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穏やかな陽光のジャズ -昼下がりの名盤紹介【エッセイ#49】


 以前、ジャズは夜の音楽だということを書きました。その考えに変わりはありませんが、かといって、全てが夜の闇に包まれた音楽でもありません。どんなジャンルにおいても、その規則からはみ出す作品は必ず出てきて、それが素晴らしい輝きを放ったりします。
 
ここでは、昼下がりのような穏やかな空気感と、仄かに明るい光明に包まれたジャズを紹介したいと思います。以前夜のジャズ名盤を紹介した時と同じように、私の完全な主観です。


闇の魔物が跋扈する音楽ではなく、のんびりとした昼下がりに、だらっと聞いてもはまるような音楽。リラックスした午後のお供にしていただけますと幸いです。



『ワルツ・フォー・デビイ』ビル・エヴァンス・トリオ

 


あらゆる年代から支持を集める、ジャズ史上トップクラス人気のピアノ・トリオ名盤ですが、結構夜の感覚から外れた作品だと思っています。その理由は、音楽そのものもそうですが、録音の雰囲気にあります。
 
この録音は、ヴィレッジヴァンガードというライブハウスでライブ録音されたものです。しかし、客が入らな過ぎて、知り合いに来てもらったりするなど、熱狂とは程遠い状態だったことが知られています。

曲が終わってもまばらな拍手しかなかったり、曲の最中でもがちゃがちゃ食器の音がしたり、ハハハと談笑する声が聞こえたりといったところからも、それは伺えます。
 
そうした音楽に無関心なところが、逆に、昼下がりのカフェのような気怠い雰囲気を作り出しています。大抵のジャズライブ盤というのは、熱狂する観客の歓声と夜の熱気がこちらに伝わってくるような雰囲気なのですが、珍しくそういったものが全くありません。
 
そして、そこに乗るデリケートで、明るく輝く音楽。『マイ・ロマンス』の、震えるようなピアノ。『ワルツ・フォー・デビイ』の、愛らしい旋律。こういったものが融合して、陽光の差すカフェか、晴れた日のホテルのラウンジでゆったりとくつろいでいるような、奇跡的なジャズ名盤になったと言えるでしょう。


  
『マイルス・アヘッド』マイルス・デイヴィス


マイルスの中でも最もソフィスティケイテッドな、美しい名盤。

一曲目の『スプリングヴィル』、冒頭にサッと切り込むマイルスのソロから、爽やかに弾けるような金管の盛り上げによって、音楽が疾走します。まるで晴れた日のヨットの上で風を浴びているような気分。海の煌めきが見えるのです。

マイルスは夜の熱狂からは意外と遠い、クールな音楽家ですが、そんな彼が、フリューゲル・ホルンを吹いているのも特徴。トランペットより柔らかい、そのふわふわしたマシュマロのような音質がまた、バックの鋭角的な金管と程よく合っています。

その対比により、全編に柔らかな海風がそよいでいるかのような空気になりました。豪華な金管なのに、ブロードウェイの匂いが薄い。昼前に聞きたい、瀟洒な音楽です。

当初のアルバムジャケット
マイルスに無断で作られたため
現在は変更されているが
音楽の雰囲気をよくとらえている


『アストラカン・カフェ』アヌアル・ブラヒム・トリオ


王道のジャズから離れて、ちょっと変わった名盤を。ヨーロッパのジャズ・レーベルのECMから、チュニジア出身のウード奏者の作品です。

ウード、クラリネットに、ダルブッカという、トリオ形式です。ウードは、アラブ圏の、リュートのような伝統的な弦楽器。ダルブッカもアラブやトルコで使われる床に置いた太鼓のような楽器。その、しなやかでゆったりとしたアラビア風の旋律に、無国籍な音色のクラリネットが絡むことで、中近東の濃厚な風が吹き込みます。

タイトルも、モノクロのジャケットも、どことも知れない時代のオリエントの、鄙びたカフェを思わせます。熱く乾いた風と、濃密なコーヒーの苦い味わいが、喉元を通り過ぎるような音楽。

ド派手なオリエンタリズムではなく、抑制されたエキゾチズムだからこそ、ほんのりと異国のお香の香りが漂ってくるような空気感が、醸し出されています。自分だけの『千夜一夜物語』の世界を旅するようなアルバムを聞きながら、気怠い陽光を浴びるのも、素晴らしいひと時かと思います。



『ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング』ビル・エヴァンス

ECMから、キース=ジャレットや、チック=コリアも考えましたが、ちょっと、昼という空気感とは違う感じがしたので、再びエヴァンスを。

『ワルツ・フォー・デビイ』が、エヴァンスの脂が乗り切った、最盛期を捉えたトリオのライブ盤だとしたら、こちらは、晩年に近いエヴァンスの音楽を伝えるトリオのスタジオ録音盤です。

とにかく、枯れ切った印象のエヴァンスの旋律が印象的。どんなメロディを弾いても、どこか零れ落ちていくような、乾いて、装飾も削ぎ落した感があります。

『エクスプロテーションズ』や『ムーンビームス』のような濃密な耽美的雰囲気もありません。聴いていくうちに、アルバムジャケットのような、霧の立ち上る幽玄な雰囲気がでてくるようです。そして、それは少し曇り始めた午後の、ほんのりと憂鬱なひと時にも合うように思えます。


ラストの曲は、映画『マッシュ』のテーマソング。戦争を風刺する映画の、この曲がなぜラストなのか。昔から謎でしたが、アルバムをリリースする3年前、エヴァンスは恋人を自殺で失っていたと聞いて、意味が分かりました。

曲の原題は『Suicide Is Painless』。自殺は苦痛じゃない、という、映画ではアイロニーに満ちてわざと凡庸に作られた風刺曲が、ここでは、そのままの意味で使われているのでしょう。

この音楽には、雲間から差す陽光の中で、過去の痛みを思い出してしまうような瞬間があります。ワーナーブラザーズという大手のレーベルで、大変クリアな美しい録音なのも素晴らしい。そうした痛みのある音楽を、透明に磨き上げているように思えます。



『モダン・アート』アート=ペッパー

最後は軽やかな締めで。でも決して軽薄ではありません。クールなサックス奏者アート=ペッパーの名盤です。

このアルバムの特徴は、ベースとサックスソロの、『ブルース・イン』と『ブルース・アウト』という曲が始まりと終わりに来ること。そのソロが、べたつかず、軽やかなのに、どこか哀愁を帯びて柔らかいソロなので、いつまでも聞いていたくなります。

この作品はいわゆるワンホーン作品で、ペッパー以外はピアノ・ベース・ドラムのリズムセクションだけなので、彼の美しいソロが堪能できます。それは、ふわふわと光の中で舞って散る桜吹雪のような、煌めきと儚さを秘めています。夕闇が迫ってくる午後にぴったりでしょう。


ここに挙げたジャズは、どちらかというと、ジャズの源流である黒人音楽の影が薄い作品です。それゆえに、濃密な夜の雰囲気を逸脱する力を持っている。源流から外れつつも、雑多な外部の力を取り入れて、独自の美を作り上げた音楽とも言えるでしょう。

それゆえに、昼下がりの落ち着いたひと時と人生を彩る、最高の音楽でもあると言えると思います。そうした美しい逸脱を見つけるのもまた、芸術やエンターテインメントの楽しみの一つなのでしょう。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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