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雑草 (短編小説)

ヨガをしながら窓の外に見る今朝の空は、どんよりとしていた。
普段ならため息が出そうな怪しい雲も、今日は味方になるかもしれない。
窓に近づき、庭を見る。
夏の間放置していた雑草が伸びて、リビングから庭に降りるための階段を覆い始めている。
初秋とはいえ毎日気温は高い。曇っているこんな天気の日こそ草むしりには向いている。
ヨガのレギンスをジーンズに履き替えようと思ったが面倒で、そのまま長袖のジャージを羽織り、軍手をはめて庭に出た。

先月仕事を辞めてから、家で過ごすゆったりした時間の流れを受け入れるのに苦労した。夫の給料で十分暮らしていけるが、私には仕事をする権利があった。
それでも今は、使わない自宅の庭の草むしりをする。それは夫婦で話し合った結果なのだ。

草むしりをしていると、たまに通行人が庭の前を通る。小さな庭は生垣で囲われているから覗かれることはない。
しばらくして、女性たちの会話が聞こえてきた。しゃがんで草をむしる私のすぐ近くで立ち話を始めた彼女たちは、どうやら知り合いのようだ。
「あらぁ、生まれたの?かーわいいー。女の子ね?美人のママさん選んだから、あなたも美人さんね」


友人の一人が出産したことは年賀状で知った。子供が生まれたばかりにも関わらず、丁寧に出産報告をする友人は、まめなタイプではなかったはずだから、余程意識あってのことだろう。
数年会っていない友人ではあるが、お祝いだけでも送ろうとデパートの子供服売り場へ行った。
子供のいない私でも名前くらいは知っているブランドが並ぶフロアを、順に眺めていく。
生まれたての赤ちゃんが着る、肌触りの良い淡い色の衣類から、成長ごとにカラフルに、柄付きに変わる服を眺めていると、一人の子供の成長を見ているようだった。

子供服と同じフロアにはマタニティコーナーもある。お腹の大きな女性が、着る服に困らないよう、普段着から綺麗めなものまで揃っている。数ヶ月しか着ない物にこれほどの金額を払うものなのか。興味深く値札を覗いてみる。
店の一角には妊婦向けの本まで並べてあった。

『ママに逢いにきたんだよ』
『ママにあいたかったから』
『おかあさんをまもりたくて』

誰がつけたか、このようなタイトルの絵本や本が並んでいる。もちろん、このタイトルをつけたのは、お腹にいた頃の記憶など持たない大人たちだろう。
どうやら妊婦とは、子供から選ばれた者のことを言うらしい。それでは妊婦が荷物につけているマタニティマークは「選ばれし者」だと証明するものなのか。
世の中には、こういう嫉妬心で妊婦を虐める人がいる。そして、そういう人間は一生子供から選ばれることがないという、よく出来た話のようだ。
しばらく佇んでいると、店員が私に気づいて笑顔を向けてくる。私は店員を避けるようにマタニティコーナーを出て、子供服売り場へ戻った。そして勧められるまま、ベビーカーに取り付け可能なブランケットを買った。


膝の辺りまで伸びてしまった雑草の中にうずくまっていると、朝露が体を濡らす。
ここ数日からからに晴れていたのに、雑草はしっとりと朝露に濡れている。
「あなたたちも人知れず泣いているのよね」
雑草に仲間意識を持つなんて、どうかしている。それでも物言わぬ雑草に慰められる気がした。
夫は私に仕事を辞めるよう提案した。
「体を休めて、リラックスして。好きなことをしたらいい。そうしたらストレスも減るよ。今は体を整えることに集中して欲しいんだ。できる限り協力するから」

ストレスがあると決めつけられる、私。
整っていないと判断される、私。
人よりも何か足りない、私。
だから選ばれない。私は。

先程から蚊に食われて足が痒い。レギンスで草むしりを始めたのはやはり間違いだったようだ。
1匹の蚊を叩き潰した。
潰された蚊と、おそらく私のものと思われる血液が、私の手のひらの上で混じりあう。
私はまた、無駄に血を流してしまった。

ひと通り草むしりを終えて、部屋に戻った。流れる汗をタオルで拭き取る。
夫が私のために買いだめた常温のルイボスティーのペットボトルには見向きもせず、夫の飲みかけのアイスコーヒーのパックを冷蔵庫から取り出した。氷をたっぷり入れたグラスにアイスコーヒーを注ぐ。一気に半分飲み干すと、椅子に腰掛けた。音のない部屋の中で、からからと氷の音を立てて冷たいアイスコーヒーを飲む。体を思い切り冷やしたかった。
ひと息ついたのち、私が目覚めるより早く出勤した夫に、今朝の報告をメッセージで送る。これは私たち夫婦の毎日の習慣なのだ。
メッセージを作成しながら、今日これからのことを考えた。
シャワーを浴びて、買い物にでも出かけよう。好きなものを買う。夜は夫と待ち合わせして、久々にビールを飲むのもいい。

夫にメッセージを送った。


基礎体温 36.5°C
朝ヨガ30分。その後草むしり。
これから朝ごはん食べます。
生理きました。



[完]


#短編小説





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