青丹

空想置き場 / 普段かけないこと、妄想とか頭の中にあるもの 少しだけ、暗い。 tw…

青丹

空想置き場 / 普段かけないこと、妄想とか頭の中にあるもの 少しだけ、暗い。 twitter : https://twitter.com/ao_ru_12

マガジン

  • 身勝手な感傷と旅情

    どこか旅した時に、考えたこと あるいは、そこから勝手に頭の中で空想したこととか記憶とか それを好きに書き殴る場所

  • 空想

    頭の中に浮かんだ暗い空想を棄てる場所 暗いエッセイ。メンタル要素ある。 引き摺り込むような文章を書きたい。 好きに書くので苦手な方もいると思います。 他媒体で宣伝することもあれば、こちらでひっそり書くことも。 写真は載せないことも多いと思います。

  • 森と廃墟と空想

    森の中で廃集落を訪ね歩いたり 廃墟に探訪した時の記録

最近の記事

しとどの窟

某日、天気は雨。天気予報を見ない私も珍しく雨の予報を事前に調べ早朝から湯河原駅に降りた。ずっと訪れてみたかったしとどの窟に訪れるためだった。 しとどの窟は正式名称を土肥椙山巌窟と言い、古くは源頼朝が身を隠した洞窟とされてます。元は地蔵信仰の地だったそうです。なお同県の別場所(真鶴)にもしとどの窟と呼ばれる場所が存在してます。2ヶ所あるため、以前はどちらが本物かの論争があったそうですが、現在は頼朝が追手を逃れるために複数の場所に身を隠したという説に帰着しているそうな。 余談

    • 雪の中、懐かしんでたこと

      久しぶりに連泊で宿巡る。最終日の朝、雪が降っていた。 日本の最寒記録を持つ町で育った私にとって雪はどうにも原風景に繋がる。特に山岳の植生も相まってか、針葉樹の中に少しだけ広葉樹が混じる景観がどうにも故郷を思い起こさせた。雪の景色を見る度に、そこに懐かしさを感じる事実が何処か寂しかった。懐かしいとは離れて知る感情だから、自分の中で大切にしている領域が少しずつ少しずつ失われてゆくのがただ悲しいと思っていた。けれどもこの日は色々と思い出す中で、懐かしさが消えゆくことに対しての愛おし

      • 13月1日

        どうしても一度は訪れたいと思っている場所が何か所かある。そういった場所は行く機会があっても避けることが多い。行きたいのに行ってしまうことで、自分の中で何かに区切りがついてしまいそうな、あるいは飽和した感情があまりに強く負の方向に働いてどうにかなってしまう様な、そういう気がしていてなるべく行きたい場所には行かない様にしている。勿論、僕らの趣味は、時間の流れに抗えない性質を持っているので、行かず仕舞いに消えていった場所も少なからずある。そういう時は縁がなかったと思うことにしている

        • 2023年 消火栓・ホース格納箱まとめ

          気付けば、すっかり今年も終わる。振り返ると今年は毎月の様に、色々な方と撮影を共にしていた。僕は結構気分にムラッ気があり、時々黙り込んでしまうけれども、そういう時でも趣味を共通とすると、皆さん好きにあちこち冒険に行くので、僕はとても気が楽だ。同じ空間にいるのに、違うことをしていて、けれども違うことをしているのに、そこに疎外感も気まずさもない感じが実にありがたいと感じた1年だった。何度か温泉や銭湯で裸の付き合いもした。泊めて頂いたり、大変お世話になったと思う。ありがとうございまし

        しとどの窟

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        • 身勝手な感傷と旅情
          10本
        • 空想
          5本
        • 森と廃墟と空想
          2本

        記事

          ある民宿にて

          この文章はある海沿いの民宿にて書いている。noteの文章は普段、PCで記載しているが旅先故にスマホしかないので、そちらにて書いている。先程、貸し切りの風呂に入って、タバコを吸いながら、酒を飲みつつ今に至る。今回撮影NGということで、映像に依らず雰囲気の記憶だけでも留めておきたいので書く。そのため写真は1枚とて貼りませんが、ご容赦を。 海の波音がほのかに聞こえる、どこかの海町。 バブルの頃は賑わったであろう雰囲気も今は昔。ちらほらと廃墟と化したホテルが目立つ中、一つ大通りを外

          ある民宿にて

          傘について歩きながら考えたこと

          雨の日に傘をささないなんて、そんなの見窄らしいだろう。思い上がった価値観でいつか誰かがそう言った。傘を逆さにして草木の下においてガサガサする。すると落下してきた虫が捕獲出来たりする。傘の役割なんてそんな優れた捕虫器具だろう。雨の日にそんなことしたら虫が濡れてしまうだろう。だから雨の日こそ傘は無用の長物だ。そんなことも分からないのか愚か者、そう心の中で嘯いてみる。 手軽に冷ややかな目線を浴びたかったら、雨の日に傘をささないで外に出ればいい。そうすれば悪い意味で目立つだろう。そ

          傘について歩きながら考えたこと

          海を聞きたい

          例えば、目の前にいる男のコップが割れている。危ないよと声をかける。けれども、あまりに人と話さないせいで声は小さく届かない。その人は怪訝な顔をして、それからそこに水を注ぐ。すぐにこぼれだして服が濡れてしまう。慌ててグラスを持つ手が滑り床に落ちて硝子のコップは粉々に割れてしまう。すぐに店員が駆け寄って事情を男に訊ねる。あいつが話かけてきたせいだ、と男は言う。店内中の冷たい視線が注がれる。 そんなに見られても、感情を向けれられても、僕の心も割れている。 向けられた感情も何処かにこ

          海を聞きたい

          赤い花

          初めて、その花を見たのは上京した夏の終わりだったと記憶している。寒さに弱いせいで、自生しないその花は、自分にとっては創作の世界の存在だった。悲しくも縁起悪いものの象徴として語られたその花のことはずっと好きだった。だから、案外普通に咲いているその花を見た時は、妙に興ざめの気持ちがあった。けれども、その年、劇的に変わる環境があった。鬱の原因から抜け出してようやく自分の世界に色の様な認知をもつに至った。その夏を振り返る時、あとからになって、最初にみた彼岸花の色が不思議と思い起こされ

          赤い花

          旧下谷小学校見学会

          前書き 教室の隅が好きだった。体育倉庫にある跳び箱の中が好きだった。埃臭くて、真っ暗で、それが何故かとても落ち着いた。けれども一番に時間を費やしたのは保健室。あまりにも保健室を利用し過ぎていて、先生不在の時も鍵を開けて貰っていた。学校はあまり好きではなかった。それでも自分の人生を振り返り特別な場所であった様に思う。 2023年7月。東京都は、旧下谷小学校の解体に際した見学会に参加してきた。今回の見学会の趣旨が『記憶の継承』だという。自分はこの趣旨がとても好きだなと感じた。

          旧下谷小学校見学会

          『sunny day's seeker.』

          ふっとした瞬間に深く歯車が噛み合わなくなる。大抵は、少しの感傷を吐くことで言葉に昇華すると、少しだけ自分の口から漏れ出る心が綺麗な物の様に錯覚して、心が安定する。それでも、ふっと蓄積したものが堰を切ると、それは濁流の様に溢れてしまう。 自分の口から漏れ出る言葉の醜悪性・加害性がとても嫌いだ。 言葉と思考が暗がりに向き、自分の中の卑屈に押し込めた心の闇が噴出すると、その時不意に全て否定の言葉に染まってしまう。楽しかったこと、悲しかったこと、それら全ては単色の憎悪に飲み込まれて

          『sunny day's seeker.』

          盗人狩を歩きながら考えてたこと。

          「そんな生き方は寂しすぎる。」と、いつか誰かに言われた。 誰に言われたんだっけ。もう思い出せない。 とかく捻くれた私は、その慈愛の中に小さな軽蔑と驕りの影をみたんだ。 なんて書き出しで書いてみても、写真を張り付けて、文字に修飾的な表現を交えながら、文章にする程度には今の自分は健康だ。僕は明日も仕事をする。唯、少しの悪趣味と少しの実体験を交えながら、歩きながら空想していたこと、思い出していたことを文章を書きたいと思った次第だ。本心を語るには、僕は臆病で嘘吐きだし、さりとて全て

          盗人狩を歩きながら考えてたこと。

          憧れの場所へ

          すっかりと晴れ、夕日に染まりだした空の中、一際瀟洒なベッドに差し込んだ橙。荒廃した廃墟という空間の中で、ぞっとする程、美しく、優しい色をしていた。夕陽の粒子は心を否が応でも、感傷の方向に向かわせる。 誤解を恐れずにいうなら、夕日に伴う優しさと不安が同居した様な何ともつかない感覚を可視化した様な風景だと、そう思った。 *** その廃墟に辿り着いた時は、天候は実に荒れていた。空からは雨どころか雹が降り注ぎ、心の中で期待感と同時に不穏な雰囲気を感じていた。平時では、そう軽々に立ち

          憧れの場所へ

          映画のワンシーンと「好き」

          自分の中での「好奇心」との向き合い方について、ふっと思ったこと。大体自分用。けれども書いて、外に公開してみたいと思った備忘録。 例えば、映画のワンシーンの様な景色があったと仮定しよう。それは美しい景色だろうか。牧歌的な夏の道、入道雲が空に用水路がサラサラと太陽光を反射させながら流れている。そういう真夏日の昼下がり。自転車でも漕いで、唯々真っすぐに続いていく道の中を風を切って進んでいく。明日には上京をしてしまう誰かと二人乗りの自転車は駆け抜ける。そういう甘酸っぱい空気の中に隠

          映画のワンシーンと「好き」

          影法師

          その集落跡は、自分が何かについて迷った時に訪れる。 小学校低学年の頃、鍵っ子だった私は遠回りをして下校する癖があった。嫌なことがあると、家に帰らないで公園なんかでずっと遊んでいた。日が暮れて、一人また一人と友人が門限を守りに家に帰っていく。そうして一人になるまで公園に居た。皆に用事がある日は、当時の担任の先生の家に遊びに行くことが多かった。定年退職間際の、旦那さんに先立たれたおばあ様の先生だった。とても厳格な先生で、左利きだった私は良くそのことを叱られていたし、当時から内向

          影法師

          匿名の彼方から

          知られることが怖かった。 知られていないことが優しかった。 インターネットの匿名の中で、余りに希薄な関係は けれどもとても暖かいものだった。 * 「このアカウントは存在しません」 画面には無機的にそう表示されていた。そういえば見かけないな、とふと気がかりになり手繰るフォロー欄。アプリケーションの検索窓でアカウント名を入力してみる。けれども見つからない検索結果。特徴的な文字列で記憶に残っていたIDをブラウザで入力してみる。そうして辿り着いた事実はもうそのIDに紐づいたアカウ

          匿名の彼方から

          半分だけ

          半分、曖昧、中途半端、灰色、青二才。 境界的で不安定なものが私は好きだと思う。溶けかけてぐずぐずになった雪だとか、悲しい癖に笑っている人だとか、囚われてることへの反動形成から偽悪に染まる人間性だとか、遍く概念・スコープにおいて、ともすれば脆く繊細なバランスで保たれたものに美を感じる。 某日、早朝から電車に揺られ、バスに乗り継ぎ、それから数キロ歩き、とあるお寺を目指していた。物語のロケ地にもなったような有名な半壊した寺。世間では共通テストで賑わっている日であった。タイムライン

          半分だけ