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水の迷宮でつかまえて -映画で観るヴェネツィア


 
【木曜日は映画の日】
 

私が熱望してもまだ行ったことのない都市に、ヴェネツィアがあります。なぜそこが私を惹きつけるかと言えば、水に接している都市だからです。
 
家々の並びのすぐそばに川と橋が張り巡らされ、ゴンドラで行き来し、都市全体が海を臨む。それは、通常の都市とは違う、魅惑的なイメージがあります。

都市全体が文字通り水に浸かった、水の迷宮のようなイメージです。
 
以前、ヴェネツィアを描いた絵画をモチーフにした小説を書き、そこで、幻想のヴェネツィアを立ち上げたのも、そのイメージへの憧れがあったからだったりします。

 





今日は、そんな魅惑の水の迷宮ヴェネツィアを描いた、3本の映画を紹介したいと思います。
 
この都市は、中世から高名な観光都市であり、20世紀の映画の登場以降も、観光場所として、大量に描かれてきました。
 
『旅情』(デヴィッド・リーン、1955年)から、『ベニスの愛』(エンリコ・サレールノ、1970年)、近年でも『鳩の翼』(イアン・ソフトリー、1997年)、『15時17分、パリ行き』(クリント・イーストウッド、2018年)に至るまで、ヴェネツィアを舞台にした映画は沢山あります。
 
それらは、それぞれよい映画ですが、あくまで観光都市として「絵になる」風景以上の意味は、あまりないように見えます。
 
映画全体が「水の迷宮」のイメージに浸って、妖しく輝いているような感じ。そんな、都市の魔力を持った映画を語りたいのです。


『鳩の翼』パッケージ




『ベニスに死す』
(ルキノ・ヴィスコンティ、1971年)

 

まずは、やはりこのトーマス・マン原作の名作を挙げたいところ。
 
高名な作曲家アッシェンバッハは、静養のためにヴェネツィアを訪れます。そこで、金髪の絶世の美少年タッジオと出会います。彼に話しかけることもできず、ただ気付かれないように追い回す日々が始まります。。


 

『ベニスに死す』



この作品の素晴らしさは、美少年とヴェネツィアのイメージが密接に結びついているところです。美少年が通った後だからこそ、狭い運河や、渚、ホテルの瀟洒なロビーが異様な輝きを持つことになる。
 
そして、そんな魅惑に惹かれることが、死に沈んでいくことに繋がっています。海水に浸されることで、衛生状態もよくなく、疫病が流行りやすい場所でもあります。
 
水に浸された都市とは、人が生きられない水の中へ誘う美少年のような、死の都市とも言えるのかもしれない。そんな都市の特性とドラマが良く結びついています。


『ベニスに死す』


ヴィスコンティは、『夏の嵐』(1954年)でも、ヴェネツィアで燃え上がる不倫の恋を描いており、お膝元のフェニーチェ歌劇場も捉えています。また、こちらはセットですが『白夜』(1957年)の運河が張り巡らされた冬の都市にも、同じ場所の感覚があります。

 

『夏の嵐』



『ベニスに死す』の、海から入る導入部、水路と橋の見せ方、ノスタルジックなホテルや海辺の様子等、ヴィスコンティは、都市のある種のエッセンスをうまく捉える人だと感じます。




『赤い影』
(ニコラス・ローグ、1973年)
 


こちらは、ヴェネツィア舞台の、ミステリー・オカルト映画の秀作。
 

『赤い影』



娘を亡くしたイギリス人夫妻。教会の修復仕事でヴェネツィアを訪れると、レストランで、奇妙な老女の姉妹と出会います。

亡くなった娘が、赤いレインコートを着ていると言われ困惑する夫。そして、ここを去らなければ、夫に災難が起きると警告されるのですが。。
 
『ベニスに死す』の運河が、あくまで表面的には甘美なトーンを保っていたのに対し、ここでの運河や教会は、陰鬱な色に染まっています。それは、この都市に反映されるのが、亡くなった娘であることであることが大きいでしょう。
 
彼女の「亡霊」の真っ赤なレインコートは、この琥珀色の闇に満ちた都市で、浮いています。それゆえに、この場所と、夫妻の奥底の意識で拭えない、死への意識を上手く象徴しています。


『赤い影』


そして何より、ヴェネツィアでなければ絶対に成立しないラストこそが、この作品の肝でしょう。これを他の都市に置き換えたら、その恐ろしさ、甘美さは、全く違うものになってしまいます。
 
赤いレインコートの亡霊に支配された夫妻の魂が、死の都市ヴェネツィアに、べっとりと張り付いたかのような、異様な感触の秀作です。




『エヴァの匂い』
(ジョゼフ・ロージー。1962年)
 


もう一つ、絶品の「ヴェネツィア映画」として挙げたいのは、この傑作。
 
大ヒット作を書いた中年の男性作家が、映画祭に出席するためにヴェネツィアを訪れます。そこで高級娼婦エヴァに出会い、彼女の魅力と奔放さに惹かれ、破滅への道へと踏み入れます。。
 
この作品がモノクロで捉えたヴェネツィアは、『赤い影』以上の暗さと湿り気で迫ってきます。
 
ジャンヌ・モロー演じるエヴァが登場する時の、物凄い勢いの夜の雨。そして、ホテルの入浴シーンと、流れるビリー・ホリデイの気怠さ。そこかしこから「ファム・ファタル」の破滅の匂いと、水の迷宮の黒い魅惑が漂ってきます。


『エヴァの匂い』



と同時に、この映画には、他にはない特徴があります。それは、ホテルや観光地以外のヴェネツィアを捉えていること。
 
エヴァが暮らす家は、小高い丘にある鄙びた田舎のような場所にあります。また、クライマックスでは、川に面した畑のような、なかなかヴェネツィア舞台の映画では見ない場所が出てきます。
 
ヴェネツィアは、砂州の上に築かれた人工都市です。これらの光景は、観光には向いていないだけで、ホテルや運河の根本にある場所でもある。寧ろ、こうした場所を隠すために、美しい都市が築かれたとも言えます。
 
監督のロージーは、フランク・ロイド・ライトと同様、アメリカのウィスコンシン州出身。どこか、建築的な側面が彼の映画にはあり、ヴェネツィアを解体し、その根元から新たに、彼独自の迷宮を構築したとも言えるでしょう。


『エヴァの匂い』




三本の映画を取り上げてきました。三本とも、死へと誘惑する者がいて、その誘惑の魅惑が、ヴェネツィアという水の迷宮に反映されていました。
 
それは決して、偶然ではありません。音楽評論家の岡田暁生氏は、『クラシック音楽とは何か』の中で、音楽都市としてのヴェネツィアをとりあげて、こう書いています。


絢爛豪華なこの街は、どこか深いところで根腐れを起こしていて、ゆっくり確実に腐敗し、抗い難く死に向かっているという印象を与える。

(中略)

音楽や美術を含めてヴェネツィアの嗜好品はおしなべてそうであるが、その華麗さは、少しエキゾティックであり、何よりメルヘンのように、そして死の誘惑のように、脳髄を麻痺させる強い甘味を持っている。


この言葉は、ヴェネツィアと、そこを描く映画の魅力を、端的に表現していると言えるでしょう。





私は、いつの日か、この都市を訪れるかもしれないし、もしかしたら訪れることなく、一生を終えるかもしれない。でも実は、どちらでもあまり変わりはないのかもしれない。
 
ヴェネツィアによって与えられた「水と死の迷宮」というイメージこそが、私にとって本当に大切なものなのでしょう。

それは多分、決して永遠ではない、都市や文明、そして私の人生を象徴した、一つのイメージです。
 
そんな自分にとって大切な象徴を確かめるために、人は旅をするのかもしれません。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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