事業責任者へ。結婚。 そして3回目の転職。
自己紹介エントリーの”いままでやってきたこと”の順に沿って記事を書いていきます。
自己紹介エントリー
事業責任者
買収による組織編制の直後、上司がかわったタイミングで私は事業部門の長に任命されることになりました。
なにか変わることはないと思っていましたが。
市場への向き合いや数字に対する理解含めて、当時の私では足りないと思う部分が多く。もっと強化しなければいけないと焦っていました。
焦れば焦るほど、まわりの温度感の違いにイライラしながら。
こんなことも考えられないのか。なんで本気になれないんだ。 と周りに対して常に張りつめた印象を持っていたと思います。
立場におぼれてはいけないとおもいつつ。立場にのまれていったと今となってはもうすこしやりようもあったなと。
当時の私がいるとするなら言ってあげたい。
常に矢面に立って、失敗を引き受けて保全して。自分を削るしんどさを仕事の手ごたえとして感じていたひとりよがりなマネジメントをしていた。 と。
孤独・孤立すら仕事だとすら考えていました。
結婚とコロナ禍
ただ、結婚願望だけはあって。Pairsについては時間があるタイミングでたまに更新を続けていました。
大阪と東京を週半分ずつで2拠点生活していたプロジェクトが完了した後。
その中で一人やり取りをしており、多忙にふけって連絡が途切れてしまったひとつ年上の女性のことをふと思い出してメッセージを送りました。
>"おひさしぶりです。仕事が忙しくて全然連絡できていなくてごめんなさい。"
>>"おひさしぶりです。実は交通事故でケガをしてしまい。私も全然連絡する気になれなくて。。。"
顔面骨折を負う怪我してしまったとのこと、傷も残るようで彼女はすごく落ち込んでいました。
>"かわってあげられるなら私がかわってあげたい。"
突先に普段いわないような恥ずかしいメッセージを送ってしまいましたが。本心から出た言葉でした。私は自分でも信じられませんでした。
それがきっかけで食事にいくことになりました。
一度目の食事の際、鳥焼肉のお店で鳥とマグロを食べて。
解散のときに "これからかえるんですか?" と聞かれ。
"どっかでのんでいこうとおもって。いきます?"
と自然の流れで二軒目にいくことになりました。
そこで、仕事感。プロ意識について。お互い管理職としての孤独。など。
全然ときめきもない話をしました。
その後、終電ギリギリで別れ。翌月、大分県の実家に帰省しました。
・・・まったく魚が釣れない。
大分県に帰ってまで釣りをしているのに普段は釣れる魚がつれません。
ずっとあの人のことを考えていました。 仕事のことは考えずに。
・・・これは異常事態だ。
Pairsでつぎの食事の予定を取り付け。
"次回あったときに伝えないといけないことがあります。"
大阪にもどり、約束の日。
度が合わなくなってしまった眼鏡の仕立てとセンスのない普段着の買い替えにショッピングに付き合ってもらい、いいお店で食事をし。一通り話したところで。
>"あのさ。結婚しない?"
>>"え。おねがいします。"
なぜ結婚を承諾してくれたかの理由は
"あなたの自分の仕事に対する向き合いを尊敬します。"とのこと。
私が大分から出てきたすべてが赦された気がしました。
転勤の申し入れと降格のはなし
そこから1年コロナ禍の中でのリモートワークで成功も失敗もあり新婚生活をお互い仕事にフルで打ち込むことで過ごす生活でした。
上司から呼び出しがあり、転勤申し入れと降格人事の話がありました。
来るべきときが来たか。まあ。わかってたけど。
わかってた理由は当時はうまく飲み込めなかったけど。いまになってはわかります。
マネジメントとの向き合いが得られない不安と答えがないことに対して答えを出し続ける徒労感と比較優位性のうえに立った部門のブラディングと得られる年収と自分と、もうあんなお金がないみじめな生活にもどりたくない。
そう。私は完全に守りに入っていました。部下をアクセサリにするなといった自分がアクセサリにしていたのかもしれません。
因果応報っていうんだと思います。 そうなってほしかった人がいたことも知っている。
でも、そんなことは最初からわかっていた。
クソしょうもないと飽きている私と、クソしょうもないとカッコつけながら縋っているループを終わらせたかった。
そう、転職して最初から。違和感を感じたときから。すでに終わってたんだ。
サラリーマンだから という中年おやじがいうようなセルフ呪縛を自分にかけてただけでした。それでも立ち続けるのが役割だと空気読まずに勘違いしていただけの人でした。 あー はずかしい。
"どうするか考えて回答しますね。"
~3分後
"いろいろ考えたのですがこういうのは気持ちにしたがったほうがいいと思います。 退職します。お疲れさまでした。"
3回目の転職
秒で荷物をまとめて、エレベーターを待つすがら。
尊敬する先輩にメッセージを送りました。
>"すみません。退職しました。託してもらったのに、最後までやりきれなくてごめんなさい。"
エレベーターからおりてスマホにメッセージとどきました。
>> "わかった。大阪いくわ。"
ほどなくして、再就職がきまりました。
2021年の秋の終わりのおはなし。 肩書きを語ることを辞めた日。
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