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創作大賞2024 | ソウアイの星⑧

《最初から 《前回の話


 (十)

 体を離しても、しばらく顔をあげられなかった。弱々しく精気を失った朔也さくやを見ていられなくて、つい自分の気持ちを優先して行動したことを後悔していた。朔也が今何を思っているのか、彼の顔に書いてある気がして、確かめるのが怖かった。
「あのさ、メッセージは読んだんだけど」
 頭上から朔也の声が降りてくる。消え入りそうなその声を聞いて、ようやくわたしは恐る恐る上目遣いに朔也を見た。朔也の瞳は、近くのライトが反射して潤んでいるように見えた。
「あれ以上流香るかに弱音を吐くと、ほんとにステージに上がれなくなる気がして、返せなかった」
 ごめん、と言ったその声はライブ後のようにかすれていた。
「流香は気づいてたと思うけど、なかなか前と同じような音域を出し辛くなってて。流香の好きな曲とかも、最近あんまり出来なかったし」
 わたしは朔也にそう言われて動揺した。なぜなら、わたしは朔也の声の不調にはほとんど気づけていなかったのだ。
「正直、先月までは、わたしはそんなに気にならなかった」
 気付けなくてごめん、と言いかけてやめた。きっとそんな言葉はなおさら朔也に罪悪感を抱かせる。
「俺、ライブ中止にしちゃったし」
 朔也から吐き出された息は白く、その場を漂い、すぐに消える。それはとても儚かった。
「わたし、中止になったライブのチケット、払い戻ししなかったよ」
 わたしがそう言うと、朔也は小さな声で、なんで、と言った。
「だって、チケットを手に入れた瞬間からわたしのライブは始まってるんだもん。ライブの日を楽しみに待つかけがえのない時間も、わたしには十分価値があったから」
 なんだよ、それ、と朔也は力なく笑った。朔也が笑った。わたしは嬉しくてしばらく一方的に話をした。
 はなとライブに行かなくなって、どんな友達と行くようになったか。最近のCALETTeカレッテのグッズで気に入ったもの。SNSを開くと、つい〝CALETTe〟で検索してしまって、肯定的な意見を言っている人に〝いいね〟を押しまくっていることなど。どうでも良いこと。今必要のない会話を、ただひたすらかき集めて朔也にぶつけていた。朔也が口を開かなくて良いように。決して、彼の抱える問題の核心をつかないように。
 だけどやっぱり、朔也はそんなわたしの不自然な態度に気づいていて、いつからか上の空で、相槌も打たなくなった。
「ごめん、わたしだけ話しすぎたね」
「いいよ、別に。流香が元気そうで良かった」
「やっぱり、うまくいかないみたい。遠回しに、当たり障りなくなんて、わたしには無理」
 朔也は頷くと、静かに話し始めた。
「手術はあっという間なんだって」
 今度はわたしが頷いた。
「それなのに、ものすごく、こわい」
 ゆっくり、言葉を区切りながら話す朔也は、目の前の暗い池を見つめている。
「もし歌えなくなったら? もし、新しく生まれ変わった自分の声を、好きになれなかったら?」
 小さな手術で、ものすごく大きな変化が起こる気がしてこわい、と朔也は言った。
 朔也の不安は当然のことで、彼の声にどれだけの人が幸せをもらっているかを考えると、朔也がいま背負っているものの大きさに、わたしですら震えてしまう。
「仕方ないけど、手術後の声は変わる可能性があるって。だから、新しく育てる気持ちでいてくれって、主治医からは言われてる」
 流香はどう思う? と言って朔也はわたしを見た。不安そうな瞳がわたしを真っ直ぐに見つめる。
「いつもそうやって真っ直ぐ見るよね、朔也くんは。出逢った頃と何も変わってない」
 わたしは一呼吸おいて、朔也を見つめ返した。揺れているその暗い瞳を、しっかりと捉えた。
「これまで、わたしは何回CALETTeのライブに行っただろうね。ライブは生き物って、よくCALETTeのメンバーは言うけど、まさにそうで。一度だって朔也くんの歌が同じに聞こえたことはないし、その日その時に朔也くんから生まれる声を聴くために、わたしはライブに行ってるの」
 そこまで言って、自分の耳が熱くなるのがわかった。
『がんばれ、照れるな!』とルナが応援している。わたしは今立っている場所が、人通りの少ない公園のマイナースポットで良かったと思った。
「前にけんくんが言ってた話、わたし好きだな」
 数年前、ライブ後にメンバーの出待ちをしていた青年が、健にサインを求めて近づいてきたことがあった。
 最近では数が多いからファンサービスはやむなく見送っているCALETTeのメンバーも、この頃はまだファンとの直接の交流を楽しんでいた。
 ギターを抱えたその青年は、サインペンを差し出しながら、ギター初心者らしい質問を健にぶつけた。
「どうしたら速く弾ひけるようになりますか」
 健はギターにサインを書き終えると顔をあげてその青年に言った。
「速いのが弾けないってことは、今は遅いのが弾けるってことだよね。だけど、ギター始めた頃は、当然なんにも弾けなかった。だよね?」
 青年は不思議そうな顔をして「はあ」と言った。
「てことは……どういうこと?」
 健はいたずらっぽく笑って朔也にバトンを渡す。
 急に健から話を振られた朔也は驚いていたけど、これには真面目に答えた。
「練習すれば、今より速いのが弾けるようになるってことだよ」
 言ったかな、そんなこと、と朔也は頬を緩ませた。
「健くん、その『ひどく当たり前』な答えに感動したらしいよ。朔也くんぽいし、地道にやってきた自分たちらしいって」
 朔也は寂しそうにため息をついた。
「今回は努力でどうにかなるものなのか、わからなくて不安なんだよ」
 朔也の言葉に、ほのかな苛立ちを感じた。そんな朔也に、わたしはわざと明るく言った。
「まずは手術の成功を祈るよ。わたしが朔也くんのために祈るんだよ? 誰よりも熱い祈りを捧げられる自信、あるんだから」
 確かに、と言った朔也は、「流香が最初に観にきてくれたライブ、今でも覚えてるよ」と言った。
「熱い視線を感じて、ファンサービスのつもりで目を合わせたら、ものすごいものを感じた。たまにいるんだよ。客席から光を放つ人」
 へえ、そうなの? とわたしはその話に興味を持った。
「そう、いる。ステージにプラスの力を送ってくれるお客さん。だから、そういう人のパワーに負けないようにしてる。ライブはある意味戦いだよ。俺らはその熱気をいつも越えないといけないからさ」
「CALETTeのステージからは、本当に愛を感じる」
 朔也は頷いて、だけど、と言った。
「昔はひどかったよ。お客さんとステージの間に、わざと壁を作ってた。それが孤高でかっこいいと思ってたんだよね」
 若いってこわいわ、と朔也は笑いながら、当時を懐かしむように空を見上げた。今夜、空に星は見えない。
「星は、いつも見えてる。俺にはね」
 朔也がタイミング良く星の話をしたのでわたしはどきっとした。
「星? いま朔也くんには見えるの? なんで? 視力いくつ?」
 いや、そういう話じゃないよ、と朔也はわたしを見た。
「強い光を放つ星。あの日、客席で流香は、一等星みたいに光ってたんだよ」
 うっそ、あたしが? とルナが大騒ぎした。
 なんの取り柄もなく生きてきたわたしは、輝く〝推し〟を見つけてその強い光に吸い寄せられているだけの、それだけが生きがいのような人間なのに。
「人って案外、自分の光は見えないものなんだな」
「ていうか、だって。朔也くんが光りまくってた日じゃん。自分がどうとか、全然意識ないし、それに、わたしはただ見てただけなんだし」
「あ」
 と朔也は言った。
「ライブは、その空間にいる全員で作り上げるものでしょ」
 その日その場限りのライブは、誰か一人欠けても成り立たない、朔也がMCでよく言うことだった。
「ライブは相愛だから」と朔也はつぶやいて、少し歩こうか、と言った。
 断るはずもなく、わたしは朔也の左側を歩く。一緒に歩くなんてどれくらい振りだろう。嬉しいのに、心は切なく苦しかった。



⑨へつづく


#創作大賞2024
#恋愛小説部門

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