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いつものことだから いつものことだけど 「写真について考えること」と「写真を撮ること」  

「考える」というのは動詞なんですね。だから疲れるのです。見えるものが動けば分かりますが、椅子に座ってジッとしていても頭の中は大忙しなのです。写真について「考える」ことにも、じつは写真を撮るのと同じくらいエネルギーが要るんですね。

「写真について考えること」と「写真を撮ること」は、本質的には同じなのだと思います。写真について考えていることが写真に反映されるからです。
そうだとすると写真を撮る時に考えていては遅いのです。

かと言って予めイメージを完成させておくというのも違うと思います。イメージを完成させておくというのと、写真について考えているというのは、別のことではないでしょうか。イメージを完成させておくということはどういうことかも、写真について考えているということなんですね。

イメージは過去の結果が分かっているデータからやってきます。人はゼロからはイメージ出来ないのではないでしょうか。考えることは想定外の未来に向かう準備をすることだと思います。未来とは未だ出来ていないカタチがやって来ることですから。

完成させておいたイメージでは、既に出来ていたカタチを新しさのようにして装うことしか出来ないと思います。未来はいつだって想定外ではないでしょうか。想定外の未来を撮れることがあるから写真は面白いのです。

そのためには、いつも写真について考えている必要があります。自分の思う=想定する写真について、ですね。写真することの面白さは、自分から出てゆくことの快感を味わえることがあることだと思います。「こと」ばかりでうるさいですが。
               (2024年4月下旬・大阪市、中之島公園)

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