マイナスに引っ張られない自分でいて、愛だけを信じて
文章を書く習慣を戻そうとしている。
書かないでいると文章というものはなかなか出てこないけれど、書き始めると音楽を奏でるかのようにすらすらと出てくるものだな、と実感した。
「降りてこないから書かない」じゃなくて、キーボードの前に手をおくことからはじめていかないといけないな。
文章をまともにパソコンに向かって書き始めたのは高校生の頃だ。
何度か書いたことがあるが、高校生の頃に作った自作のホームページに、毎日日記を書いていた。
ありがたいことに狭い界隈だが読者が増え、ファンレターやファンクラブができたりと、私の日記を待ってくれる人がいた。それに伴い、アンチも増えていった。
表で目立っていけば行くほど、それに反発や攻撃をする人間も出てくる。心が乏しい人の目に止まりやすくなってしまう。
今だったら「心に何か空虚な部分があるのだろう」とその人自体を心配してしまうが、当時の私には心ない攻撃の言葉はナイフとなって刺さり、それが原因でサイトを閉め、そこからはずっと非公開の場にいた。
人前に出始めたのは、去年の7月からだ。
公に交流をしはじめたのは、clubhouseからだから去年の2月ごろからになる。
それまでは、人目に出ると湧いてくる知性のない攻撃を恐れ、目立たないよう目立たないように、とネットの陰に隠れて生息してきた。
少しでも目立つとすぐに非公開にする、そんな日々が何年も続きながらもネットを辞めるということはなかった。
Twitterははじめてからもう、10年以上になるだろうか。Instagramはリリースされた時からしていたから、これも10年以上だ。
だけど公の場にではじめたのはどれも去年からだ。
これから先、色々な人に見られる機会が増えるとまた、高校生の頃に受けていたような攻撃も多くなっていくのだろう。
clubhouseで起きたような、陰湿な嫌がらせにもまた遭うかもしれない。
今まではその可能性があるならばとすぐに消したり非公開にしたりと隠れていたが、今は何とか数カ月、人前で発信しつづけることを絶やさないで続けている。
それはなぜか。
私は自分自身を深く知る機会があり、それと同時に他者も知ることになった。嫌悪や恨み嫉み、そのような感情は満たされている人間ならば起こらないということを学んだ。
だから、「それ」に恐れることがなくなったのだ。
今の私は10代の頃の私とはもう違っていて、そのような感情に負けない、連鎖しないし、相手もしない。行き過ぎたものに対しての対処法の知識もたくさん蓄えた。
恐れがないと、人間はとても強くなる。
マイナスに引っ張られない自分でいて、愛だけを信じて
そんな低いレベルの感情につられることなく、人を愛することに集中しよう。
自分の目指す道をそんなものに引っ張られるな。
突っ走れ。
山口葵
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