マガジンのカバー画像

年中夢求

14
ラクな介護の仕方を混ぜつつ ちょっとだけ難しい話なんかも。 リアルな介護と理想の介護 いつか自分が受ける側に立つときの参考になればとm(_ _)m
運営しているクリエイター

#介護

認知症という名の光。

認知症という名の光。

丁度私が小学生とか中学生の頃、アウシュビッツやら三重苦やら、色々…持ち出してネタにする授業が多かった。ヘレンケラー、コルチャック先生なんかもそのひとつだった。

これは何かと言うと単純に「今平和です」ってことを表していたわけです。

人間て変な生き物なので、自分より苦労している人達をネタにして「私達は幸せですよ」という訳ですね。

広島長崎が世界から色々言われるのもその一つ。これっておかしいと思い

もっとみる

良い施設、を目指す落とし穴。

何をもって良い施設と呼ぶか?はそれぞれいろんな見方があるので一概には言えないかもしれませんが、でもそれぞれの施設の中には、どんな施設であれ「良い施設になるための目標や課題」があるはずです。

昔の話ですが、「痴呆症」というものに該当されていた方が入らされていた施設、それは本当に人権などがないようなものでしたが、いまでこそそういった施設は少なくなりつつある、というか、ある程度「高齢者」としての枠組み

もっとみる

介護士の職権乱用について

「本当にありがとう」
そんな言葉を 利用者さんから貰えることで
また頑張ろうと思える・・・・なんて。
職権乱用だと思う。
それは介護には全く必要がない話なのに。

介護って本当は感謝されるものではないのにね。

だけど世の中には
感謝することで、誰かの役に立っていると思う人
感謝されることで、誰かの役になっていると思う人
がいて

一見それはバランスが取れているかのようにも思えるんだけど、
でもよ

もっとみる
介護士の未来。

介護士の未来。

誰も、介護士の世話になんかなりたいと思わない。自分のことが、自分でできなくなる日のことなんて誰も考えたくない。
病気とは、少しだけ違う。生まれてから全く病院にかからないという人は、この地球では少数派だと思う。だから、医療とは少し違う場所にある。だれも、介護を受けることなんて考えたくないのだから。

でも、病院のない国、地域があるように介護という概念自体がない場所もある。それが良いのか、悪いのかとい

もっとみる

経営と社会貢献からみる介護。

世の中には企業の発展がそのまま社会貢献となっている会社がたくさんあります。そういった企業は会社の発展をある通過点として考えており、その先にあるものがきちんと見え、そこに向かって常に成長し発展しつつ、変わらずに顧客のニーズに応えていますよね。
そういったものを経営戦略などとして、セミナーなどで学ぶことも必要なのかもしれないと、最近密かに思っています。

介護という業界そのものが、ひとつのマーケティン

もっとみる
介護士っていう職業への考察。

介護士っていう職業への考察。

なりたい職業NO1 に介護士が上がる世の中にするしかないと最近は思う。ただし、期間限定で。期間は2020年~2050年まで30年限定で。
ずっとではなくていい。別に私は介護士自体を神聖化したいわけでも何でもないし、むしろ無くなってしまう時が来れば、それだけ必要度がなくなった世の中になっているわけだからそのほうが良いとさえ思う。
ちょうどベビーブームのころの人たちが高齢を迎える時期の期間が終わるまで

もっとみる
依存心と介護

依存心と介護

介護という言葉の意味は、障害者の生活支援および高齢者、病人の世話をすること。だから、例えば家族から世話をされている人は「介護を受けている」ともいえる。
でも、家族間においてその人にそういう生活支援が本当に必要なのかどうなのかをマネジメントしてくれる第三者というのは、ほぼ入らないといっていいかと。仮に入ったとしてもそれを受け入れられないかと。
実際、障害者や高齢者のケアマネジメントもその人自身の有り

もっとみる
価値観という名前の色眼鏡

価値観という名前の色眼鏡

昨日大好きな人とのやり取りの中で
自分がどういうスタンスでこの仕事をしているのかってことを再確認した。
漠然とこうというのをもちながらも、きちんと言葉にすることはあまりないから。でも言葉にすると自分でも驚くぐらいすらすらと出てくるものだ。

人間誰しも「これはこうだ」という思い込みがある。其れが他人とのすり合わせの中で「価値観」になっていく。すり合わせというのはある意味で、自分自身の中での「正当化

もっとみる
介護のイメージ

介護のイメージ

介護を全くしたことがない人が、抱くイメージとはどんなものなんでしょうか。皆さんの中にもきっと、漠然としたイメージがあるのではないかと思います。
私自身はというと、中学生の時に90歳の男女の現実を目の当たりにしました。認知症という、昔でいうところの「痴呆」にかかっているかいないかは抜きにしても、90歳の男性、女性について、きちんと知ることができるチャンスに恵まれていた私はラッキーなのだと思います。

もっとみる