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魯迅『阿Q正伝』 読書感想文

2020年6月26日信州読書会さん 読書会の様子

『阿Q正伝』を読んで

転がった岩は、丁度、人の頭位だった。ゴロリと横になったそれは、阿Qの顔に似ていた。

阿Qは斬首ではなく、銃殺で刑を実行された。銃殺では刺激がないと民衆は不平不満を述べた。死んだ阿Qを見ても、彼という人間が生きていたことを感じられる人はそこには居ない。

この本を読むのは三度目ですが、毎回とても嫌な気持ちになります。印象的なのは、阿Qが刑執行直前に丸を描けずに恥ずかしがるところです。阿Qはこれまで筆を持ったことがなく、持ち方も分からず、綺麗な丸を書けません。署名が出来ず、代わりに丸を書く、死ぬことも知らずに自分の書いた丸を恥じ、それも忘れて眠ります。

阿Qが何故こんなに無知なのか、と考えると私は暗い気持ちになります。彼一人が怠惰に暮らした結果、彼一人が無知になったのではありません。阿Qは働き者でした。そして、彼だけでなく小説に出てくる人殆どが愚かです。しかし、それは彼らのせいだけでは無く、そうならずを得ない当時の社会構造があります。そして、それは、今の社会の現実と自分自身にも向けられているように感じます。

阿Qが残したものは西瓜の種のような形に歪んだ丸だけでした。無数にある丸の一つ、それが彼であり、歪んだ丸は彼の人生の分身の様なものです。しかし、その丸が書かれた紙も彼の死と共に捨てられたでしょう。村でも代わりの働き手がいるので、誰も彼を思い出しません。彼が生きていた時と同じように。

読むほどに逃げ場がなく、人間社会の中のみに生きる意味を問うことに恐ろしさを感じます。阿Qはどんな時も必ず食われる側に置かれています。しかし、あの日の刑場で死刑囚を見物に来た群衆よりも、4年前の山の麓で「生きていた彼」の肉と皮を狙っていた狼の方が、まだ、阿Qを見ていたように思います。

(おわり)

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