ある民宿にて

この文章はある海沿いの民宿にて書いている。noteの文章は普段、PCで記載しているが旅先故にスマホしかないので、そちらにて書いている。先程、貸し切りの風呂に入って、タバコを吸いながら、酒を飲みつつ今に至る。今回撮影NGということで、映像に依らず雰囲気の記憶だけでも留めておきたいので書く。そのため写真は1枚とて貼りませんが、ご容赦を。

海の波音がほのかに聞こえる、どこかの海町。
バブルの頃は賑わったであろう雰囲気も今は昔。ちらほらと廃墟と化したホテルが目立つ中、一つ大通りを外れた先の小さな民宿に宿泊している。値段は3連休下においても5000円を下回る。

部屋は和室で畳が3枚、土壁でそちらも経年劣化からかいくつも染みがある。部屋にはエアコンが備え付けており、こちらにはタイムトロン社製のコインタイマーが繋がれている。100円入れたらエアコンが回る仕組みのようだ。もっとも過ごし易い今の時期は網戸で十分だ。窓からささやかに風や海の音が聞こえてくるのが、実に心地よい。wi-fiの案内が手書きパスワード付きで貼ってあったので、おお斯く鄙び宿でもネットワークだけはグローバルスタンダードだなと感じたが、残念ながら電波は飛んでいなかった。

旦那は気難しい印象を当初は受けたが、しばし話してるうちに、ジョークを飛ばしたりしてくる。どこかその姿勢に共感の念を抱いた。

トイレは共用で、各階層に一つある。
面白いのが、男性用が存在しないので、実質個室トイレだけだ。

風呂は交代制で、入りたい人が旦那に声をかけ、使用中の札を垂らして、貸し切りで入浴する仕組みだった。風呂自体は民宿にありがちな何色かのタイル張りの、こじんまりとした感じであった。僕はこの貸し切り製の風呂のシステムがとても好きだ。共用の風呂はどうしてもある種体力を使うから、沢山歩いた日にはこういう風呂が効く。

宿に来ると必ず僕は酒を飲む。
本来、山奥で平気で野宿するタイプの僕が宿をとるのは、勿論中を見たい泊まってみたい思いもあるが、単純に酒を飲みたいからという理由も大きい。山奥はね、気が抜けないからね。
何度か廃村に泊まったことがあるが、三時間くらいしか眠れなかったことを思い出す。

今日は缶酎ハイと、もう一本地酒を購入したので後でそちらをやる。いつかスペースで美味しいと話した気がするが、してない気もする。そういうお酒。おつまみはチーカマ(7本入り)。というか今日はチーカマしか食べてない。関係ないがちいかわでは、ずっと栗まんじゅうが好きだったが最近セイレーンが愛しい。次のちいかわどうなると思う?みたいな中学生みたいな話が出来る関係性が僕は友人だと思ってる。いや本当、ちいかわ狙われてね。大丈夫かな。

宿では雰囲気を味わうというよりも、あえて普通のことをして全力でダラけるのが好き。youtubeみたり、電子書籍みたり。そうやって普通を過ごすのが一番好きで、一番休まる。

ちなみに今日は移動中は電子で独白するユニバーサル横メルカトルという小説を読んでいた。露悪に振り切った小説なんで、今日の散策では若干尾を引いていた気がする。人生感傷エレジー、飽和水溶液みたいに析出したのが写真だろ、みたいな気分だった、今日は。

ちょっと泣きそうになるくらい漁港が良かったので、唖々、夕焼けは「行かないで、消えないで、待って、置いてかないで」と縋っても消えちゃうんだなって思うと少し泣きそうになった。
涙が流れない様に妓夫太郎よろしく天を見てたら、地元の旧車會だか暴走族だかのバイク何台かがエンジン音で何かしら曲を奏でて去っていったので、一気に現実に引き戻された。(関係ないけど鬼滅ではぶっちぎりで妓夫太郎が好き。超共感する。昔妹が身体売るか、私が私で自分で学費用に貯めた金出すかを親に迫られたことがあり、金手放して大学院中退したので、妹自己犠牲キャラに私は弱い)
とか、早口で話したくなるくらい酔ってるが続ける。

宿の本懐は、くつろぐことにあると思う。
そういう意味では、今酔っていらんこと話すくらいには宿を味わえてるので、今日の宿は満点だろう。

脇道にそれた。

今日写真を断られた理由は、ボロいのがバレたら逆宣伝になっちゃう的な理由だったのだが、
個人的にはこの宿は知られたら、多分繁盛すると思う。建物の雰囲気もよく、周囲も風光明媚だ。
単に、アクセスの悪さが故に知られざる状態になってるだけだと個人的には感じた。

バスでのアプローチは可能だが、電車は基本不可。(30km歩ける人は除く)
個人の所感だが電車とバスでは、そこに行くとなるモチベーションに対する障壁が数段階上がると思ってる。限界旅に日々を浸す人間は別として、そうでない人にとって、電車で行けるかどうかは結構致命的に大きいと思う。そんな宿が、今後増えていくと想像すると暗澹たる気持ちになる。
総和は取れないのが常で、諦めていても痛くなる。

ああ窓の外で虫が鳴いてる。
虫はいいね、昨日も今日も明日もそのままいるんだから。鬱の時も虫だけは居てくれた。
冬になったら居なくなるけど。
氷点下10度超えりゃ仕方ないか。寒かったな。
あの頃の夢は本当の家族が欲しいだったことを思い出す。また感傷がやってくる。宿に感傷は付き物だからね。これも醍醐味。

多分ね、僕は家族というものに強い幻想を抱いてる。自覚してる。だから家族を壊す要因を厭悪する。故に鄙び宿にも、建築美よりアットホームで説明出来てしまう雰囲気を求めてるんだと思う。

名前で呼んでもらうこともなかったな、とか
産んでしまってごめんなさいは、流石にこたえたなとか、最近ずっと頭に寂しさがいる。

人間を諦めない理由も、
きっとこれは偶々運が悪かっただけで、
世の中は怖くなくて、
優しい人で溢れてて、
だから、仕方なかったんだ。って幻想に基づく感情だろう。

甘えたことを言えば、
リストカットをしたら抱き締められたかったし
オーバードーズをしたら許されたかった。
まあ毎回、返ってきたのは阻害とか暴力だったけど。話が逸れた。
いつも宿に泊まる時はこんな風。

写真残せない分、rawに近い感情を書きたかったので脱線したけれど、最後まで読んで下さった方はありがとうございました。

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