キャリーバッグになに入れよう?
ついこの前こども達が帰省している時、晩御飯を食べながら娘がふいに
「パパとママってどんな恋愛してたの?」と聞いてきた。
娘も、息子も、やはり自分達のことも含めて恋愛にいろいろと関心があるようだ。
あまり詳しく伝えるのは恥ずかしかったので、大まかな感じで少し話してあげた。
以前、『米焼酎と杏サワー』という記事でも少し書いたが、私と妻は最初は遠距離恋愛だった。
私が東京、妻が新潟だった。お互いの仕事もあり、いつも行ったり来たりという訳にはいかず、毎日の電話が何より楽しかった。
メールで済むような簡単な話も、朝、昼、晩と声が聞きたくなり、つい長話をしてしまう。
今のようにLINEがない時代なので、通話料が十万を超えた月もあるくらいで、流石にこの時ばかりは二人で会い、緊急会議を開くことになった。
ある時、妻が「私も東京に出て来たい」と言った。私ももちろん嬉しかったし、いづれそうやって一緒に生活が出来ればいいなぁと思っていたが、新潟での仕事もあるだろうし、家族に説明もしなければならない。段階を追ってゆっくりと計画を立てなければならないと考えていた。
妻としてはすぐにでも私のアパートに引っ越し、新しく仕事を探したいというのが一番の希望であったのに、私が呑気に構えていたのでそれが少し不満だったようだ。
私のアパートは当時三軒茶屋にあった。
妻が東京に来る時は新幹線なので、地下鉄と山手線を乗り継いで東京駅まで迎えに行っていた。
その日も妻は少しすねている様子で、アパートでも、レストランでもあまり口をきいてくれなかった。私は気まずい時はそっとしておくタイプなので、コーヒーを入れてあげたり、いつも食べる大好物のマフィンを注文してあげて、自分も本読んだりしていた。
時間が来て、一緒に電車に乗り新幹線へ向かおうかという時、堪えきれずに妻が泣き出してしまった。周りの目などはあまり気にしないが、泣いている女性をひとり新幹線に乗せるのは忍びなくて、駅の構内で話をした。
「自分が悪いから気にしなくていいから早く帰って」とは言うが、やっぱり心配であったし泣き止まないので、私も新潟までの切符を購入し一緒に向かうことにした。最終までにまた東京行きに乗り込めば、なんの問題もないと思った。
妻は私の行動に驚いていたが、私は「いいよ、いいよ、時間あるから大丈夫だよ」と妻をなだめ、不思議な気持ちで乗車していた。
妻は疲れていたのか、程なくして寝息を立てて眠ってしまった。心地よい揺れに促され、私もいつの間にか夢を見ていた。
さて、長岡駅に着き、妻は「ごめんね」と謝りながら、またまた泣き出してしまった。
どうしていいものか分からず頭を掻き掻きあれこれ思案していたが、あんまり女性を泣かせるのは男として沽券に関わると感じ、ものは試しで「また一緒に東京に戻る?明日のこととか新幹線の中で考えようか?」と言ってみた。
当然そこまではしないだろうと鷹を括っていたのだが、見事に的が外れ、「え?いいの?じゃぁ切符買って来るから待ってて!」と、急に涙は止まり、笑顔に戻って走って行った。戻って来ると、「なんかお腹空かない?」と聞いてくる。私もお腹が鳴っていたのでどこか安心したのかも知れない。コンビニでチキン南蛮弁当と、から揚げ弁当、お茶やコーヒーやお菓子を買った。往復してくれるお礼だと言って、妻が缶ビールを買ってくれた。帰りの新幹線では、妻は上機嫌だった。私がチキン南蛮が大好きだということももちろん知っていて、今度もっと美味しいのを作ってあげるからねと鼻を膨らませた。
自分も大好物のから揚げを、それはそれは美味しそうに食べ、完全に復活してしまった。
あの新幹線で飲んだビールは、どこか特別な味わいだった。
と、言うような新幹線往復事件簿が、その後数回に渡って発生したので、最後の方では、妻の新しい仕事先を二人で探し始めていたのである。
後日、私が肺気胸の手術で入院したのをきっかけに、妻は地元での仕事を退職し、晴れて念願の東京生活が始まった。
この話を娘にすると、「ママ、男らしいね!!」と、首を傾げたくなるような感想を言った。
「もし若菜が同じような立場で、東京とかに好きな人いたらどうする?」
と尋ねてみた。
「私ならいちいち相談なんかせずに勝手に引っ越す!!」
と即答した。
さすが妻に似て、いや、それ以上に「男らしい」女の子だと思う。
天国のママも、顔を赤くしながらこの話を聞いていただろう。
君が東京に引っ越す時持って来たあの大きなキャリーバッグ、まだまだ使えると思うから、若菜が旅立つ時にプレゼントしてもいいかい?
私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。