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創作大賞2024 | ソウアイの星④
(五)
いつも落ち着いた印象だった華が、嬉しさから興奮気味に吉祥寺の街を歩く様子は可愛かった。金曜の夜、街ゆくビジネスマンや学生の多くは、週の終わりを迎えた開放感から浮足立っている様子がある。その中でも華の満悦ぶりは輝いていた。そんな空気を醸し出す華と並んで歩いていると、わたしまで幸福感に包まれた。
「誰かとライブに行けるのが本当に嬉しい」
と華は何度も言った。
「いつも一人?」
「んとね、たまに東京に出てきてる地元の友だちと行ったりする。だけどなかなかね。東京はさ、他に楽しいことたくさんあるから」
それぞれ忙しいよね、とわたしは言った。
「わたしの幼馴染、健っていうの。CALETTeではギター担当。ステージ右側にいるから見てね」
そう話す華はずっと口元が緩んでいて、すごく幸せそうだった。
『ね、もしかして彼氏?』
と訊いたのはもちろんルナだ。華は俯いて首を激しく横に振った。だけど言葉では否定しなかった。どっちだろう、と思ったけど詮索するのはやめておいた。それに、紅潮した彼女の頬を見ればそれ以上訊く必要もなかった。
華の案内でたどり着いたのは小さなライブハウスだった。それは吉祥寺駅を公園口へ出て、飲食店や飲み屋が並ぶ狭いバス通りを抜けたところにあった。ひと目で歴史のありそうなライブハウスだとわかる外観をしていた。
地下に降りる階段の壁一面には幾何学模様が描かれていた。ぼんやりと灯された明かりを頼りに気をつけて階段を降りていく。誰かがドアが開く度に階下から漏れ聞こえてくるSEの低音が体に響いて昂揚した。
ライブハウスの重そうなドアに華が手をかけてゆっくりと引くと、暗がりの中に橙色の明かりがいくつも見えた。遠くまで伸びないその明かりはその場だけを照らして、部屋の中にまあるい模様を作っている。
わたしは華に続き、紙チケットを受付の男性に渡すと恐る恐る中に入っていった。そこでようやく会場を見渡したわたしは、思わず「えっ」と声を上げた。
「椅子があるんだ」
わたしが驚いた内容に、華は笑った。
「言ってなかったけど、今日はアコースティック・ナイトって、座って聴く日なの。ミドルテンポの曲が中心だと思う」
「なあんだ」
わたしは安堵して胸をなでた。この日がわたしにとって初めてのライブハウス体験だったから、実はもみくちゃにされるのではと怯えていた。
「華ちゃんがそんなロックなTシャツ着てるから、てっきりダイブされちゃったりするかと思った」
華は自分のTシャツを覗き込んで、ああ、と言った。
「これさ、実はCALETTeの公式グッズじゃないんだ」
「え、そうなの?」
「そう。古着屋でたまたま見つけたTシャツ。普段わたしは黒着ないけど、CALETTeって文字見たら買わないわけにいかなくて」
「本当にファンなんだね」
わたしは唸って感心した。やけにきらきらした華の瞳をじっと見てしまう。好きな誰かを応援するって、こんなにも人を輝かせるものなんだ。
わたしたちは右端の席に座った。ドリンクチケットはビールと交換して、一先ず華と乾杯をした。
「ここが一番良く見えるから」と華は言った。
この席は幼馴染のギタリストを目の前で見ることができる特等席だという。こんなに間近で幼馴染を見て、互いに照れたりしないのだろうかと思ってしまうが、華は気にしていないようだった。
開演時間が近づき、徐々に人が増え賑やかになった。熱気で温まった会場の空気は、普段よりも酸素が薄い気がした。ちらちらとさり気なく周囲の観察を続けるわたしの横で、段々と華の口数は少なくなった。わたしはSEを聞きながら、薄暗く雰囲気のある空間に心地よく酔った。
そうしてその夜、わたしは彼らのステージを見た。
開演時間を数分過ぎたころ、突如、会場に流れていたSEの音量が一気に上がった。それと同時に華がわたしを見て意味ありげに笑う。雰囲気を変えた激しいSEにより、わたしは気持ちがたかぶってうまく笑顔を返せず戸惑った。観客の中から拍手が起こり始めた。それは今日のライブへの期待が込められた温かい拍手だった。すると、またしても突然、ぷつりと音楽が鳴り止み、今度は照明が落ちた。数人の客から歓声が上がった。
ステージ奥の僅かな灯りの中、彼らは舞台袖から出てきて無言で所定の位置についた。
その日の客は三十名くらいだったと思う。無音の中、まばらに拍手が起こり、やがて静まった。
中央に立つ男性だけに白いスポットライトがあてられ、その姿が浮かび上がる。真上から照らすライトで顔に影が出来て、はっきりと表情は見えない。
マイクスタンドの前に立つ彼は、会場が静まりかえるのを辛抱強く待っているようだった。
この緊張感の中にいて、わたしの心臓はどきんどきんと波打っていた。隣にいる華を盗み見ると、胸の前で祈るようなポーズで両手の指を組み、恍惚としてステージを見つめている。
空気を察した観客らの緊張は高まり、それぞれが静寂を作り出そうとしている。やがて、その想いは会場全体で一つになった。
彼らのステージはアカペラでスタートした。ヴォーカルの発した第一声が響きわたると、その凄みのある歌唱力と声量に度肝を抜かれ、固まった。自分と同世代に、こんなに堂々と歌を届ける人がいるのかと、驚き、衝撃を受けた。
次第にバンドの音が合わさり、ステージは照明で彩られ華やかさを増していく。
わたしは彼らのパフォーマンスが、あまりに完成されていた事にショックを受けた。どうしてこんなにすごい人たちが、こんなに小さな場所で、こんなに少人数のためだけにショーをしているのだろうと、不思議でならなかった。
約一時間の彼らのステージで、MCはほとんどなかった。
「そこがまた、気取った感じで良かったあ」
華とわたしはライブ後、安価なファミリーレストランで打ち上げをした。
「気に入ってくれて嬉しいよー。メンバーに伝えとくね!」
華は上機嫌だった。わたしも華も饒舌になり、ライブの感想を止め処なく語りあった。わたしは華の幼馴染で、おそらく華と恋仲にある健をとても素敵だと思った。だけど、何よりもわたしは最初のアカペラで完全に心を撃ち抜かれてしまった。
「ね、華ちゃん。あのヴォーカルの人、名前なんていうの?」
華はにっと笑って「朔也くんだよ」と答えた。
わたしは、へー、と言いながら、彼の頬に三つ並んだ珍しいほくろを思い出した。白い肌に浮かび上がったあの三つのほくろ。揺れる前髪、そして、時折メンバーに向ける優しい笑顔。それから……。
「途中でさ、朔也くん、うちらのテーブル見てたよね」
華にそう言われて、わたしはあからさまに動揺した。今まさにその時のことを考えていた。
わたしは、確かにヴォーカルの朔也と目が合った。それも結構長い時間だった。
「朔也くん、流香ちゃんに気づいたんだね。可愛い女の子が来てるなーって」
「いや、そんなんじゃないでしょ」
わたしは気恥ずかしくて、フォカッチャをどんどん口に押し込んだ。
「ね、来週ご飯行かない?」
フォカッチャをサイダーで飲み下しているわたしに華は言った。
「いいね、いこいこ」
「その日、バンドのメンバーも誘っていい?」
わたしを覗き込む華と目を合わせながら、しばし考えてしまった。バンドメンバーは四人いて、健は確実として、他に誰が来るのだろう。もし朔也が来るとしたら?
そんなことを考えて顔を赤らめるわたしを置き去りにして、ルナと華はとっくに盛り上がっていた。
『タイ料理にしよ』
「いいね! 彼らも好きだよ」
『彼らって、誰が来るの?』
「たぶん、健と朔也くんかな」
わたしは、へー楽しみ、と言いながら身の内の熱くなるのを感じた。
「健と朔也くんはプライベートでも仲良いから、セットで呼びやすいの」
華は嬉々として話した。
「朔也くんね、ほろ酔いで気分良くなると歌ってくれることあるんだよ」
彼のアカペラ、すごいよね、と華が言った。
わたしは何度も頷いた。どれだけの集中力があるとあのような世界感を声だけで表現できるのだろう。思い出すとわたしの体を再び朔也の歌声が響いて駆け巡った。
「ねえ、華ちゃん。これからはわたしもCALETTe、推して良い?」
わたしは決心して言った。すると華は黙ってわたしの手を握り、泣きそうな笑顔を見せた。
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