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毒親は捨てよう

私の毒親、母の方は搾取子と愛玩子をはっきり分けるやつでした。
弟には盲目的に尽くし、私からはひたすら搾取し続けつける。時に弟の為に私を犠牲にしようと何とも思わず、そしてまた私もお金回りが良い物だからたいそう搾取しがいのある子供だったのだ。
親、子供、私が母の下でネグレクトに遭いながら暮らしたのは中学生位まで。高校に入ってからスカウトされてモデルを始め、バイトをしたりで殆ど家で食事をする今年も無くなった。
専門学校の卒業と共に家を出て一人暮らしを始めたから親から何かしてもらったとしたら専門学校の学費が最後。
それからもう27年以上、搾取され続けてこちらが200パーセントしてあげてきた事ばかり。
してあげてきたって言い方も好きじゃないし、してあげた事を書き連ねるのもどうかと思うけど、伝わり辛いと思うので買い物から友人との食事代や観劇に、父に至っては入院代に車の修理代、再婚相手と飼っている犬の病院代まで。
親子の役割逆転の様に盲目的に搾取されてきた。
私は老犬が介護状態に入ってもう3年目になって、夜間徘徊で寝られない日もある上に日に日に目が離せなくなるので外出もままならず仕事どころか自分の病院や美容院にすら行けない時期があり外出する時は母に来てもらって犬を見ていてもらうという感じで、それもバイト代としてお金も払い、食事もデパートや有名店のお弁当等も用意してお願いしていたのですが、
ストーカー被害で弁護士さんと警察に事情聴取で呼ばれていた時も、もう時間が遅いから帰ると警察まで来たり、
検査結果が良くないから早急に違う病院で詳しく検査する様に言われて、家に戻り母に告げ、翌日違う病院に検査結果を持って行きたいから明日も昼間数時間で良いから来て欲しいと言うと「そんな毎日無理よ、私だってやりたい事があるから」と言われた時にわたしの中で最後の糸が切れた。
明日やりたい事ってなんなの?動かせない用事か何かあるならわかる。それなら無理を言わないけれど、この状況で友達だって心配してくれたり何かできる事あれば言って位言ってくれたりするよね。
大丈夫?の一言も、心配すら無く、病院に行きたいから数時間家で犬を見ていて欲しいってそれをお願いしても(結局翌日に何か用事があった訳ではなかった)協力してもらえないならもう繋がり等何も無いよね。
私が血の繋がりがあるというだけで盲目的にしてあげてきた事、母の好きな物を与え続けたけど何の為だったのか。
血の繋がりなど私に取っては何のプラスも無い。
遺伝的なマイナス要素しかない。
私は自分の力で歯並びや外見の修正をして教養を身につけ価値観を努力で確立して人としての徳を積みたいと成長を続ける為に頑張っている。
この毒親と関わると低度の低いやり取りの為不必要に自分の価値を下げる様な争いをする羽目になる。
毒親は毒を吐き続け、搾取し続ける。
物質だけでなく、私の良心や愛までも。
そしてその毒で私の心が病み、汚れるのだ。
「もう縁を切ろう」
今まで内観やヒプノセラピーに心理カウンセリング、あらゆるものを試し、親を赦してきた。
親から何一つ期待もしていないし、できる事はしてあげて親孝行も十分した。受けたものを上回る事を返してきた。
また内容については後日書いていくつもりだけど、
この歪んだ関係を仏教の悟りに当て嵌めたとて到底我慢し続ける意味が見当たらない。
毒親にとっても私と関わり、私を傷つける度に無知の上の業を増やすのだ。
別れるのがお互いの為なのだ。
その日、何十年ぶりかに私は怒鳴って母を叱責した。
あなたは私にとって親でも何でも無いと。
私は一度だって親を頼った事は無い。病院に行きたくて数時間の留守番を頼み、それに十分な対価も支払っている。
それすらもきいてもらえないならこの関係は何なのか?
よく考えろと。母は私から見たらアスペルガーだと思うのだけど自覚が無い為病気の人に言っても仕方が無いという所で諦めてきたけれど、最初は私が母親として何もしてないって言うの?等と泣いたりしていたがあなたが他の親と比べて何か秀でた所などあったのか?私にとってはマイナスしかない。
私はある、子供として自慢できる子供に自分でなり、親孝行も散々してきた。優秀な子供だった。
もう縁を切って他人になろう。
あなたは遠い親戚より遠い存在だった。
どうかお元気で。来世で関わらず済みます様に、私は子供としてやれる事は十分全うしたからもうこの間に何の関わりもありませんように。

反省したのか翌日母は来たけれど言葉も交わさずそれが最後。これだけ書くと私の人間性まで疑われかねないので補足ですが、それでも来てくれたんじゃん、という話でもなく、私の家から色々な物を持っていくのです。利害があるから来るのです。私もそれを許していたし、頂き物なども全てあげていたし、だけどもうそれも終わり。

残された時間は少ないのだから、これからは不毛な所にエネルギーを費やす余裕すらない。

親になれない親もいるのだ。親だからと盲目的に尊敬や敬意を抱く必要性は無い。毒親からの脱却はカルト宗教からの脱却と同じかそれ以上に苦しいかもしれない。
遺伝や血縁というものが必ずしも自分にとって感謝の対象では無いケースもあるというのが私の結論です。
本当の家族は自分で作れば良い。
同じくADHDで苦しんだ体験記を出版されていたアーティストのさかもと未明さんの著書の中にも親との確執の末、親との和解を諦めて本当の家族を外に求め見出す過程が描かれていてとても共感した。
ADHDは遺伝的要素を否めない部分があり、親も何かしらの機能障害がある事も多い。これを性格が合わない、分かり合えないという事で双方が苦しんでいるケースもある。
親が自分の障害に気付いていなくて、それに理解すら示さない様では子供がそれを改善するのは不可能に近い気がする。

毒親がそれで苦しんで悩んでいたり、改善したいという気持ちがあるなら別の選択肢もあるかもしれませんが、
私の親の様に親の自覚も無く親として頑張る意欲も無い人達ならば子供の役割を意識して自分を消耗させる必要性も無いのではと。

私は今仏教心理学を学んでいて、十二因縁の最初の無知に「親の因果は子に巡る」「因果は三代巡る」と言われる事があるが、正にそうだと思う。
それならば私はその因果の生まれた理由を理解し、赦し、消化して私で止めれば良いのだと。 

いくら消化しても毒親は毒を吐き続けるので無知による因果が生まれ続ける、それならお互いに離れた方が良いのだ。
それが私の為、親の為にもなるのだから。
この不毛で歪んだ関係を棄てよう。
















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