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山田洋次が是枝裕和を批判! -「最近の日本映画は観る人を重く暗くさせるものばかり」

7/28 に放送されたNHKの『首都圏情報ネタドリ』で、山田洋次が特集され、新作映画の撮影風景が紹介された。合原明子によるインタビューも盛り込まれていた。吉永小百合と大泉洋が共演する『こんにちは、母さん』は90本目の監督記念作であり、9月1日に封切・公開が予定されている。『君たちはどう生きるか』の開演前の予告時間帯でも、この作品が案内されていて、酷暑を凌いだ後の楽しみが一つできたと朗報に思っていた。今年は、年末にかけて『翔んで埼玉』の第2弾も控えているし、アニメ版の『窓際のトットちゃん』も予定されている。『ゴジラ-1.0』も11月に上映される。話題作が盛り沢山で、映画館に足を運ぶ機会が増えそうだ。山田洋次は91歳。元気で現役で映画を撮っている。

このNHKの番組は首都圏だけに限定されたものだ。が、放送を見た直観では、60分近い内容が実際には取材収録されていて、いずれ全国向けのNHKスペシャルとして放送されるのではないかという予感を持つ。そのファーストカットとして、濃縮ジュース的に編集されたダイジェストが、インタビューの相手を務めた合原明子の番組で紹介されたのではないか。そう予想する根拠は、番組の中に、山田洋次が是枝裕和と対談する場面が組み込まれていたからだ。そして、誰もが注目するその対談が、わずか1分か2分ほどの短い時間に編集されていた。しかも、番組をテキストで整理・紹介したサイトの中に、その対談の情報がない。おそらく省略と割愛は意図的なもので、本編をお楽しみにというNHKの作為だろう。

山田洋次と是枝裕和の対談。このビッグな企画は誰もが見たい。日本映画の現状と将来について、二人が徹底的に議論し合い、意見をぶつけ合う場面を見たい。日本人だけでなく、韓国の映画ファンも、欧州の映画関係者も注目する重要な瞬間だろう。91歳の山田洋次は遺言するように語るだろう。実際、短い放送時間だったが、非常に印象的な言葉を山田洋次は是枝裕和に向かって発していた。「最近の日本映画は、観る人を重く暗くさせるものばかりだ」「観て、生きているのが嫌になっちゃう映画は作らない方がいい」。このストレートな発言には本当に驚いた。当然だが、この言葉は、一般論の形式を装いながら、是枝裕和の作品に向かって言っているのであり、是枝裕和に対する渾身の批判の一撃だ。誰でも分かる。

5年前のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した『万引き家族』への批判だ。山田洋次は、是枝裕和の『万引き家族』に対して、観客を重く暗い気分にさせる作品として否定的な所見を抱いていたのであり、その持論を遺言として、公開の場で直接に放擲したのだ。事件の発生だと思う。世界の映画の業界と市場では、今日では是枝裕和の方が山田洋次よりも有名だろう。「世界の是枝」。その飛ぶ鳥を落とす勢いの「世界の是枝」に対して山田洋次が、公共放送のカメラが回る前で直球の批判を放った。私は驚き、同時に、よく言ってくれたと感激した。同感だったからだ。傑作として称賛されてきた『万引き家族』について、私は積極的な感想を持たない。あれに最高賞を与えたカンヌに対しても、動機を疑う気分を拭えない。

まさに、ずばり「観客を重く暗い気分にさせる」作品だった。希望のない、救いのない、後味が悪く残る映画だった。ようやく山田洋次がそれを口に出して言ってくれた。大きな事件であり、画期的な出来事だと思う。だが、日本社会ではこの衝撃的な事件がニュースとして伝わっていない。周知が広がっていない。大きな事件だけれど、番組を目撃した個々が意図的に過小評価し、ネットの関心から遠ざけている。意義を拾い上げようとせず、揉み消そうとしている。おそらく文化的思想的に複雑な事案だからだ。言挙げすると面倒な騒動に巻き込まれるからだ。しばき隊が出動して袋叩きされるネットリンチの被害に遭遇しかけない、リスキーな(マイノリティが絡む)問題系だからだ。投稿の反応は事件を茶化したものになっている。

NHKの放送では、山田洋次の直言を受けた当の是枝裕和自身が、反応をゴマカすような表情と口調で、その場を微妙に流して凌いでいた。是枝裕和の立場に立てば、対談の設定と撮影は気の毒だったかもしれない。大巨匠から最後かもしれないオファーが来て、是枝裕和の方が断るという失礼な選択には出られなかっただろう。受けて立つしかないし、受けて立てば、真剣な批判を正面から食らう恐れがある。路上まで山田洋次を出迎えた是枝裕和の態度が、最初から「困った仕事を引き受けたなあ」「お手柔らかにお願いします」という躊躇と困惑の様子だった。クリティカルな事態を予想していたのだろう。7/28 の放送では中身が大幅カットされていたが、実際の対談はどう進行したのか。全体が放送されれば、反響は大きいに違いない。

是枝裕和は、安倍政権に批判的な発言をしてきた左派の文化人だ。5年前のカンヌでの表彰の際、安倍政権の歴史認識と近隣諸国への外交姿勢を批判している。この立場は私と同じであり、山田洋次とも同じである。そうした政治的立場は同じなのだけれど、違うものがある。映画制作の理念と目的が、山田洋次と是枝裕和とは異なる。ポリシーが異なる。私は山田洋次を支持する。さて、ここに、もう一人の世界的巨匠である宮崎駿を置いてみよう。3人は、政治的立場は同じである。左派の文化人として主張が同じであり、最近の右翼的な歴史認識の蔓延に反対し、秘密保護法や安保法制を拒否してきた立場だ。その点は同じであり、私もそのバスケットに入る。が、私見では、宮崎駿は、山田洋次よりも是枝裕和に近い位置にいるのではないか。

同じ左派でも、私と山田洋次は同一の系列であり、別系列の地平に宮崎駿と是枝裕和がいる感触がする。果たして、山田洋次は、宮崎駿とジブリ作品についてどう評価しているのだろう。新海誠などのアニメ作品が日本映画を支え、世界からの賛辞と支持を一手に引き受けている現状について、どう思っていることだろう。『君たちはどう生きるか』を見て、どういう感想を持っただろう。吉野源三郎の原作と宮崎駿のアニメは、タイトルは同じだが話の中身は全く異なる。主題で重なっている部分があるかどうかも不明だ。吉野源三郎が宮崎駿の作品を見たら、どうコメントするだろう。吉野源三郎の児童文学については、丸山真男の解説がその教育思想の神髄をよく説明していて、後に戦後民主主義の指導書として位置づけられたことでもその意味は明らかだ。

吉野源三郎は、一高の校長だった安倍能成の教え子だった。安倍能成や吉野源三郎の戦後民主主義がどのような思想であったのかは、1947年に制定・公布された教育基本法(改悪前)の理念を知ることでよく分かるような気がする。第1条(教育の目的)にはこうある。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」。この条文は、第一次安倍内閣の2006年の法改悪によって改定され、「真理と正義を愛し」の部分は削除された。正義を愛する人間に育てるという目的性は、日本の教育から失われた。この方向性は、法改悪時、右翼だけでなくリベラルも支持していたのではないか。

1990年代以降、左派において正義の問題が解体脱構築される。正義を掲げたり正義を貫く態度がネガティブに意味づけられ、価値相対主義が前面に出る思想状況となった。マルクス主義・社会主義の後退と歩を一にしている。価値相対主義という言葉は、批判語なので評判がよくないが、基本的に脱構築の思想 - 近代否定・国民否定 - は価値相対主義の性格が濃厚だ。宮崎駿の創作はこの傾向がくっきりで、善と悪の区別がなく曖昧なのが特徴であり、悪人のキャラクターがすぐに善人に変化してマイルドに調和する。子どもに対して、正義など相対的なものだと教え、悪を倒して正しい世界を築けとは教えない。私の視線から見れば、宮崎駿の思想は、戦後民主主義の代名詞となる吉野源三郎の硬質な思想とは本質的に異なっていて、倫理教育という観点からは大きく一線が引かれるものだ。

果たして、宮崎駿は、最後の集大成の作品を『君たちはどう生きるか』と名付けるに当って、こうした葛藤や矛盾を意識し自問自答することはなかったのだろうか..と思う。けれども、こうした問題提起が世間で意味があったのは、今から20年前までの時代環境で、今となってはもう誰も耳を傾けず、興味を感じるテーマでもない。ネットの片隅の老人の駄弁でしかない。無駄だからやめよう。吉野源三郎、山田洋次、宮崎駿、是枝裕和と、4人のポジショニングについて試論した。個人的に、カンヌやハリウッドが日本映画に最高賞を与え、世界一の傑作だと認めるなら、ぜひ『たそがれ清兵衛』を選んで欲しかった。いい映画だ。完成度が高い。侍(日本人)を描いていて、世界中の人々に共感してもらえる。生きる希望を感じてもらえる。『万引き家族』が最高賞に値するとは思わない。

われわれは、90年代以降の日本人は、子どもたちを嘗ての教育基本法の理念と精神で育てなかった。正義と真理を愛する燃える心を持った人間に育てず、正義なんてもんは相対的だよと教え、根っからの悪人なんていないと教え、悪を倒すために闘うことの意義を教えなかった。だから、ビッグモーターの資本主義がまかり通り、若者はビッグモーターの従業員のような人間になるのだろう。ビッグモーターに入社した若い労働者は、あの邪悪な経営者がカオナシのように映っていたのではないか。どこかで折り合いがつき、最後はカオナシのように変身し、全体がマイルドに収まると期待(幻想)し、自分の方から妥協して、経営者の言うままになったのではないか。日本の若者たちに特徴的なのは、長いものには巻かれろという態度であり、抑圧への抵抗や革命の主体性の不当視であり、体制の肯定と順応である。

社会矛盾の本質を問い返さない。命懸けで闘って歴史を紡いできた者に目を向けず、現代の社会環境の前提を作ってくれた者たちへの感謝がない。だから、リスクなので結婚せず子どもは作らないなどと平気で言う..駄弁はやめようと言いつつ、さらに深みに嵌まってしまった。反省。最後に、NHKの番組を見て痛感させられたのは、山田洋次の知識人としての若さである。不思議だ。現場で映画監督の仕事をしている山田洋次は、元気だけれど確かに91歳の年齢は隠せない。一作毎に老衰している状況が分かる。だが、時事や文明批評をスタジオで語り始めると、言葉も表情も20年前の姿に甦り、年齢不詳の知識人となる。談論風発、切り口が先鋭、言葉が的確で、全く衰えを感じない。エッジが利いていて、われわれを代弁している。

憂愁を帯びた知性のエンジンが廻り、オーラルの世界にわれわれを引き込んで魅了する。華麗で説得的な絵(ビジュアル・コンテンツ)が出現する。いつまでも健康で長生きしてもらいたい。

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