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村上春樹『国境の南、太陽の西』読書感想文

『国境の南、太陽の西』を読んで

私は言葉の前でいつも戸惑います。
発するほどに遠ざかり、何かがすり変わってしまったように感じます。私の中にある、「すり変わってしまった何か」とは何だろう、と考えるのですが、一度も捉えられたことがありません。言葉という形で表されたものと見比べて、これとは違うと思うだけです。

ハジメは、失った、或いは予め失われていると思っている何かを追い続けています。追い求める対象となった島本さんに彼の思う実体はなく、ハジメの実体もどこか曖昧で、追い求め続けるハジメの影が動いているのをずっと眺めているような、そんな気持ちにさせられる小説でした。

私は、いつか死ぬ日までに、毎日何かを失いつづけているけれど、日々の中では息をするようにそれを忘れ暮らしています。でもふとした時、夕暮れの匂いや、夜更の静寂の中で、それらが顔を出して私を試してきます。ある日、太陽の西に向かい死んでしまう農夫、自ら歩いていかなくても必ず太陽は沈むのに、不意に歩いて行く。夕暮れを恋しく思うのではなく、ある瞬間、煙のようなものに捕まえられて、ただそちらに向かってしまう。
これまでの人生の中で、ある出来事がきっかけとなり、傷ついたり、損なったり、勿論その逆のこともありました。でも、この小説を読むと、私が、きっかけだと思っていた出来事は本当の理由ではなかったのかもしれない、そう思わされます。不安や喪失感の実体は、何か出来事が起きたことだけではなく、私が生きている以上必ず辺りを漂っている、もっと漠然とした、永遠に掴めない煙のようなものなのかもしれません。

いつだって、何も損なわずに、誰も傷つけずにいたいけど、繰り返し何かを失い続けるしか生きられないように思います。でも、それは悲しいことではなく、太陽が東から昇り西へ沈むのと同じ様に、ただ、それを知り、歩き続ける、ということなのかなと思いました。

(終わり)

2020年7月3日信州読書会さんツイキャス読書会の様子
色々な方の感想文と解説が聞けます。


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