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創作大賞2024 | ソウアイの星③

《最初から 《前回の話


(四)

 翌日は仕事中にもかかわらず一日中落ち着きなくスマートフォンをチェックしていた。
 朔也さくやから連絡がないことは、〝ファン〟と〝アーティスト〟の関係では当然と思い過ごしてきた日々が、久しぶりに〝友人〟として送られた一通のメッセージにこんなにも心が騒いでいる。この日わたしは何度も仕事を中断してしまい、その度に空しく苛立っていた。とにかく気がかりでもどかしかった。わたしから送ったメッセージに既読のマークは付いていたから、何かしら反応があっても良さそうなものを、なぜ朔也は黙っているのだろうと、その答えを心細く待ちわびていた。
 そんなわたしを勇気づけようとしたのか、『昼休みに電話すれば一発よ』とルナは言う。
 少し前に、朔也はバンド活動と両立できるアルバイトで生計を立てていると言っていたけど、現在の詳しい事情は知らない。朔也の個人的な情報はあえて訊かないようにしていた。そうすることは、朔也との正しい距離を保つことに必要だと思っていた。
「なに、電話すれば一発って。そんなのわからないじゃない。わたしが休憩する時間に朔也くんが電話に出られる状況かなんてわからないし、朔也くんが今どんな生活をしてるかなんて、わたしたちが勝手に想像するものじゃないのよ」
 わたしがルナの言葉に強い抵抗を示すと、ルナは呆れたのか何も言わなくなった。苛立ちを向ける先はルナではないとわかっていながら、彼女の脳天気な発言に苛立ち、八つ当たりをした。
 このときのわたしは、〝だめかもしんない〟という朔也の発言に気を揉んでファンとして苦しんでいたし、返事をもらえなかったことへは、友人として悲しみに胸を痛めていた。だけど、そんなふうに自分を憐れむなんて悲劇のヒロインを気取っているようでそれこそ腹立たしい。それと同時にルナへ八つ当たりした罪悪感もふつふつと湧き上がってきていた。ルナは悪くない。そもそもルナが仕事中のわたしに話しかけてくるのは珍しいことだった。
「ルナも心配してるんだよね。わかってるよ。ごめんね」
 わたしは声を潜めて言った。
「ん、何か言った?」
 前のデスクに座っている先輩が声をかけてきた。気持ちが昂って、思っていたより声が大きくなってしまったのかもしれない。先輩はつぶらな瞳でわたしを見つめて、再び「なにか言った?」と興味ありげに視線を送ってくる。
「いえ、独り言です」無理に平静を装ったから声が上ずる。
「でも今、誰かに謝ってなかった?」
 しっかり聞こえていたようだ。聞こえていたくせに、先輩の表情はきょとんとして、まるで自分の空耳を誰かに認めてもらいたいというような厚かましさがあった。
「いえ、そんなことないです。すみません。静かにします」
「別にアタシ怒ってないよ? 独り言とかさ、うん、アタシもよく言うし。全然、変じゃない。ねえ、それよかランチ行かない? 最近できた〝いきなりシーフード〟知ってる? 立ち食いな上に手づかみで食べるんだよ、ワイルドじゃない? でね、その話を……」
綾子あやこ先輩すみません。わたし、これから電話するとこあって」
 止め処なく話そうとする綾子先輩をいつものように軽くいなすと、先輩は「ふーん」と言って口を突き出し、その口の形のまま不満を漏らした。
「なんか、アタシより忙しそう。ねえ、いつからそんなできる子になった? 元々はアタシが色々教えたんじゃん。お願いだからさ、アタシより出世しないでね?」
 ね? と上目遣いにわたしを見ているその黒い瞳を数秒見つめ返したあと、あからさまに目をそらした。
「さあ。どうでしょう」
 わたしは立ち上がりバッグを掴むと、席を離れようと一歩踏み出したところでふと綾子先輩を見た。捨てられた子犬のような寂しそうな目でこちらを見ている。
『もう、本当に表情豊かだなあ、綾子先輩は。あれ、先輩。また新しいリップ買ったんですか』
「そう! 気付いた? アタシ、ショッキングピンクとか初めて」
『あたしもこの職場でショッキングピンクのリップつけてる人、初めて見ました』
「ぎゃ、恥ずかしい」
『今更ですよ……。ああ、先輩。落ち着いたら行きましょう、いきなりシーフード。ただし、ちゃんと座って食べられるお店に』
 綾子先輩は嬉しそうに、まん丸く握った両の手を胸の前で併せ、椅子に座ったまま数回お尻でジャンプした。そしてショッキングピンクのおばけみたいに、にんまりと笑った。

「ねえ、ルナ。勝手に先輩と話すのやめてよ」
 職場のビルから出たところで、わたしはそう言い放ちルナを睨んだ。と言っても、ルナに姿かたちはない。彼女は〝声〟だけの友人なのだ。
『ごめん、ごめん。だってあたし、綾子先輩好きなんだもん』
 ルナは堪え切れずに笑った。これまでも、おしゃべりで乙女な綾子先輩の相手をするのは大抵がルナの役目だったが、たまにその親しみは度を超すことがあり、わたしは内心ひやひやするのだった。
「確かに、綾子先輩とルナは息ぴったりだけどさ」
 ま、良いけど、と言いながら、わたしはスマートフォンの電話帳から懐かしい名前を探していた。
「あった。はなちゃん。久しぶりだけど元気してるかな」
『え、なに? 今から朔也くんに電話するんじゃないの?』
「しないよ。だって、既読マーク付いてるのに電話までしたら、しつこいって嫌われるよ」
 ルナはわざとらしく、ため息に似せて「はあー」と声を出した。
『複雑だなー。〝アイドル〟と〝ファン〟になった友人の関係って』と皮肉を言う。
 これには、朔也くんはアイドルじゃなくてアーティストだもん、と反論をして、一度大きく深呼吸をしてから華へのコールボタンを押した。
 コール音を数えながら華を想う。優しく包容力のある声を思い出して、いくらか体の緊張が解けた。その数秒後、反応があった。明るい華の声がわたしの耳に届くと、懐かしさで胸が高鳴った。彼女の声を聞くことで、いつでも華と行動をともにしていた当時の記憶が鮮やかに蘇った。

 華は大学の同級生だった。
 わたしは、それまで一度も話したことのない華のことを密かに気にしていた。それはなぜかというと、月に一度、華は普段の服装と明らかに違うテイストの服を着て来る子だったからだ。
 それというのは黒地で、フロント面に英字が書かれたTシャツだった。そのTシャツは、柔和な雰囲気を持つ彼女にあまり似合っていなかった。それでも彼女はそのTシャツを月に一度着て大学にくるのだ。
 ある日、わたしは学食を一人で食べている華に近づき、とうとう話しかけた。と言っても、そのときの第一声はルナだったのだけど。
『ねえ、そのTシャツ』
「あ、えっと、これ? もしかして知ってる?」
「ごめん、知らない。だけど、月一で着てくるから気になってた」
 あはは、と恥ずかしそうに手で口を抑えて笑った華は、わたしに文字がよく見えるようにTシャツを引っ張った。そこには〝CALETTe〟と書かれていた。
「カレッテ? 合ってる?」
「うん、合ってる。推しバンドなの」
 へー、と言ってわたしはTシャツから顔をあげ、華を見た。華は恥ずかしそうなのに、とても嬉しそうにしていた。
「今日ね、吉祥寺でライブなの」と華は言った。
「そうなんだ。毎月、そのバンドの応援に行ってたんだね」
 華はわたしの言葉にはっとしたような顔をした。
「応援かあ。そうだね、そう言えば最初は応援しようって気持ちだったかも。今は、なんていうか……」
 わたしは話の続きが気になった。だから自分でも気が付かないうちに、正面に座る華にだいぶ前のめりに近づいていた。
 近い、近いと華は笑い、「ねえ、なんて呼べば良い?」とわたしを見つめた。
「あ、わたし? 流香るか。華ちゃんだよね?」
「うん、よろしくね。そうだ、流香ちゃん今日暇? もしよかったらCALETTeのライブ、観てみない?」
 わたしは、へ? と素っ頓狂な声を出したけど、すかさずルナが、行く行く! と返事をした。
「ほんと? めっちゃうれしい! チケット代とドリンク代、わたし奢るよ」と華が言った。
「え、だめだよ。わたしちゃんとお金あるから、自分で払うって」
わたしが慌てると、華は満面の笑みでわたしの手を握った。
「わたしの幼馴染のバンドなの。今すごく頑張ってて。だから新規のお客さんに観てもらえるのが本当に嬉しいんだ。バンドの知名度を上げることがわたしの推し活。だから、今回は奢らせて? ね?」
 この瞬間、わたしは華を慕わしく思った。大好きなバンドについて語る華は輝いていて、いつもの何倍も生き生きしていた。思えば、わたしはCALETTeに惚れる前に、この健気な友人の姿に強い憧れを抱いたのだった。



④へつづく



#創作大賞2024
#恋愛小説部門

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