見出し画像

梶井基次郎著『城のある町にて』読書感想文

「胡桃を鳴らし続ける人」


(引用はじめ)
 それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。 なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。(『ある午後』)

(引用はじめ)
「あああ。勝子のやつめ、かってに注文して強くしてもらっているのじゃないかな」そんなことがふっと思えた。いつか峻が抱きすくめてやった時、「もっとぎうっと」と何度も抱きすくめさせた。その時のことが思い出せたのだった。そう思えばそれもいかにも勝子のしそうなことだった。(『勝子』)

乾いた胡桃を振ると音が鳴る。
殻と身の間に空間があり、揺さぶることで、空洞の中で身が殻にあたり音が響きあう。カラカラ音が鳴ると、ふと、ああこれが自分だと思う。ああ、これだこれだ、と何度も繰り返し確認する。峻が思い出せない景色を思い続けるように、勝子が何度も自分の体を強く抱き続けることを要求するように。

峻と勝子はどこか似ている。勝子と亡くなった妹は似ていたのだろうか。

胡桃の音は鳴り続け、そのうちに、自分だと思ったそれが、胡桃の身なのか殻なのか空洞なのか、それとも鳴らすために持っているこの掌の持ち主が自分なのか、それともその肉体の外の自分なのか、わからなくなる。音だけが存在し、自分が自分から離れていく。近づいたり離れたり、大きくなったり小さくなったり、それは、淡い不安と孤独ともにある、自分の内側だけの小さな世界である。

幼い勝子は無意識に音を鳴らし、ふい訪れる不安と孤独に翻弄されているように見えたが、峻のそれはどこか自覚的である。子供の頃から、自覚しながらその中で遊び、まるで妖術が使えそうだと思いながら両手で囲った町を巨人になったかのように眺めたりする。

(引用はじめ)
両手にかこまれて、顔で蓋をされた、敷布の上の暗黒のなかに、そう言えばたくさんの牛や馬の姿が想像されるのだった。──彼は今そんなことはほんとうに可能だという気がした。(『昼と夜』)

城から眺める景色と、その城下町にいる自分、そしてその自分の中の小さな世界を自由に行き来する。自分の持つ離人的なものを自覚的に捉え遊びながらも、そこから決して離れることはできない。峻の研ぎ澄まされた孤独を感じた。

恋心のようなものを抱く信子の体の入っていない浴衣の形をなぞるのが、いかにも峻らしい想いの寄せ方だなぁと思った。

(おわり)


※信州読書会さんに参加したときの読書感想文です。

部分から全体へ広がっていくとても深い読書会に感じました。面白かったです。

読書会の様子↓









この記事が参加している募集

読書感想文

文章を書くことに役立てます。