人生は思い通りにならなくても大丈夫だと学んだ日。社会人10年の節目に「マチネの終わりに」を見た先生の話。
今回初めてエッセイ風に今の気持ちを残してみます。
「マチネの終わりに」という作品の中で語られる「未来が過去を変える」という言葉をご存知でしょうか。数年前この作品は、人生が複雑になって迷う私に「人生の答えの1つはこれだ」と教えてくれました。
私は教育者としてこの言葉を今も大切にしています。そんな人生に大きな影響を与えた作品と言葉。思い立ったこのタイミングで、作品と今までの人生の色々に対する気持ちを言葉にしてみます。
「マチネの終わりに」について書くきっかけをくれた記事はこちら。
▪︎出会いは突然に
「マチネの終わりに」は数年前に何気なく見て、しばらく頭から離れなかった映画です。
今でも鮮明に覚えているシーンもある。
衝撃の事実に直面したギタリスト役の福山雅治さんが、怒りのなか台所のシンクの前に立つ。いつもギターを引く右手でガラスコップを握る。潰したい衝動に駆られながら、できない自分にも直面するシーン。
強い感情になりながらも目の前の現実が壊せないもどかしさ。歳を重ねて積み上がった人生の矛盾に苛立ちながら、その矛盾に執着する自分との葛藤みたいなモノがよく伝わるシーンだった。
物語では登場人物たちの感情、演奏家(福山さん)や編集者(石田ゆり子さん)の目標と現実の葛藤、周辺の人の見栄や欲、愛と嫉妬などが生々しくも清々しく、美しく描かれ、それぞれが絡まってすれ違って、ほんの些細なことで人生が決まっていく様子が描かれる。
そんな様子はいい意味で私に、「一人一人の人生って実はそんなに上手くいってないんだよ。」と教えてくれる気がした。
その映画内で、出てくる言葉が
「未来が過去を変える」
その言葉が象徴する様に、過去で複雑に絡んだそれぞれの人生が、未来となる最後には落とし所を見つけて収束していく。さながら、いくつもの球がぐるぐると回ってぶつかるルーレットも、最後にはそれぞれの球がそれぞれの穴に素直に落ちていく。そんな綺麗な終わりだった。
私は生々しい話を物語として見るのが苦手な方ですが、この映画は不思議な納得感と、清涼感のなか見ることができました。そしてその現実的なラストは迷う私の人生にひとつの希望となりました。
「自分の人生をうまくやらなきゃいけない」「幸せにならなきゃいけない」そんなよくわからない使命を抱えていた私の重荷を上手に下ろしてくれたのです。
正直、見るまでそんな重荷を持っているとすら思っていませんでした。
代わりに与えられたのは「べつに上手に生きなくても良い」「不幸なまま生きても良い」「みんなそんなもん」、それでも何かを続けていれば、それなりの落とし所が見えてきて「良い人生」になる。だから「今が幸か不幸かよりも、どんな未来を作るかの方が本当に重要」そんな考えでした。
「未来が過去を変える」この言葉が、どんな過去があっても希望をくれる、すごい言葉に感じています。
また面白かったのがこの映画のレビュー。賛否が綺麗に分かれていたこと。
私にとっては文句なしの星5つだった。理由はこの映画を見たのが30歳に差し掛かったタイミングであったことと、そこまでなかなか波のある人生を送って来たからの様に感じた。逆にこの映画を低評価で見れる人は比較的順調な人生を送れているのではないかと思う。それも良いですね。
私の人生は、自分で言うのもなんですが物語によくある不幸は一通り出現していると思う。幼少期の大病、身体の欠損(股義足)、家庭内の不協和、両親の離婚、受験の失敗、友人との軋轢、大切な人の消失、社会人の孤独、仕事の挫折、などなど。器用な方でもないので、小さな失敗まで含めれば、それなりのレパートリーがある。(楽しいことも沢山ありますよ。)
でもこれら人生のマイナスとも言える出来事から身についた事もある。おかげで今の仕事では一定の支持をいただけている気がする。
中でも大きいのが大抵のことでは狼狽えない、メンタル。
「生きてるだけで丸儲け。」と思って大抵のことは笑ってしまえる。生徒さんが悩んでいること、保護者さんの悩んでいること、大抵のことに「大丈夫ですよ」と本気で言ってしまう。「生きてるんだからどうにかなる。」と。実際、死にかけたこともあるし、色んなことがどうにかなって来た。もちろん言葉だけでなく、相談の時には具体的な内容も話し合います。
生き方の多様性も気にしなくなった。まず自分の片足がないから。みんな違うのは当たり前。大切なのは問題に出会った時「自分ならどうやるか」これが大事、と本気で言う。でも「無理してもできないこともある。それは無理しちゃダメ。」人間には絶対できないこともある。私が走るとか。その現実的なバランスの大切さも知りました。
そんな強メンタルが良いか悪いか身についた。
そこに、そんな私の経験談とその中で出会った人達の経験談。
それらが合わさって、今の教育業では強い味方になって後押しをくれて、私も誰かを後押しできる。
それでも30歳のころ、改めて自分の人生を迷う様になった。
今の教育系フリーランスになる前は、大手のアパレル会社退職から美容学校やボランティアやアルバイト、塾講師をしていた。
私の経歴や生活は周りの同年代とは大分異なって、10代、20代、それぞれの時に描いていた未来図のどれとも違う人生になっていて、自分の人生の落とし所がわからない様な感覚があった。
「今までやって来たことは無駄だったのではないか?このまま進んでいて良いんだろうか?」と。
そんな折に見たのが「マチネの終わりに」だった。
一見上手くいってそうな他人の人生も、少し覗くとグチャッと絡まった何かや消せないシコリがあって。それでも諦めずに続けていくから、それぞれの良い落とし所が見つかること。
どうにもならない過去も、未来をどう作っていくかで見え方が変わること。
上手に生きなくても良いこと。そういう折り合いをつけていくのも人生なんだろう、と。
よく自己啓発で言われそうな内容でも、映画という作品で美しく見せてもらえたことで、初めて私の中で消化して希望になった気がした。こんなにも人生に影響する作品があるんだと初めて思った。
「自分の人生の今までがどんな形でも問題ない。」そんな妙な自信も与えてくれた。
そこから、自分のぐちゃっと複雑な人生に最高の意味をあげるにはどうしたら良いだろうか色々探して考えてみた。その答えが今の教育系フリーランス、オンライン家庭教師、キャリアコンサルタント、生徒たちのキャリアを手伝う道。教育業に携わり続けること。だった。
オンライン家庭教師がメインの今でも、自分の経験で生徒たちの明日が少しでも変わるなら、十分「生徒の未来が私の過去を変え」てくれている。私のつまらない過去に少しずつ意味や価値が生まれてくる。教育業はまさに「未来が過去を変える」の言葉を体現する仕事だと思う。
そんな自分の人生に意味をくれる仕事に感謝しつつ、これからも続けて精進して、過去を変えていきたいと思う。そして複雑な人生でもどうにか落とし所はつけられそうなので(根拠は特にない)ADDressも始めて、複雑さをむしろ増して楽しむことにした。得た経験は先生業、キャリアコンサルタントにも役立てたい。実際、人や場所との出会いがとても楽しい。教育者として、そうした人生の一期一会を伝えさせてくれる相手がいることにももっと感謝すべきなのだろう。何気ない毎日に張り合いが出る。
教育業に入ると抜け出せない人がいるのも、良くわかる。
そんな社会人10年経っての記録。
ちなみに、"マチネ"とは、フランス語で"午前中"や"昼公演"の意味だそう。
「マチネの終わりに」のタイトルからも
「長い時を描いた物語も、
人生では午前中の終わり。
まだ、これから。」
そんな希望的メッセージをやはり感じてしまった。
私の人生はまだまだマチネの終わりには達していない。
むしろ序盤なのかもしれない。
また10年後、本当に教育業を続けていれるかどうかはわからない。
しかし生きてて何かはしている気がする。
今やっていることは無駄にならない気がする。
それで十分かなと思う。
どんなオチなのか。(笑)
みなさんの過去がこれからの未来によって変わっていきますように。
駄文をご拝読いただき、ありがとうございます。
また次回、宜しくお願いいたします。
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