「コイザドパサード未来へ」 第10話
あかりちゃんの家でおにぎりを作ることになり、ふたりでキッチンに立っている。
並んで一緒に料理をするのは何年ぶりだろう。
僕が小さい頃はよくあかりちゃんの家に預けられて、こうしてお手伝いをした。
あかりちゃんがおにぎりの具材を用意してくれたので、それぞれ自分の分を握ることになった。
梅、おかか、昆布。
あかりちゃんは小さめのおにぎりを握って、3種類の具材をそれぞれ入れている。僕はひとつの巨大おにぎりを作り、その中に3種の具材をすべて詰め込もうとしている。
「ミライ、その方法いいね。一度に全部の具を入れるって新鮮。食べるのも楽しそう」
またもや、褒められた。
ズボラで大雑把なだけなのだけど。
あかりちゃんがシチューを温めてくれて、お皿によそってくれる。
テーブルに置かれたシチューからは湯気が出ていて、とても美味しそうだ。
「いただきます」と手を合わせながら、ふたり揃って食べ始める。
玉ネギ、人参、ブロッコリーとお肉がゴロゴロ入ったシチューは、クリーミーで濃厚だ。シチューもカレーと同じように、1日目よりも2日目の方が美味しいというのは、本当かもしれない。
味がとてもよく染み込んでいる気がする。
おにぎりとシチューを食べながら、僕は唐突に聞いてみる。
「母さんと父さんは一緒にいて幸せなのかな?」
父さんが我が家に帰ってきてから、両親を見ていてずっと疑問に思っていたことだった。いなくなる前にはこんな風に思ったことはなかったけど、最近のふたりを見ていて誰かに確かめたくなった。
「うーん。幸せかどうかは自分が決めるから、どうかなあ。
兄さんと姉さんが自分で幸せと思うなら、幸せじゃない?
幸せかどうかは自分しか分からないよね。自分でも時々幸せか分からなくなるけど。ミライはどう思うの?ふたりは幸せそう?」
「うーん。不幸せではないと思うけど、ふたりが幸せかどうかは分からない」
あかりちゃんは無言で席を立って、隣の部屋に行き、大きな辞書を両手で抱えて戻ってきた。
「幸せって広辞苑では『心が満ち足りていること。 また、そのさま。 しあわせ』って載っているの。『運が良くて恵まれた状態に同意すること』とも。訳わからないよね」
僕はその言葉の意味を頭の中で考えてみる。
「言葉の意味が分からなかったら辞書を引けばいい。辞書は言葉の意味を教えてくれるけど、自分の幸せについては教えてくれるわけでもないから、本質を知りたい場合は自問自答するしかないよね。
幸せはひとそれぞれ、幸せの形もいろいろだから、自分の幸せについては自分で考えるしかない。自分はどういう状態だったら幸せなのか。何をしているのが好きで、心が満たされるのか」
あかりちゃんの言葉は分かりやすい。でも幸せという言葉が大きすぎて、まだよく掴めない。自分の幸せについて今まで考えたこともなかったので、正直まだよく分からない。
ただ、自分の好きなこと、やりたいことは何となく分かる。
まずは自分自身を知ることから始めるのかもしれないなあ、と思った。
お腹はすっかり満たされ、テーブルにはふたりの空のお皿だけが残された。
お腹も心も満ち足りたから、今、僕は幸せなのかもしれない。
こういう小さな、幸せだなって思えることを大切にしたい。
お皿をシンクに運びながら、思い切って聞いてみる。
「あかりちゃんは今まで結婚しようと思ったことある?」
「あるよー。一度はね」
シンクの横に立つあかりちゃんはニッコリしてこっちを向く。
いつか聞かれると思っていたのかな? 全く動じず、余裕すら感じる。
「こういう話をミライとする日が来るとは。感慨深いなあ」
いたずらっ子のように微笑んでいる。
「一度だけ、結婚しようかなあ、どうしようかなと考えたことあるよ。
でもしなくても正解。結局私はひとりが好きで、自由気ままなひとり暮らしが好きなの。一緒に生活すると、ある程度相手に合わせたりしないといけないから。人に幸せにしてもらうよりは、まずは自分が自分自身を幸せにしないとなあ」
こんな風に結婚観を聞く日が来るなんて、自分でも驚いている。
確かにあかりちゃんはひとりでも楽しそうだし、相手がいてもうまくやれそうだ。僕にはまだよく分からない次元の話だけど。
僕がお皿を洗い、あかりちゃんは次々とお皿を拭いて片付けていく。
綺麗になった皿を棚に戻しながら、あかりちゃんは
「兄さんたちは何時頃、家に戻ってくるの?」
と聞いてくる。
そろそろ帰りの時間が気になり始める頃だ。
「16時くらいって言っていたから、もう帰ってきているかもしれない」
と、僕は部屋に置いてある時計を見ながら答える。
帰宅したふたりは僕の帰りを待っているのだろうか。
帰りを待つ父さんと母さんを思い浮かべたら、急に横井さんのことが頭をよぎる。
「父さんがいたあの世界に、まだ取り残されている人がいるの。名前は横井さん。待っている家族のことを思うと、何とかしたいのだけど。
あかりちゃんならどうする?」
僕は思い切って、意見を求めた。
横井さんのことを聞いて以来、ずっと、どうしたらいいか分からない。
「私ならもう少し情報を得てから、自分が正しいと思うことをするかな。
人生は選択と決断の連続だよね。横井さんと家族のために、ミライが横井さんをこの世界に連れてこなければってそう決断するなら、やらなきゃ。
後悔しないように今できることをやらなくちゃ」
あかりちゃんのはっきりした口調に、背中を押された気がして、
僕も心の中で言葉を反芻する。
後悔しないように今できることをやる。
あかりちゃんの家を出て、電車に乗り込む。
車窓からは夕日に照らされた家々の屋根が見える。
ほんのりとオレンジの光に包まれた街を飛び越えて、電車は進む。
家で僕を待っている父さんと母さんのことを考えると、自然に横井さんのことを考えてしまう。
黄金に光り輝く草原で、何を思っているのだろう。
悩み事を抱えて、ひとり、自分の意思であそこにいるのだろうか。
僕はもう一度あの世界について考えてみる。
黄金に光り輝く草原。
金色に輝く草が揺れて、一面に咲く草花。
僕たちは金色の点を見つけて、あの旅館の部屋に戻ることができた。
またあの場所へ行くことはできるのだろうか。
(つづく)
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