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旧下谷小学校見学会

前書き


教室の隅が好きだった。体育倉庫にある跳び箱の中が好きだった。埃臭くて、真っ暗で、それが何故かとても落ち着いた。けれども一番に時間を費やしたのは保健室。あまりにも保健室を利用し過ぎていて、先生不在の時も鍵を開けて貰っていた。学校はあまり好きではなかった。それでも自分の人生を振り返り特別な場所であった様に思う。

2023年7月。東京都は、旧下谷小学校の解体に際した見学会に参加してきた。今回の見学会の趣旨が『記憶の継承』だという。自分はこの趣旨がとても好きだなと感じた。

普段、私の投稿を見て下さる方の中には古い建物や街並み、古い物が好きだという人が一定数いると思う。その中で、「解体」の二文字には人それぞれ思い感じる部分があるのも事実だろう。しかし、それでも解体が決まり、人の想い出として残すという試みに関して、自分は非常に好意的に感じる。そして、これは写真で何かを記録するという行為の本懐の一つであるようにも感じる。こんな木っ端アカウントの写真など、誰が欲しいねんとは自分でも思うが、そういった理由から、こちらの記録が少しでも広まり、残ることを個人的に願っています。そのため卒業生の方で行けなかった人や、或いは建物が好きな人でいけなかった方、何かしら私の写真で良ければ本記事の中の写真はご自由にご活用くださいまし。

校舎に入り、まず感じたことは見学をしている人が自分の想像していたよりも多いということ。これは自分の中ではとても嬉しいことに感じた。それだけ、解体に際して本校に対して興味を持ち、あるいは想い出を辿ってきて、訪れた人が多いということ。自分は基本的に内気であまり人の前に前にと出ることが苦手なため、なるべく人のいないところを探し、何週も何週も校舎を徘徊した。極力人は写りこまないように注意しておりますが、万が一人が映ってましたらこっそり教えて下さいまし。

本記事は、
学校として好きな部分。
建築的に美しいと感じた部分。
廃墟として美しいと感じた部分。
それから学校の中で撮影した「物」に関しての部分を記載します。
特に物の項目は個人の性格もあり、割と細かい粒度で撮影しましたのでよかったらご覧ください。

学校と概念として好きと感じた場所

学校という概念は好きですか、と聞かれたら間違いなく好きと答えると思う。けれども、学校という概念が好きでしたか?と尋ねられたら嫌いだったと答える。私は今までにそれなりの数の廃校を訪問してきましたが、個人的に大人になってから好きと感じる部分と、子供の頃、実際に好きでとどまっていた場所は異なる様に感じます。家の中では一番に押し入れの中が好きだった様に、学校でも人の少ない体育倉庫や理科準備室、それから保健室なんかを好んでいました。

関東大震災にて全焼後、重厚な作りをした本校舎は、昭和3年12月7日(1928)に、復興新校舎として生まれた。同い年の東京の復興小学校はいくつも建てられたそうです。
同潤会が震災復興を目的に設立された背景、年代が直撃なので当然と言えば当然なのだが、同潤会アパートっぽさを強く感じた。
講堂との連結部。こういう隅の空間が実に良い。
廊下から続く窓。蔦に覆われながらもしっかりと灯りを取り入れていて美しい。廊下は放課後限定で好きだった。それも階層の高い音楽室なんかの片隅のちょっと人が少ない廊下が好き。
室内水道
屋外水道。水道は何故か、外のものを使いたくなる。そこに一切の合理的な理由はないいが、何故か外にある水道というものは良い。指を押し当てて、水を飛ばしたい。
屋上。不思議な形状が面白い
意味不明な拘りだが、屋上からの景色はフェンス越しであって欲しい。
その方が個人的にしっくりくる。
観た瞬間、ここだ!!!!と感じた場所。
もし自分が実際に通っていたら、絶対ここにいた。そんな安心感を覚えるバスケットボールのゴール裏の一画。
屋上その先、スカイツリー
誰も居ない廊下。余談ですが人を待つ待たせるの両方が苦手で人がいたらさっと別の場所に行くスタンス。5週目くらいで人がいない瞬間だ今だ!!!ってなって、
そしてぶちかます「手ブレ。。。」

建築的に美しいと感じた場所

教室の角が丸くなってる。
階段
美しい
空間のバランスがとても良い。
講堂。
装飾と花。
窓の位置が実に良い。
床の装飾性
荘厳と生活感
絶対勢いよく駆け下りて、この円柱でぐるんとターンかましてる生徒いたと思う。

廃墟として美しいと感じた部分

この数奇な学校は、閉校後永らくに渡り、上野に存在していた。廃墟、と称することに抵抗はあるものの、都会の中、蔦が絡まる俗に言う廃墟美的な側面があり、それが人を惹きつけた側面があるのもまた事実だろう。
そうして今日、見学で中を拝見させて頂くなか、綺麗になった校舎の中でも随所で、ここが永らく「廃」としての側面を持っていたことを感じられる部分があった。なので正直に申し上げてそういった趣味嗜好の下、美しいと感じた部分をいくつか掲載します。

緑に覆われた窓越しの景色、そこから透ける光が実に美しい。
ひしゃげた管、傾きが素敵。
歪む
欠けたタイル
べろん
だらん
錆びと落葉。
屋上まで蔦が伸びるということ。

学校にあった「物」

物は結構観察すると記憶に残る。妙に印象に残っている小学校の風景とかありませんか?
個人的に小学校で一番印象に残っていたのは玄関抜けてすぐに飾られてた像でした。少し重箱の隅をつつくような写真ばかりですが、見学会の中で見かけた「物」を掲載していきます。

奉安殿の扉、第一金庫のロゴ。
講堂の幕を引く機器。動いてるところみてみたい。
ナショナル 3 2 1 0
教室用ナショナルスピーカー
細長いタイプ。廊下に設置されてました。これもナショナル。
捻締錠。
『完全』と読むようです。
『換気扇』
赤→止 黄→強 青→弱
木製ロッカー。ロッカー入ったことありますか? 私はあります。
TOTO製かな。
不揃いな感じ良し
揃った感じ良し
下谷、という学校の名前は、復興前に、下谷区の第五中学区第一五番公立小学校だったからだろう。下谷区の小学校だから、下谷小学校。だと思う。
第103回卒業生一同
昭和五十六年度卒業生一同
記念樹の碑。昭和11年。
すりガラス。
共済ボード
収納性◎
message

今回、人が多く集まることは予想で来ていたので、最後まで行くか迷っていた。けれども行って感じたのが、やはり行って良かったということ。そして、肌で感じたこととして、このイベントが多くの写真を普段撮らない人も集めていたということ。その中には、かつての卒業生もいれば、上野という町並みにずっとあった校舎にお別れを言いに来た人もいるように思う。

個人的に、それら実体験の想い出を持つ方々に見送られ、大盛況な見学会になっていたことは、旧下谷小学校が、沢山の人に愛されてきた証左だと思う。解体は寂しいことではあるが、やむを得ない事情も沢山あるでしょう。だからこそ、沢山の人の記憶の中に、いつかここに素晴らしい校舎があった記憶が残り続けるといいなと思う。願わくば、本記事が誰かの想い出の呼び水になりますように。ご覧いただきありがとうございました。


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