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志賀直哉著 『山科の記憶』感想文

登場人物の誰の気持ちもよく分からなかったので、続きで『痴情』と『瑣事』も一読してみました。
山科の記憶だけ読むと、変な男だとしか思えなかったのですが、『痴情』『瑣事』を読むと、共感云々よりも、彼と妻の会話、浮気相手の女がどんな女であるのか、などを示す場面描写や設定や会話の巧みさに唸らされ、気づけば、二人の女どちらにも愛情があると言う男の心を興味深く感じ、読み進めていました。

また、『瑣事』で書かれているように、彼が、成熟しているのか幼いのか分からない四十三という年齢であることも妙に腑に落ちました。『山科の記憶』「痴情』『瑣事』の中で一番印象的だったのは『瑣事』の中に出てくる客車で出会った年の離れた夫婦の様子でした。

課題図書以外のことばかりを書いていてもいけないので、『山科の記憶』の中で印象に残ったところを引用します。 

(引用はじめ)

中の灯を一杯に映した玄関の硝子戸を開けた。いつもすぐ出て来る妻が出て来ない。彼はさらに敷台からそこの障子を開けた。部屋の隅にあたかも投り出された襤褸布のように不規則な形をして、妻が搔巻に包まり、小さくなって転がっていた。彼は妻のこんな様子を見たことがなかった。その変に惨めな感じが、胸を打った。妻を自分はこんなに扱っているのだろうか。妻がこんなに扱われていると感じているのだろうか。その感じが胸を打った。妻は頭から被った搔巻の襟から、泣いたあとの片眼だけを出し、彼を睨んでいた。それは口惜しい笑いを含んだ眼だった。

(引用終わり)


襤褸切のように不規則な形をした掻巻から睨んでいる一つの眼。こんな時に此方を見る眼は二つより一つであるのに違いないですし、いつも明るい家の中から出てくる妻が今日は出てこず、妻の代わりに部屋の片隅に掻巻が転がっていて、その掻巻の中から熱で潤んだつるりとした一つの眼球がこちらを見ている。というのは、男の浮気を経験したことのない私でもヒヤリとして、妙に納得しました。と同時にこんな時にその様な妻の姿を見て「胸を打った」と描ける、志賀直哉は、やはり体力がある感じがするなぁとも思いました。



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