

          川面に泡沫の スナップ写真撮影で、街歩きの動画はとても参考になりますね

          この頃、街歩きの動画をよく見るようになっています。耳が悪いので説明は聞けないのですが、字幕表示があったり、映像だけでも自分が出かける時の参考にとてもなりますね。 また、以前に行ったところで見落としていたことや新しくなったところ、変わったところなども知ることが出来ます。動画をやってくれている方に感謝です。ただ、気になることもあるんですね。撮影の画角のことです。 カメラで動画撮影をしたことがないのでよく知らないのですが、35ミリ判換算で24ミリくらいで撮っているのでは?と感じ

          川面に泡沫の スナップ写真撮影で、街歩きの動画はとても参考になりますね

          a dramatic fine day of May 雨の日にカメラを持って出かける勇気が・・・

          梅雨です。 雨の日こそカメラを持って出かけよう!という カメラマンさんもいます。 雨の日の写真は情緒がありますよね。 そんな写真を見るのは嫌いではないです。 ただ、そのようなカメラマンさんと違って 雨の日に写真を撮りに出かける勇気はないのです。 私はカメラと運命共同体なので 雨の日にカメラを持つと雨恐怖症を発症します。 雨に強いカメラもありますが所持するカメラは強くありません。 これからは雨の隙を狙って出かけたい気持ちはあるのですが・・・。 雨だけではありません。

          a dramatic fine day of May 雨の日にカメラを持って出かける勇気が・・・

          川面に泡沫の 「いい写真」についての答えはいつでも風に舞っている

          よく「あなたが撮った、どの写真も正解なのです」という言い方をされることがありますよね。とても響きのいい言い方なので、写真をやっている人の耳元でとても心地よく響きます。 「そうなんだ。私の撮ったこのような写真でもいいんだね」と。 でも、写真に評価の絶対的な基準はないとしたら、「正解」という言葉は必要でない気がします。「正解」という言葉は忘れたほうが写真を楽しめるのではないでしょうか。 「そうなんだ。私の撮ったこのような写真でいいんだね」と。 私も他に言葉が見つからないの

          川面に泡沫の 「いい写真」についての答えはいつでも風に舞っている

          こだわりの遠回り その写真家に憧れていた  

          森山大道は神様でした。 森山大道は崇拝の対象でした。 森山大道はスターであり、憧れでもありました。 森山大道みたいになりたかったのです。 森山大道みたいになりたくて真似してみました。 森山大道に成れませんでした。 森山大道は一人でよかったのです。 森山大道のダミーは要らなかったのです。 森山大道は特別だったのでしょうか。 森山大道は写真家として普通だったのです。 森山大道は普通であることの難しさを教えてくれました。 森山大道は写真を撮ることで忙しかったの

          こだわりの遠回り その写真家に憧れていた  

          いつものことだから いつものことだけど 「写真について考えること」と「写真を撮ること」  

          「考える」というのは動詞なんですね。だから疲れるのです。見えるものが動けば分かりますが、椅子に座ってジッとしていても頭の中は大忙しなのです。写真について「考える」ことにも、じつは写真を撮るのと同じくらいエネルギーが要るんですね。 「写真について考えること」と「写真を撮ること」は、本質的には同じなのだと思います。写真について考えていることが写真に反映されるからです。 そうだとすると写真を撮る時に考えていては遅いのです。 かと言って予めイメージを完成させておくというのも違うと

          いつものことだから いつものことだけど 「写真について考えること」と「写真を撮ること」