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カール・バルト Karl Barth (1886年-1968年) の誕生日 (5月10日) スイスの神学者 / 恣意的な「自由主義」や「脱構築」とは逆の「正しい」「普遍的な」「倫理的な」基準の存在について (🌕3つの倫理論)


カール・バルト (1886-1968) の誕生日 (5月10日)


カール・バルト Karl Barth   (1886年5月10日-1968年12月10日)スイスの神学者。主著「ローマ書講解」Der Römerbrief  (1919年 [第1版], 1922年 [第2版] )、「教会教義学」Kirchliche Dogmatik (1932年-1967年出版)。 
ナチス・ドイツに抵抗し「告白教会」Bekennende Kirche を結成、「バルメン宣言」Die Barmer Theologische Erklärung  (1934年) を起草。

自由主義 (近代主義、個人主義的) 神学に賛同していたバルトが批判へと転じたのは、
(近代神学には聖書学等での [権力が煙たがるであろう] 実証主義の面もあるものの)
「自由」な解釈の概念が権力による恣意的な利用につながる危険性を感じたからでは。

キリスト教をも利用するナチスが政権を取った1933年以前に (1919年の「ローマ書講解」の辺りから既に) 批判に転じているので、早くから危険性の予兆が看取されたのでしょうか。

戦後、またバルトが自由神学に近づいたのは、状況に対するバランス感覚かもしれません。



🔍 ウィキペディア「カール・バルト」「バルメン宣言」


📖 ブログ内関連記事

📖 同 (8月)


倫理関連記事 / 恣意的な「自由主義」や「脱構築」とは逆の「正しい」「普遍的な」「倫理的な」基準の存在について  (🌕普遍基準倫理論)

カント 「判断力批判」 - 「判断」 の普遍性     


🔍 うぇい@哲学さんの記事  『「この曲は美しい」と判断した者はだれでも、「その判断に対してすべての他者が(普遍的に)同意することを要求する権利がある」 。』『その判断はある個人が行ったこととはいえ、万人にも普遍的に妥当しうるからである。誰しも有する認識能力を、ある個人が行使したということである。美的判断において意見の不一致や誤解が見られるのは、個人的な関心が混入してしまっているからである 。』

📝 カントの「判断力批判」を読んで私が感じたこと (「美的な面でも倫理的な面でも、感じ方 [その基準] は誰でも同じ」) に近く、意を強くしました。

「脱構築」 への批判 ・ 明確な倫理基準は存在する / 倫理基準無視による弱者いじめの定形化  (消極的なコロナ対策で露呈する日本の後進性)


🔍 世に倦む日日さんのTweet.


🔍 あららさんのTweet.

🔍 世に倦む日日さんのTweet.

📝 「同意できない」という
曖昧で、《 [構造的なダイナミズム] を避けた認識・センス・言動》が
《日本の発信者の多くが強者への風刺 (サタイア) から逃げ回ること (そして逆に弱者への目先の揚げ足取り・恫喝が日本では大多数のお笑い芸人などの意識的なパターンとして何十年と続いているのだから二重に良くない。)》や、
《ハリウッドではもう100年近く前に成立している俳優組合
(📖 ブログ内記事「グルーチョ・マルクス」[組合設立者の一人]
https://note.com/artandmovie/n/nb19b0c835584 ) が
日本ではいまだにファンタジー扱いされている点》等々と
正に同じスタンスでしょうね。




🔍 青木正美さん (医師) のTweet. (23年1月)

🔍 川上浩一さん (理学博士) のTweet. (21年11月)

🔍 ジャック・スパロウさんのコメント (価格com.ページ 上から10番目。21年5月) 「今回の新型コロナ騒動で 日本が何もできないダメな国だと分かってきた。」 https://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=24113063/ / 
#世界と日本の大差の実例 | 

🔍 世に倦む日日さんの記事『斎藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評』(2015年3月) 「今の売れっ子の左翼リベラル系論者たち、彼らの、右翼の動きに対する視線や口調というのは、万事がこの調子で、上から見下ろして、右翼の無知と滑稽を誹って軽口で叩くという処理の仕方だ。」「右翼がこの国の多数を占め、国会の多数を制し、極右が政治権力を恣にしてファシズムを完成させているのだという、真剣に考えたら恐怖で凍りつくような生々しい認識がない。」「われわれの反応は、言い分を聞いてみようではいけないのであって、峻烈な否定と拒絶こそが即時無条件に返されなくてはいけない。」 https://critic20.exblog.jp/23726773/ 

🔍 世に倦む日日さんのTweet. 『(和訳) 私も彼に同意する。「オワライ」
もいらないし、「ハシャギ」もいらない。 そういうものは昔は無かった』

(24年1月追加) △リンク先ヤフーニュース (記事消滅) の引用元記事と同内容の記事 / 中日スポーツ記事『「国民をちょっとばかにしている」NHK連続テレビ小説を引き合いに田中泯が映画・ドラマ作り手に苦言』
https://www.chunichi.co.jp/article/708949 / 


(隠れ) 右翼への転向 = 脱構築 (「正義なんてものは相対的」) ・ 脱倫理への優遇 ・ 本質的価値 (🌕汎神的倫理論など) への冷遇 = 低レベル化 ・ 隷従化 /🔸 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 (🌕因果応報的倫理論) /🔸 悪意に善意で応じるな 🔸相手が歩み寄る気が無いならわかり合うのは無理 


🔍 世に倦む日日さんのTweet.  


📝  (日本での言わば分配主義・平等主義を扱う場がメディア・大学などで減らされて)「食うため生き残るため」という (上の「哲学」さんも「個人的関心」と述べていることに近いであろう) 個人的動機ゆえに、
言わば上述の本来は「誰でも同じ」はずの倫理的基準を曲げた格好で
「転向」、つまり「(隠れ) 右翼」 (究極的には「弱い国を守るため」という方向 [口実] からの「戦争肯定」の役割を担う可能性が大きい。) になったということですよね。
(「平等主義」との対概念である) リベラリズム (自由主義) の分類においても、(実は) いわゆる「ネオリベ」に近い「リベラル右派」(権力者の自由、金持ちの [貧乏人から巻き上げる] 自由)。


📙 ネットで書いたコメント (一部修正) / 
いまの日本の業界・メディアで扱ってもらえる評論系の人にも大体当てはまる傾向が有るよね (蓮實重彦氏の時期を経て、強まってるくらい)。
倫理、風刺、普遍性、(作品の登場人物あるいは演者・作者) 個人のスタンス・表現 (それらへの🌕汎神的 [神は細部に宿る] 倫理論を含めた観点)、本質的なテーマの説明をいくら言ってもスルーされる。
(価値として上位にあり、優先されるべき事柄であるにも関わらず。
スルーどころか、業界・メディアでもネットでも弾圧・排除されるパターンが増えている程。)
脱構築 (脱倫理)、表面的・外形的 (権威的・耽美的・空騒ぎ的) な形式に終始したことを言えば大きく拾ってもらえる。
英語と日本語のウィキペディアのレベルで比べても分かる。

近頃日本のネットで専ら主流の、作品「考察」=
《作品が作者によって多様な選択肢から、より抜かれて組み立てられた表現であるという (従来の論評では重視されて来た) 事実を度外視して、
作品世界の内部・人物のみを既成事実視し、その枠内でのみ作品を捉えて判断する「考察」論 (だから「作者」という単語が殆ど出て来ない。)》、
そんな見方による《作品・キャラクターへの恣意的な肯定・否定》も、
結局「偏頗な権力」からは気に入られ易いものなのだろう。


📔 ブログ内関連記事 ("宮崎駿と脱構築"に関する世に倦む日日さんの記事等の貼出)  

🔍 (「もののけ姫」[1997年] について)

🔍 世に倦む日日さんの記事 (2023年7月) 「90年代以降の日本人は、子どもたちを嘗ての教育基本法の理念と精神で育てなかった。正義と真理を愛する燃える心を持った人間に育てず、正義なんてもんは相対的だよと教え、根っからの悪人なんていないと教え、悪を倒すために闘うことの意義を教えなかった。だから、ビッグモーターの資本主義がまかり通り、若者はビッグモーターの従業員のような人間になるのだろう。」

🔸「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 (🌕因果応報的倫理論)

🌍 Wikipedia (英語版)「郵便配達は二度ベルを鳴らす (小説)」[J.ケイン作]「ケインは『殺人保険』(「深夜の告白」) の序文で、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の題名は脚本家ヴィンセント・ローレンスとの議論から来たと書いている。ケインによればローレンスは」「郵便配達人が到着すると、いつも2回鳴るので分かると指摘したのである。」「ケインはこの言葉を小説の題名にした。」「ケインたちはこの言葉が小説最後のフランクの状況に比喩的に適していることに同意した。その『郵便配達人』が神や運命であるならば『配達』は、ニックを殺した報いとしてのフランク自身の死を意味する。フランクは、当初その報いを免れたとき最初の『ベル』を聞き逃した。しかし郵便配達は再びベルを鳴らし今度はその音が聞こえた。フランクはコーラを殺したという冤罪で死刑を宣告されるのである。」

📝 案の定、日本語版ウィキペディアでは、この「報いは二度目にいつも訪れる」という倫理的に鋭いメッセージは省かれてますね。日本のメディアでも明確に説明されるのを見たことがありません。この倫理的結論を都合が良くない事と感じるのが、日本のネット民やエライさんの大多数なのだと (残念ながら) 看取されます。 

🐥しろくまさんのTweet. 「原題The Postman Always Rings Twiceの、Alwaysがグッときている」


🔸悪意に善意で応じるな 🔸相手が歩み寄る気が無いならわかり合うのは無理

🔍 Quora公式ページ


🔍 テストステロンさんのTweet.


#双方の歩み寄りが必要 #相手が歩み寄る気が無いならわかり合うのは無理


日本の最後の砦 ・ アニメーションの卓越性 (NYタイムズスクエアでの「鬼滅の刃」への大歓迎など) / それとは正反対の排他的 「ニュースピーク」 

📙 ネットで書いたコメント (一部修正) 
アニメはセリフも語彙が多くて勉強になる。
異世界ものとか、他の媒体ではあまり見られない。時代物・SF・日常系・バトルもの等、それぞれのジャンルの語彙があるから
作品名以外にジャンル別で索引を作り辞書代わりに使って、覚えている。

/📙 Noのリアクションしか来ない (実は《運営派・インボイス派・表現規制派の、反「サブカルクリエーター」》のツボウヨが多端末で大きく作用している) 偏屈ニュースピーク民に、
語彙などと手の内見せても手を噛まれるだけか。

ニュースピーク「小説『1984年』に描かれた架空の言語。作中の全体主義体制国家が実在の英語をもとにつくった新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、党のイデオロギーに反する思想を考えられないようにして、支配を盤石なものにすることである。」 ウィキペディア /   
🌏 https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュースピーク / 


🔍 IWJ (岩上ジャーナル) Tweet. (20年5月) 茂木健一郎さん (脳科学者) への岩上安身さんのインタビュー。「中学生と話していると、彼らが尊敬しているのって声優なんですよ。お笑い芸人って全然尊敬されていない」

🔍 茂木健一郎さんのブログ記事 (16年3月) 「仕事柄、よく海外に行くけど、日本のあれこれで、世界で競争力があるのって、やっぱり、食べ物とか、あるいはアニメとか漫画とかのあたりじゃないだろうか。
そういう意味では、声優さんって、世界的なスターでもあるんだと思う。
メジャーとマイナーの区別は、もはや、従来の区分でははかりきれないような気がする。」 https://ameblo.jp/kenmogi/entry-12803064256.html 

/🔍 同 (17年11月)「中学生や高校生たちと話していると、彼ら、本当に地上波テレビ見なくなっている。彼らが関心が高いのは、質をガチで勝負しているアニメ。リスペクトの対象は、声優さんたちだ。作品のクオリティや、アーティストこそ、大事にしてほしい。」 
https://ameblo.jp/kenmogi/entry-12803076159.html  

/🔍 同 (18年10月) 「現状では地上波テレビの劣化はすさまじい。ぼくが子どもの頃に見ていた地上波テレビに比べて、今のテレビは、タレントたちの馴れ合い、内輪話、汚いテロップ、内容の低さなど、本当に劣化してしまっている。」
「一方、希望もある。地上波テレビで放送されている「深夜アニメ」は、子ども、若者たちに圧倒的に、熱く支持されているのだ。子どもたちから若い世代にとって、地上波テレビとは、極論すれば、深夜アニメを流すための媒体である。
では、深夜アニメの何が彼らのハートを熱く掴んでいるのかと言えば、やはり、企画、制作で世界観、オリジナリティを追究して、作画の方々が(忙しくて時々「作画崩壊」を起こしながらも)一生懸命つくり、声優の方々もいい仕事をして、クオリティの高いものをつくっているからだろう。
その前の時間帯に見られる、タレントの馴れ合い、内輪話、事務所のゴリ押しといった「悪しき地上波文化」が深夜アニメにはない。」
「深夜アニメに見られるように、きちんとしたコンテンツをつくれば、まだまだそこに希望があると言えるのだろう。凋落の衝撃と、一方での希望と。」

/🔍 同 (23年9月。ジャニーズと業界に関して)「単純接触効果がジャニーズの人気を支えていたことと、事務所によるゴリ押しや、競合タレントの排除は論理的に結びついている。」「単純接触効果を維持したいジャニーズ事務所と、短期的な視聴率をかせぎたいテレビ局の間で批評性のない共犯関係が生まれ、ほんもののアーティスト、ほんものの芸能は日本のメディアから排除されるようになった」「名前を変えても、ジャニーズ的なものが変わらなければ、日本のエンタメ文化に悪影響しかないだろう。」
 https://ameblo.jp/kenmogi/entry-12819825426.html 

/📔 本ブログ内関連欄 (「バーンスタイン」記事内「関連記事」[茂木健一郎さんブログ記事『ジャニーズにだまされるな』等について]) 
https://note.com/artandmovie/n/n87313e0c83f5#1edd42ba-35dd-4f17-a46c-bb9c9885c79e / 

🔍 音楽史noteさんの記事 『最近、アニメを見始めた。』
『「ぼっち・ざ・ろっく」「推しの子」をまずは観てみた。それから、「推しの子」と同じ作者ということで「かぐや様は告らせたい」も観た。
どれも一気見してしまった。とても面白いと思ったし、圧倒された。』
『今の「リアル」は圧倒的にこっちだな、と、思った。』
『そして、漫画やアニメというのは、こんなにも感情を揺さぶってくるコンテンツなのか、と、びっくりした。人間や社会に対する視点が増えたり、共感したり、考えさせられたりする。
こんなものをたくさん摂取して生きている人々は、きっと解像度高く社会や人間を捉えているのだろうな、と思った。』  https://note.com/junjunjunpiano/n/n374d1e1c1e1f / 

🔍 ライブドアニュースTweet. (21年5月)

📙 (ネットに書いたコメント) 『「マンガの市場規模、2030年に422億米ドル到達予想  日本アニメの世界市場過去最高の2兆7400億円 アニメ産業レポートが報告」
あのブロードウェイのタイムズスクエアで、殆ど全ての大画面に鬼滅のキャラが続々と映って、白人や黒人のニューヨーカーたちがスマホを構えて歓声を上げてる。動画、Twitterにも出てるけどすごいよね。
日本アニメが完全に世界でメジャーな位置に立ったことが可視化された。』
🔍 鬼滅の刃公式Tweet. (23年6月)

🔍 Animes In Japan Tweet. (23年6月)  これは別次元だ! (ポルトガル語) 

日本の最後の砦を下げまくる 「インボイス導入」 への疑問 /🔸 古代中国の兵法書 「六韜」 『有能な隣国人は冷遇させろ。 そんな国はやがて滅びる』


🔍 岡本麻弥さん (声優・女優) のTweet. (23年6月) 

🔍 落合弘治さん (俳優・声優) のTweet. (22年12月)

🔍 カピバラさんのTweet. (22年7月)

 🔍 あきふみさんのTweet. (22年9月)「統一ってるわー」 

🔍 田村吉康さん (画家・漫画家) のTweet. (23年9月)

「あらゆるどんな手段を使っても、守るべき日本の武器であり宝 マンガやアニメなどのコンテンツの成長を邪魔する要素は厳に排除すべき なのに」 「自国の現状一番の武器を、わざわざ自ら弱める可能性が高いインボイス制度 馬鹿だよ ほんっと〜〜に馬鹿だよ」
📝 1000万件強の閲覧数!  /

#インボイス派は日本アニメ衰退の責任を取れ 
#アニメを軽視するインボイス派はアニメ収益に頼る放送局の仕事をするな
#インボイス派で反ジャパニメーションのツボウヨ  
#日本アニメを下げるインボイス派は国籍を言え #リクトウイツツボ

🔸(隣国の有能を下げまくる六韜)
🔍「六韜」(りくとう [六つの袋の意]  藤原鎌足が暗記する程熟読し、藤原氏が代々読み継いだという古代中国の兵法書。太公望呂尚 著)  「有能な隣国人は冷遇させろ」(第二部第三章) / 
[コメント] https://anond.hatelabo.jp/20070521161429 / 
[Web漢文大系] https://kanbun.info/shibu02/rikutou15.html / 

「(原文) 五曰 嚴其忠臣 而薄其賂 稽留其使 勿聽其事。亟爲置代 遺以誠事 親而信之 其君將復合之。苟能嚴之 國乃可謀。

(読み下し) 五に曰く、その忠臣を厳にして、その賂いを薄くし、その使いを稽留して、その事を聴くなかれ。
すみやかに代わりを置くことをなさしめ、遺るに誠事をもってし、親しみてこれを信ぜば、
その君まさにまたこれに合わんとす。
いやしくもよくこれを厳にせば、国すなわち謀(はか)るべし。

(訳) 第五に、 (隣国から交渉に来た有能な) 忠臣には、贈り物を与えず、無為な時間を過ごさせよ。
別の (より無能な) 者を来るように仕向けて、その時は大いに誠意を示し、成果を与えよ。
そうすれば、隣国では主君が無能な者を重用し、有能な忠臣が失脚する。
そしてやがては滅ぶ。」

マキアヴェリ  「隣国を援助する国は滅びる」  /🔸ルソーの一般意志 

🔍 「隣国を援助する国は滅びる」マキアヴェリ
https://anond.hatelabo.jp/20080616182520 / 

🔍 「マキアヴェリ『君主論』を読む」
「同時に思うことは、ヨーロッパは16世紀のマキアヴェリ『君主論』の民衆からステップアップし、18世紀のルソーが『社会契約論』で説く人民主権の人民にまで自らを進歩させたという歴史だ。」
「カントの『永遠平和のために』は、アメリカの古典トップ100には入っていない。18世紀に国際連合の創設を提起した書であり、われわれ日本人には(特に政治学においては)重要な古典として仰がれているけれど、欧米ではそうした事情になっていない。これでは到底、アメリカの大学生が日本国憲法9条の原理に到達するということはないだろう。欧米の政治思想史は確かに積み重ねの政治思想史であり、2千年以上の議論と経験が有意味に積み上げられ、それが人類の進歩をなして確固とした内容のものだが、肝心のところで理想の前で足踏みしているように見える。」

🔸ルソー「社会契約論」

🔍 OpenShelf公式ページ「社会契約論」
「最後に、国家が滅亡の淵に瀕して、幻影のような空虚な形骸をしか残さなくなり、全ての人の心中で社会のきずなが破壊され、最も賤しい利益が、厚顔にも、神聖なる公安の名を装うようになると、一般意志は沈黙し、世人は滔々とうとうとして私利私欲にかられ、何人も市民としての意見を発表しなくなり、国家はまるで存在しなかったかの如くになる。そして、私人の利益のみを目的とする不正な法令が、法律という名前の下に不法にも可決されるようになる。
然しからば、これによりて、一般意志は滅びたということになるだろうか。あるいは腐敗したということになるだろうか? 否、一般意志は常に不変であり、純正無垢である。」(第4編 第1章より) 

「人それぞれ」 論は的外れ 


(普遍性関連記事)
🔍 東洋経済オンライン記事 『実は、「おしゃれにはセンスが必要」「ファッションは人それぞれ」「正解なんてない」といった「常識」は、少しずつ的外れなのです。』 

ソーカル語録 / 脱構築の不明瞭さについて。 デタラメな論文でも掲載された 「ソーカル事件」 = 「簡単なことを難しく言うポスト ・ モダニストは権威主義」 


(倫理・人文学関連記事)
🔍 Wikipedia「アラン・ソーカル」『一般には、ポストモダニズムへの批判者として最もよく知られる。1996年デューク大学出版が発行する『ソーシャル・テクスト』誌に、意図的に無意味な論文を投稿し、実際に掲載されるというソーカル事件を起こしたことで有名になった。』
/(語録)『私は恥知らずの古い左翼なので、一体どうやって脱構築が労働者階級を救うことができるのか、全く理解ができないのである。そしてまた、私はやぼったい古いタイプの科学者でもあり、外的世界とその世界についての客観的知識が存在し、自分の仕事はそれを発見することである、とナイーブに信じている』 

🔍 同「ソーカル事件」『ソーカルはポストモダン思想家の文体をまねて科学用語と数式をちりばめた「無内容な論文」を作成し、これをポストモダン思想専門の学術誌に送ったところ、そのまま受理・掲載された。その後ソーカルは論文がでたらめな内容だったことを暴露し、それを見抜けず掲載した専門家を指弾するとともに、一部のポストモダン思想家が自分の疑似論文と同様に、数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用していると主張した。』『ソーカルによれば、(略) ポストモダン思想家たちは「人文科学の曖昧な言説に数学的な装いを混入し、作品の一節に「科学的」な雰囲気を醸し出す絶望的な努力」をしている。』『批判の焦点は、ポストモダニストが「簡単なことを難しく言うために比喩を使っている」という点にあった。』『1996年、「ソーシャル・テキスト」誌の編集長はソーカル事件の件に関してイグノーベル文学賞を受賞した。「著者でさえ意味がわからず、しかも無意味と認める「論文」を掲載した」のが受賞理由である。
受賞に際しての「ソーシャル・テキスト」誌の編集長のコメントは「ソーカルの論文を掲載した事を、心の底から後悔しています」であった』


「進撃の巨人」


(倫理関連記事)
📙 劇画「進撃の巨人」最終エピソードに関してネットに書いたコメント (一部修正)
『なんで作者は「(本来感情移入の対象であるメインキャラクターが、巨人を使い) 同胞以外8割の人類を攻撃」なんて展開を設定したのか…
(そんな展開が無くても、作品ではあの感動的な「巨人を無くすためのストーリー」が成り立ってるから) アニメだけでも、その場面はやらないで頂きたい。
これまで頑張って来たスタッフ・キャストも可哀想だ。
署名運動を行う外国のファンは、やっぱりまとも。作品を真に愛してる。』

📙 同。他者コメントへのリプライ (一部修正) 
 『ならば、反対・対抗したミカサやアルミンやハンジも「平和ボケ」なのか?
そんなコメントを書く方こそ、戦争を理解してない「平和ボケ」であろう。
作品への常識的な批判が機能している外国には、上から目線のネトウヨは居ないはず。』

📝 ハンジは言ってないだろうか「あってたまるか!! そんなのナウシカの巨…」

/🔍 「進撃の巨人」132話 感想 (ハンジの決意) https://manga-games.com/shingeki-no-kyojin-magajin-132/ /🔍 138話 感想 https://manga-games.com/shingeki-no-kyojin-magajin-138/
🔸Amazon ユーザー欄の、 ゴルゴさんの批評 (次リンク) なども108もの突出したイエス数を得ているにも関わらず「批判的意見欄」に於いてすらも何ページもめくらないと出てこず、手前に出るのは総じて妥協的な感想なので、テーマの説明のひとつとして貼っておきます。
🔍 Amazon ユーザー欄 ゴルゴさんのコメント  https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R31GVX9MQA9XAL/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B093PWG7BG / 
/🔍 上のゴルゴさんコメントが引用しているUntitleさんのブログ ( https://banana-snow.hatenablog.com/entry/2021/04/21/022032 ) のセンテンス 
『(A) 世界連合(これもよくわからない。世界連合って具体的に何よ?)に虐◯される もしくは (B) 世界を虐◯するのどちらかしか方法がなくて、第三、第四、第五…の方法がないように見せているのはそりゃそうでしょう。だって、やりたいんだもの。始祖の力を手にしたエレンは地ならし以外の選択肢を選ばないし、メタ的に作者様もそれを描かない。だから、選択肢が他にないんじゃなくて、ないように見せているだけ。』『おかげで、虐◯を必要悪として正当化している読者をそこらじゅうで見かけるし。』/
/🔍 パンダさんのコメント『マーレ人とどう和解していくのか?という難しいテーマでやって欲しかった。』
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3DFS128M7LG51/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B093PWG7BG /   

📝 [ネタバレ] /「進撃の巨人」のシリーズ前半でパラディ島の城壁内に住む (エレン・イエーガー、彼を慕うミカサ [東洋系のヒィズル人将軍家とのハーフ]、彼らの旧友アルミン、ハンジら) エルディア人を外から襲う巨人 (無垢の巨人) は、実は敵対するマーレ人の国に残されたエルディア人が、マーレ人の政府によって密かにパラディ島の外縁に連行され、巨人化の注射をうたれ放置されていたものだった。ライナー (マーレ人とのハーフ)、ベルトルト、アニ 、「マーレ編」から登場するピーク、ガビ (ライナーの従妹)、ファルコらがマーレに住む (又は住んでいた) エルディア人 (ライナー以下3名はパラディ島の軍人だが中盤で親マーレ派と判明)。エレンは「超大型巨人」の制御能力を得て、「イエーガー派」からの支持を受け、パラディ島の外の人類への攻撃を計画するが、「エレン・ストッパーズ」(ミカサ、アルミン、リヴァイ、ハンジらパラディ島前線の兵士らとマーレ在住のエルディア人など) が対抗する。

🔍 アル公式ページ 「進撃の巨人」の場面。

🔍 ガビが涙ぐむ場面


マイコメント集 


(📝 23年9月25日未明に本ページに「進撃の巨人」についての、上の方の [📙マークの] マイコメントを載せた後の同日夜、Evernoteに「進撃の巨人」に関するReddit [米の英語掲示板] での書き込みの訳を記して読んでいると、急にEvernoteのどの枠にも全く書き込めなくなった。PCを一旦止めても同じ。翌朝も。記入した瞬間、即はじかれる。[およそ1万項目となる非公開のデータベース事典として記入を続けている] Evernoteでこんな極端な事は初めて。はてなブログの非公開版や紙のカード、A4ファイルにも「事典」を記しているので、主力を移す機会となるかも。

📔 本ブログ 関連記事





)

(📝 2023年10月11日のコメント)
#「フィクションの戦争描写へ意見しただけで直後に長年のブログが閉じられて困っている庶民」から見ると、「リアルのただ凄惨なだけの戦争暴力の双方それぞれに、日本ではいわゆる左派リベラルすら党派的偏頗的に肩入れ (結局はそれらの正当化) してまかり通っていること」に、控え目に言っても唖然とする。

#弱者を守る口実で戦争を肯定する偽装左翼隠れ右翼 しかいないとなると、日本もどうなってしまうか分からない。  
#戦争反対 の意味を改めて強く把握すべき。

(📔 上コメンツの「つぶやき」のリライト [同日] https://note.com/artandmovie/n/n07a45361b412 )

(10月12日追加コメント)
「お笑い芸人」というジャンルの人による
不正系の不祥事の発生率が、芸能人でも飛び抜けて高い感じがする。
実際にそういう指摘も有り、データを挙げていけば明確になるだろう。

番組等での揚げ足取り的で粗野な芸人としての「突っ込み」のパターンを行うごとき資質との「関連」を感じざるを得ない。
結局メディア等での、そんな (何でも表面的な「笑い事」にしてすませたり、けなしたりする)「突っ込み」の「スタンス」自体にやはり問題が有るはず。

📔 ブログ内関連記事


⚜  


(10日8月22年8月10月11月,12月 [「倫理関連記事」を追加], 23年1月8月9月10月11月12月24年1月更新)


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