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私の夢見る、静かで豊かな生活をエッセイ本で覗き見した

休日の過ごし方を聞くと、忙しくしてないと落ち着かないからぎゅうぎゅうに予定を入れて、ずっと活動している、という人がたまにいるが、私はその逆だ。予定がひとつもなく、何をしてもいい空白の時間が広がっている方が落ち着く。この性質が自分でも分かっているので、それをできるだけ実現するようにもしている。

私の理想は、自分のお庭をもち、そこで色とりどりのお花を育てる生活だ。人間は長いこと庭というものに心血を注いできており、日本の枯山水からフランスのベルサイユ宮殿のようにきっちりとした幾何学的な庭まで様々な庭手入れの手法を発達させてきた。私はその中でもイングリッシュガーデンが好きで、いつかあんなお庭を持ちたいとひっそりと思っている。

イングリッシュガーデンというのは、英国の田舎の自然の風景を生かしたスタイルの庭のことで、自然美をたたえることが主眼となっている。植物の高さもばらばらで、背の高いお花がぴょっと突き出ていたり、茂みがもくもくとしていたりして、あまり手入れされていない感じがいい。(実際のところ花の咲く時期や組み合わせなどは計算されているが、ぱっと見は自然そのままである。美しさが強調された野生の花園といった雰囲気だ)

イングリッシュガーデンの一例。豊かに植物が生い茂っている

東京やニューヨークなど、騒々しい都会で長いこと過ごしてきたからかもしれない。普段は都会が好きだし、コンビニのない場所に住むことなど考えられないし、家を出たらすぐそこにレストランやらカフェやらがある方がいいのだが、たまに都会に疲れると、お庭を育てるという自分のひそかな夢を思い出す。

私の夢の中で、そのお庭は私の住む家の裏にゆうゆうと広がっている。年中違う種類のお花が咲いていて、裏庭というよりもガーデンという言葉が似つかわしいくらいしっかりとデザインが行き届いている。春にはイチゴもとれる。お庭は家の外のテラスと芝生を通じてつながっており、コーヒーを飲んでいてもふと思い立ったらすぐ水やりができる程度の近さにある。

これも妄想の中の話だが、春になると、私はコーヒーをなみなみと注いだマグカップと園芸カタログを持ってテラスに座り、分厚いカタログをテーブルの上に広げながら、今年は何を植えようかと妄想をふくらませる。カタログのページををめくる私にむかってお庭の方からそよ風が吹き、紙がはためいて、それを私は左手で押さえる。あ、このお花、去年は咲かせられなくて失敗したんだった、つぼみができず葉っぱしか見れなかったんだよな、今年こそは、などと思いながらカタログの注文表にそのお花の種子の注文を書き入れて、コーヒーをすする。

こんな夢のような静かな生活だが、実際にアメリカやイギリスでは、こういう風に暮らしている人がいるらしい。というか、そういう生活をしている人の書いた本を読んだことがきっかけで私はこんな妄想が頭から離れなくなってしまった。庭園系エッセイとでもいうのだろうか。本としてはとても面白いジャンルで、植物に興味がなくてもエッセイが好きならおそらく楽しめる人が多いと思う。

私がハマったきっかけは、この本だ。

『シャーロットのおくりもの』の著者、E・B・ホワイトの妻でもあったキャサリン・S・ホワイトの著書である。E・B・ホワイト自身も有名な作家だが、妻のキャサリンもニューヨーカーという権威ある文芸雑誌に長年務めた、当誌初のフィクション編集者というパワーカップルであった。彼女はナボコフやアップダイクなどを発掘した凄腕の編集者で、自らも文章を書いた。二人はニューヨーク州の北部の豪邸に住んでおり、キャサリンはそこで趣味のお庭の手入れに精を出していた。

キャサリンの文章は歯に衣を着せないためとても面白い。有名な園芸会社二社のカタログを比べ、「こっちはだめ」などと容赦なくぶった斬り、「この花は本当に綺麗だけど手間暇かけないと咲かなくて面倒」「この花は可愛くない」などと個人の好み全開、フルスロットルでガーデニングへの持論を繰り広げる。その勢いやこだわりには、全く植物のことなど知らない読者でもつい花が育ててみたくなるほどの熱意が溢れている。

美しく広がる庭園だが、その裏には今年の春は暖かすぎるだの雨が降りすぎるだの天候に文句を言い、お花が咲くか咲かないか気を揉み、やっと咲いた時に喜んでエッセイまで書いてしまう人間の心がある。そんなところまで含めてお庭を育てる生活は楽しそうで、都会のノイズや人に揉まれる生活に疲れると、ああ、そんな生活を早くしてみたい、と私は妄想の中のイングリッシュガーデンに思いを馳せる。庭園での静かで、彩り豊かで、エキサイティングな生活をいつかは実現させたい。


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