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憧れの場所へ
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すっかりと晴れ、夕日に染まりだした空の中、一際瀟洒なベッドに差し込んだ橙。荒廃した廃墟という空間の中で、ぞっとする程、美しく、優しい色をしていた。夕陽の粒子は心を否が応でも、感傷の方向に向かわせる。
誤解を恐れずにいうなら、夕日に伴う優しさと不安が同居した様な何ともつかない感覚を可視化した様な風景だと、そう思った。
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その廃墟に辿り着いた時は、天候は実に荒れていた。空からは雨どころか雹が降り注ぎ、心の中で期待感と同時に不穏な雰囲気を感じていた。平時では、そう軽々に立ち入ることも叶わない有名な廃墟でツアーが開催されるとのことで参加してきた。その廃墟についての存在自体は、昔から知っていた。何名かの人から実際に施設が稼働していた時代の想い出話も耳にした。
ずっとずっと行きたかった場所の一つであり、同時に訪問を完全に諦めていた場所の一つである。
何かの廃墟系の雑誌や写真集で他の廃墟と共に紹介されているのを除き、私はその廃墟について調べることをしなかった。先人たちのブログを読む事もしなかった。行けないことの悔しさが膨れ上がってしまう気がしていたから。それくらい心の中で大きい存在だったのだ。
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十字架に最後に祈りを捧げたのはいつだろうと振り返ってみる。記憶を辿ると幼稚園まで遡ることになった。私の通っていた幼稚園では体育館の舞台にマリア像が立っていて、そこに昼食時にお祈りをするのが通例だった。子供心に信仰心とはかけ離れた、しかもかなり独特の価値観を形成していた私は、挙動としては祈りながらも、心中で、何か実際に祈りの様なものを捧げたことはなかった。当時は恐竜に対する憧れが強かった。
実際に触れないこと。
実際に見れないこと。
そういう点では、恐竜と信仰というものも何処か似ている様に感じた。
一番有名であろう教会については、混む気がしたので後に回して、早々に奥の探索をした。
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聖書が一冊落ちていた。すっかり煤けていた。
恐竜も、神様も目に見えない。
この聖書が実際に使われたものかは分からない。テーマパークという施設の性質上、雰囲気作りの為にあったものかも知れない。
神様は目に見えない、という点について深く考える。
私は妄想、特に被害妄想について考えることが多い。
被害妄想は良くない文脈、迷惑であるという文脈で語られることが多いと思う。しかし、傍から見て実在しないとして、本人は明確な被害を受けているのだろう。それは当人の脳が見せるオーダーメイドの夢だとしても、確かにい当事者にとってのそれは、真実なのだろう。
例え、それが幻覚であろうとも、
恐竜や神様の様に目に見えないのではなく、本人にとっては見えているという点においては、寧ろ一歩だけ現実に近い概念なのかも知れない。
触れないが、見える(かもしれない)
嗚呼、そういう意味では心霊や、目蓋の裏に焼き付いた想い出というのはそれに近い領域なのかも知れない。
人と自分との間で見えるものに対して、生じる格差。
この格差はなんだかとても重たいものの様に思うのだ。
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外観から想像もつかない程に、中は瓦礫の山だった。それは一つの諸行無常であり、同時に時の経過を物語っていいる様だった。
前述の聞き及んだ当時の想い出が、もし実体験の自分の想い出であれば、ここにも在りし日を浮かべ、他の人には見えない風景を描けたのかも知れない。
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それでも目を凝らせば、そこかしこに当時の断片を読み取ることが出来た。
この目を凝らす行為というのもまた、目に見えないものを必死に探す行為に良く似ていると思う。
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廃墟ならではの天井から、だらんとぶら下がってしまっている光景が好き。
それは時というものが一つ、重力を持っていることを暗喩している様である。嗚呼、そうだ。重力も目に見えないが、落下は見えるんだ。
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荒廃した壁在に、崩れ溶けた窓に、妙に綺麗な椅子が一脚。
この椅子にも、誰か、いつか座っていたのだろうか。
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施設それ自体を物語る残留物は、往時を想起させて非常に好ましい。
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鳴らない電話。そういえば、最近の電話に際する仕組みで、通話の際は実際の音声が届いている訳ではないということを聞き及んで、とても不思議な気持ちになったことを思いだす。話した言葉から届く言葉の間に、合成音声で隔てられる。けれども、技術の進歩はそれを感じさせない。また同時に本人であるという思い込みも、認知に関与しているのだろう。
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割れた窓が蝶の様に思えるのも、僕が蝶というものについて考えることが多いからだろう。これもまた、他人に見えない感覚かも知れない。
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教会の装飾はしっかりと残されていた。
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割れたステンドグラス。骨組みだけが所々に残留している様は、当時の美しい残影を残している様。
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この教会のモチーフになった町、及び教会建築群もいつか訪れてみたい。
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外観も凝っている。
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桜の花びらが、季節の流れを表すようだった。
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こっちは枯れない花。
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緑、内と外との隔て。
探索をしていて、今回テーマの様なものを決めかねていた。
憧れが強すぎたというのもあるが、漠然と「見えないもの」という意識に憑りつかれていた部分があるから。
写真は楽しい。見えないもの、自分の頭の中の風景を少しだけでも乗せることができる気がするから。
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私は恐竜が好きだった。
けど、多くの恐竜の名前は暗記をしたのに忘れてしまった。
寝てみる夢も忘れてしまう。
もしかしたら、ここで得た感動もいつか忘れてしまう。
その時、今回撮影した写真を見返して、何か思いだせたらいいなと思う。
そうして、その時に熱量を忘れずにいられ、かつ機会に恵まれたら次はもっと綺麗に写真を撮れるようになって再訪したいと思った。
人にしか見えないものを見たいと思う。
けれど、その方法が分からない。
見えないものが沢山あって、それを沢山の人が見て、各々に自由に感想を抱く。けど、好きである、興味の対象であるという指向性だけは同一である。
ツアーの面白さはそこにあるんだという発見もあった。
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瓦礫の山と夕景と、仄か赤み差した空。
教会は、遠い異国の様。
バスにて、一日の夢を跡にする。
今回、素敵なツアーを企画頂き、大変有意義な時間を過ごすことが出来ました。また写真投稿については規約に準じ、口頭でも確認させて頂きましたが、万が一認識齟齬がございましたら、恐れ入りますがTwitterのDMにてご連絡いただければと思います。
※管理者の許可を得た読売旅行ツアーにて訪問
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