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大江健三郎『個人的な体験』読書感想文

2020年6月5日信州読書会さんツイキャス読書会の様子

「さようなら、鳥!」

鳥は大学院時代にアルコールに溺れ、その後のキャリアを失う。そして、教授である義理の父の紹介で、予備校講師の職につくも自嘲的に生きている。赤ん坊が生まれる時も、脳瘤がある事が分かった時も逃げる事を考えている。義父から渡されたジョニイ・ウォーカーをきっかけに、女友達の火見子の家に転がり込み、赤ん坊が衰弱死することを願い、そんな自分を恥じている。

小説の中で赤ん坊が脳瘤を持って生まれてきた事はとても重要ですが、鳥は、例え赤ん坊に脳瘤がなくても、その存在を受け入れられなかったと思います。彼が受容できないのは彼自身であり、それを具現化して現れたものが脳瘤でした。赤ん坊が脳瘤をもって生まれてきたことで、過去と現在と未来全ての自分を「受け入れられない」ということを深く自覚して、最後には脳瘤と共に「受け入れる」ことを選んだ。また、脳瘤をもって生まれてきたことを医者に笑われたり、義母に拒否されたりするシーンは強烈でした。脳瘤は象徴で、酷く扱われているのは彼自身ではないだろうかと思いました。

引用はじめ
「鳥は、ウイスキーのラベルに描かれた赤い上着を着て大股に歩く愉快そうな白人をうらやましげに眺めた。こいつは一体どこへ行く途中なんだろう?
引用終わり

彼の人生にはアルコールが深く関わっています。挫折した大学院時代、義父から渡されたジョニイ・ウォーカー、菊比古の店で飲んだウィスキー、
特に、義父からのジョニイ・ウォーカーは、一見残酷ですが、鳥の自己受容の旅への切符の様です。義父自身にも鳥の妻が生まれる時に、鳥ほどでないにしても、不受容の時代がありそこから受け渡された切符なのかなと思いました。

引用はじめ
「お火見さん、見苦しいよ。もう、おやめ! 鳥が自分自身にこだわりはじめたら、他人の泣き声なんか聴きはしないよ」
引用終わり

菊比古は、再会した鳥に憎まれ口を叩いたけど、ずっと鳥自身を知っていてくれたんだと思いました。
そして、大学院時代、アルコールに溺れ、逃げ続けたのは、同級生や先輩と異なり、受け入れられない自分に対する居心地の悪さを感じていたからだということ。いつか自分自身と向き合うという、無自覚ながら、鳥の望んだ必然だったのだ、と思わされます。弟の年代の男の子からみると鳥の未熟さは、率直な純粋さに見えるのかもしれません。

鳥は、その未熟さに、もみくちゃにされながらも、最後には、彼が羨んだジョニイ・ウォーカーのラベルの人物のように、もう、何処に逃げなくても、何処へでも行けるようになりました。 

彼は自分の最後の逃げ場所として火見子を求め火見子に受け入れられることで再生されました。旅立った火見子にとってのアフリカがそのような存在であって欲しいと、願うばかりです。

青乃

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