梶井基次郎著「或る心の風景」読書感想文
「見るということ」
子供の頃、私の身体と私は別々で、身体という乗り物に乗っていると思っていた。乗り物には、年齢や性別や姿など、他人に対して私という存在を説明する装備がされていた。時々、私は、私という乗り物と離れ離れになった。それは正確に一人きりだった。孤独でありながら、寂しいという感情とは切り離されていた。快でも不快でもない。ただ何者でもない私が一人だという実感があるだけの状態だった。
物を見るということには、自分の心境に寄せたり何かを投影するということを超えた、私がその