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【エッセイ#32】闇と歓楽のジャズ -夜の名盤紹介

ジャズというのは、基本的には夜の音楽だと思っています。元々ニューオリンズのナイトクラブから生まれた音楽というのもあり、あのブルージーな感触と魔力は、真昼の陽光の下で聞いたら、効果が半減してしまう気がします。
 
今日は、そんなジャズの中でも、特に夜を感じさせる点に絞って、名盤を紹介していきたいと思います。勿論、私の完全な主観で、あくまで個人的な好みなので、異論はあると思います。どれか一つでも、好みにはまるものがありましたら、夜更かしのお供にしていただけますと幸いです。



『ケリー・アット・ミッドナイト』 ウィントン・ケリー・トリオ

仕事が終わって、夜リラックスしたい時、この盤は欠かせません。真夜中でも、昼間の充実した仕事の感触を思い出しながら、心地よい疲労に包まれる夜があります。そうした疲れを解きほぐしてくれるような軽やかな作品。ピアノのころころ転がる音が、適度なリズムで跳ね、夜の美しさを感じさせます。
 
ウィントン=ケリーは、マイルス・デイヴィス・クインテットにも所属したことのある名ピアニストで、軽やかなタッチの伴奏者として数多の名盤に参加しています。
 
これは、そんな彼のリーダー名盤。ポール=チェンバース、フィリー・ジョー=ジョーンズという、やはりマイルスの50年代を支えた名手との共演です。ボスの重厚な活動の、まさに「アフター・アワーズ」として録音されたかのような、肩の力が抜けた雰囲気が楽しめます。



『アフロキューバン』 ケニー=ドーハム

リラックスついでに、夜の歓楽街で踊れるものを。アルバムタイトルやジャケットからして、濃厚で猥雑な暑い夜のイメージが沸いてくるようです。その名を裏切らない、パワフルな名盤。

一曲目の『アフロディシア』から、パーカッションの強烈な臭みを交え、ラテンの哀愁を帯びたメロディで、熱狂的な即興演奏が繰り広げられます。夜の闇の中で奏でられるからこそ、その熱狂は昼より遥かに私たちの心を焦がします。
 
実際、90年代には、イギリスのジャイルズ・ピーターソンらによって流行した「ジャズで踊る」というアシッド・ジャズ・ムーブメントの中で、クラブに大々的に取り上げられた演奏でもあります。余談ですが、そのムーブメントから出てきたのが、あのジャミロクワイだったりします。
 
ケニー=ドーハムは1950年代の隠れた名トランぺッター。ジャズ・メッセンジャーズの一員で、マイルス=デイヴィスの先輩でもあり、マイルスも一目置いていたというエピソードもあります。この『アフロキューバン』や『静かなるケニー』は、当時全盛期を迎えていたハード・バップを代表する名盤です。


 
『フェアリーテイル』 ラドカ=トネフ&スティーヴ=ドヴロゴス


みて、彼女が飛ぶ姿を
 
無伴奏ですっと歌われる冒頭の『月は無慈悲な夜の女王』から、全ての感覚を持っていかれるようです。透明で、壊れそうで、しかもしなやかな歌声。女性ボーカルのジャズ歌唱もので、これほど繊細な盤は稀だと思います。
 
真夜中の全てが寝静まった時刻。頭の中で、昼間の友人や家族の人間関係は消えて、幻想が跋扈する時。静寂の中から、そのタイトル通り、妖精の歌声が響いて来るかのような作品です。静寂と幻想もまた、闇の本質でしょう。
 
ラドカ=トネフは、ノルウェー生まれのジャズ・ボーカリスト。若くして自殺した悲劇的な女性ですが、この録音の中で、永遠に妖精の魅惑を発し続けています。


 
『ゴー!』 デクスター・ゴードン

今まで一番聞いたジャズ作品は何か、と聞かれれば、間違いなくこの名盤を挙げます。何といっても、冒頭の『チーズ・ケーキ』。程よく哀愁を帯びていて、甘酸っぱいテナーの旋律。太い音色で、それでいて艶っぽいこのテナーを聴いていると、まさに夜中にひとり間食している時の、舌に残る濃厚な甘味を思い出します。
 
その後のアップナンバーもバラードナンバーも、快調に進んで、満足感が素晴らしい。テナーのワンホーン作品のため、くどい感じがせず、闇に消えていって、夜を乱すことなく、彩ってくれるように思えます。それがまた同時に、夜明け前の気怠い感じをも徐々に醸していくのです。
 
デクスター=ゴードンは40年代から活躍していたテナーサックス奏者。50年代は麻薬問題のため低迷して、ようやく復帰した62年の名盤がこちらです。


 
『マイルス・デイヴィス Vol.1』 マイルス=デイヴィス

 マイルスの中で夜の雰囲気を濃厚に纏うものは何か、と考えると、意外と難しい。勿論『カインド・オブ・ブルー』でも、『サムシン・エルス』(リーダー名義はキャノンボール=アダレイ)でもよいのですが、何か夜という感じがしないのです。
 
マイルスは時代に反応して、その中でスタイリッシュなものは何か、というのを生涯追及した人です。それはつまり、時代が変われば彼の作風も変わるということ。それらの名盤は、人々の間で、夜の暗闇がスタイリッシュではなくなっていく時代な気がするのです。
 
というわけで、初期のブルーノート盤を挙げたいと思います。『ディア・オールド・ストックホルム』、『イエスタデイズ』と良く伸びるトーンが、セクステッドのくすんだ伴奏と程よくあって、50年代の白黒映画の夜のような、凍てついた空気感を、醸し出しています。
 
『テンパス・フュージット』、『CTA』のような白熱の演奏も、やはり夜の歓楽街の街灯の白い光が乱舞する白黒映画を想起させます。熱いのに、空気は冷え冷えと冴えている。時代の空気と、彼の才能の化学変化が、夜闇の雰囲気を濃密に作り上げた名演奏だと思います。



と、こうして作品を取り上げてきましたが、意外と自分の好きなジャズは、耽美的なものよりも、リラックスして、熱くなれる演奏なのかもしれないと、書いていて思いました。勿論、ビル=エヴァンスとかチェット=ベイカーも好きですが、ハンク=モブレー、グラント=グリーン、ルー=ドナルドソン、ホレス=シルヴァー等、ハード・バップで盛り上がるタイプも大好きです。
 
自分の好きなものを改めて考えると、そうした自身の意外な一面が分かるのかもしれませんね。自分にとっての夜の音楽を複数思い浮かべて、相違点を考えてみるのも、一興かと思います。夜の闇は決して一つではなく、様々に姿を変えて、私たちを包み続けていくのですから。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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