脳みそからけむり
この間のnoteを更新してから、自分と自分の脳との距離感がよくわからない。
そもそも、自分と脳を切り離すべきでないのはわかっている。でも私の脳は本当になんというか、余計なことをするし勝手に暴れるような感じがしていて私は時にただ操作されている操り人形の側の気分になる。
私を褒められても、脳がやったことで私じゃなくない?「あれ」は、本当に勝手に動くから…などと考えてしまう。
離人感なのだろうか?でも、「私」と「脳」が離れてしまうなんてことあるのだろうか?私はどこにいるのだろう。
この考えは、脳で考えているのに、なんだか別の「こころ」があってそこに本当の私がいるような気がする。
私は、
そんなふうに思って自分を守りたい?
意思とは別に動く自分の中の気味の悪い部分を、まるで別人かのように扱いたいだけ?
よくわからないな。この文章も、読んでも意味不明なんじゃないか。まあここは、ありのまま吐き出す場所だから。
ここがなくなったら私は自分の言葉に溺れてしまうかもしれない。私はスマホからすぐnoteを書けるようにしていて、文章が溢れてきた時にすぐに開いて書く、開いて書く。を繰り返している。
やらないと、溢れ出すから苦しい。脳はそんな時に自動的に吐き出すようにできている。時折自分が文字をはきだすただの入れ物のように感じる時がある。なぜこんなにも言葉にせり詰められるのかは、自分でもわからない。昔からそうだ。
ごちゃごちゃ書いているが、私の今の生活はとってもシンプルで居心地が良く気分がいい。こんな複雑なことを言っているのは脳内だけで、安心安全の世界にいる。
それだけでもういいんじゃない。脳内との対話だけでなく、きちんと自分の周りを見渡して安心に包まれることもきっと大事だろう。
うう。そうしないと、脳みそから煙が出そうだ。
山口葵
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