経営と社会貢献からみる介護。

世の中には企業の発展がそのまま社会貢献となっている会社がたくさんあります。そういった企業は会社の発展をある通過点として考えており、その先にあるものがきちんと見え、そこに向かって常に成長し発展しつつ、変わらずに顧客のニーズに応えていますよね。
そういったものを経営戦略などとして、セミナーなどで学ぶことも必要なのかもしれないと、最近密かに思っています。

介護という業界そのものが、ひとつのマーケティングとして高齢化社会のビジネスチャンスだととらえている人は少なくありません。だけど、私の周りにいる同、異業種者でも、そういった視点からの経営戦略をもつ仲間は正直いません。
介護のゴールは回復ではないということをまず頭に入れておいてほしいです。もちろん、回復することも大切なことであり、ADLが向上し、介護度が下がっていくことを視野に入れて考えることは大切なことです。
でも、それはさっきと同じく「通過点」なのです。

今、この「介護」という分野を考えていくために、一番大事なことは
「個々がもつ死生観の掘り出し」なのです。
エンドオブライフケア、つまり人生の終焉について考えることを、私たちはあまりにも避けてきていたのではないでしょうか。
それは介護という世界において、一番根幹になければならない部分なのに、そこを避けて作り出されてきていることが多い、そんな業界なんだと思います。

そこで、これから50%が後期高齢者となる時代を迎える前に、一人一人が生きることと死ぬことについて、きちんと考えていける、そんなスタートラインとなるのが、この介護の業界での経営戦略になるのではないかと。
銀木犀の社長の、下河原忠道さんの想いをフェイスブックで拝見してそんな風に思うのでした。

もっと自分自身の死、また身近な人の死についてしっかりと向き合うことで、人生の彩を深めていくことになるのだと感じます。それをいかに経営として取り組んでいけるか。
そこで、社会貢献と経営がつながっている企業から学ぶことは多いのだと思います。

何のために死生観をとらえる必要があるのか?
そこについては様々な理由がありますが、一番大事なのは
すべての施設、自宅において「看取り」が当たり前に行えるようになるために、必要なことだからです。
現時点において、まだまだ看取りは当り前ではありません。病院で亡くなる人が圧倒的に多いからです。
個々の死生観がきちんとなっていくことで、本来なら当たり前であるはずの看取りがしっかりと当り前になっていくのです。

施設で亡くなることを希望される方に、職員は本当に寄り添うことができるのでしょうか。それはなにも特別なことをする必要はなく、ただ、同じ時の流れをしっかりと感じ、共有するということなのだと思います。
人間として、本来なら当たり前にできること、それは寄り添うということ。
深い生を感じながら、肉体の役割を終える瞬間を感じること。
ある意味で宗教的要素になるのかもしれません。
でも、それでよいのだと思います。

その人自身の死生観が、その人自身の宗教観とリンクしていく。
あらゆる文化が共存しあうこの地球のなかで、それはごく自然な営みであることが、今の時代は容易に感じられるのかもしれません。
その人が、その人らしい生き死にをカスタマイズする。
そのお手伝い、寄り添いをするのが、私たち介護に携わる人間の仕事のような気がして止みません。



もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)