生きる世界は違う

こんばんは、イナモトです。

今日は、同年代の女友達との
会話の中で
親との関係性やもろもろ
気づきがあったので記録です。

最近、学生時代の友達と会って、
その時に
実家にどのくらい帰る?って
話をして、

月1の子もいれば、2ヶ月に一度とか
頻度は私と似たようだった。

深く話した訳ではないけど、
帰る理由におどろいた。

お母さんと話したいから、
話したいことがあるから、って
そのうちの1人が言って
私は驚いた。

私は実家に帰る時に
親と話したいから、って理由で
帰ったことは無いからだ。

え、、、、
親と話したい、という感情というか
そのようなことを考えたことなかった。


実家に帰るときは、

そろそろ顔を出さないと
悪い気がするからとか

来て欲しい的なことで
呼ばれたからとか、

季節のイベントとか

誕生日とか父の日母の日とか

何かしら義務が発生して
帰ることがほとんどである。


実家に帰ってのんびりしたい〜
って1ミリも思ったことがない…。

実家の方が自分の家より広いから
のんびりしたい〜
ならあるけど。

ドライって言ってもらって
全然問題ないのですが…


同じ様に学生時代を過ごした
同性の意見としての違いを見て
圧倒されました。


あと、幼稚園の時に
親が作ってくれた手作りの
上靴袋とか、かばんの話もした。
2人ともあった!あった!
可愛く作ってくれたり
飾りが凝っていたり、
手間ひまかけてくれて、
親ってすごいよね!って話をしてた。

私はその時、
そういう親からの手作りって
無かったなと気づいた。

友人達は手作りの物を作ってもらい
その親からの頑張りや愛情に対して
すごいと改めて感じていたようだったけど

私は…残念ながら親に対して
直接的な愛情みたいなことは
あまり覚えていない。

その代わり、
私はどこの誰かは覚えてないけど
親の友達が私にくれた
手編みのぬいぐるみは
今も大切に持っている。

親からもらったもので
大切に使っているものは
ほとんどない。
リアルにタッパーぐらい。
(父親の物は多少ある。)


手作りの物をもらってないから
愛情を感じてない、
ということではなくて

親から愛情を注がれた
という体験が
申し訳ないけど無い……。

お弁当の卵焼きとか。
お弁当がしっかり洗われてるとか。
お金には不自由なかったとか。
物理的な物はあったと思うけど。

今の私が見れば
親なりの愛情の形として
色々あったんだなと理解できるけど

子供の頃の私が
子供の時にこれは愛情だ!って
感じられた体験は
申し訳ないけど本当に無い。

違いを感じてしまった。

あとその友人の1人が会話の中で
「ADHDとかそんな感じで
カテゴライズされるようになった
変な人とかいるけどさ〜」

みたいな発言があって
とてもひやっとした。

私もADHDなのに…
ADHDって言っても
色々あるのにな…

ほかの友人でも

HSPですら
神経症扱いの発言も
受けたことがあって

世間との違い

私の生きる世界には
数多くの違いが
潜んでいるなって思った。

人と比べてしまう癖、思考を
治したいって、
最近は比べる頻度も減ってきたけど。

こっち側だからこそ分かる世界と
そっち側との世界には
見聞きしているものが全然違うって

違いが分かってしまうこと

ある意味、仕方ないよって思った。

うん、辛い。


普通になりたいって感覚とか
みんなにはあって私にはないとか
みんなは出来て私は出来ないとか

ほんと死ぬほど沢山今までもあって
ずっと窮屈だったな。

今は、自分が感じていた
世間とのズレについて
答えが分かる様になって
多少救われた感覚はあるけど

それを塗り替えていく、
それを認めて生きていくこと、
ほんと大変だなって思う。

いつか、ほんと大変だよねって
話し合える様な人に
出会ってみたい。
カウンセラーとかじゃなくて
お互いにお互いしか知らない関係
みたいな友人。

とかとか

ちょっと辛くなったな、
ってお話でした。

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