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奥山実牧師名言集【憂世で生きる智慧】


建前と本音の狭間で揺れる教育現場の実態

PTA会長時代、若い先生方の考えに衝撃を受けた。
生徒への指導と実生活とは建前と本音を分ける」というので、
私は「生徒は困惑するだろう」と指摘したが、
彼らは「建前と本音を分けずには生きていけない」と主張。
牧師として、私たちがそれを分けたら生きていけない」と私は断言した。

アインシュタインの神:スピノザの哲学を信じた理由

アインシュタインは世を去る前に次のように語っていた。
「わたしは神が、どういう原理に基づいて、この世界を創造したものかが知りたい。神の考え方が知りたい。そのほかは、小さなことだ。」
アインシュタインが有神論者であったかどうかについては明確な答えがある。ある時、彼は質問された。「ではあなたは神の存在を信じているのですか」と。「ハイ信じています。私はスピノザの神を信じています
このようにアインシュタインの答えははっきりしている。
ただし「スピノザの神」は奥深いので一言では表現できない。スピノザを把握するのは、或る意味でカントより難しい、と言われる。

非聖書的になる危険性:謙遜を学ぶ重要性


あまりにも明らかなことだが、主なる神は一人のキリスト者に、すべての賜物をお与えにならないように、一つの教派にすべてをお与えにならないのである。
それは謙遜を身につけるためである。
他から学ぶという謙遜のためである。
だから他教派から学ぼうとしない者は非聖書的になって行くのだ。
つまり、皆で同じ誤謬をなしていて気がつかない。いや、うすうすわかっていても修正しない。

日本人は真理より他人の目・人間関係

日本人にとっては、真理よりも「人間関係」の方がより重要なのである。だからNHKが、東京のある地域でアンケート調査した時、36%の人々が「どうせ宗教もつならキリスト教」と答えたと言う(ある地域では50%を越えたこともある)。
ではどうして教会へ来ないのか。「人間関係がこわい」のである。近所の人から、友人から、身うちから「変なこと言われたら嫌だ」と恐れるのである。つまり、真理よりも人間関係を選ぶのである。
ところが韓国や中国は、原則や真理の方がより重要なのである。
だから「キリスト教には真理がある」。それだけで教会へ来る。
何も十字架の福音の奥義や聖書のすべての教理がわかったからではない。中国も共産主義に失望して人生の土台を失った若者や学生がどんどん教会に集まって来る。原則社会の人々は、しっかりした原則、真理がないと人生をやって行けないのである。
ところが日本は人間関係社会であるので(悪い言葉では部族社会)「真理などどうでもよい」と思っているのである。
人間関係さえうまくやればそれでいいと思っている。これで人生やっていける。だから他人に合わせて、他人の顔を伺って生きているのである。「百万人といえども我行かん」などと言う意気のいいのはあまりいない。

文壇の中の欺瞞:夏目漱石と偽キリスト教徒たち

夏目漱石は、軽々しく洗礼を受けてキリスト教徒などと言っておりながら、間もなくキリスト教から離れてしまうような作家たちを鋭いまなざしで睨みつけていた。そしてしかも、それらの偽キリスト教徒たちが、当時の文壇にのさばっていたのであるから、漱石は我慢ならなかったのである。

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