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母が、くも膜下出血で倒れました。[中] #2

起業家という道を経て、今は二作目の出版を目指して執筆活動に明け暮れる橋本なずなです。

このnoteは三部制です: [上] はこちらから

ブーブー・・・

朝を知らせるアラームが鳴った。スマホの画面には9:30と数字が並んでいる。朝が来たんだと思い知る。
強盗は来なかったし、殺されもしなかったんだと思い知る。
残念ながら、今日も命があることを有難いと思えるほどには、私の心は晴れやかではなかった。
それを映し出すかのように、窓の外には曇天の空が広がっている。

「 とりあえず帰るか 」

昨夜ふらっと出てきたばっかりに、小さなポシェットの中にはお財布と簡易的なメイクポーチ。あとは文庫本が一冊。
何にしても一度帰らないとな、と思ってホテルのチェックアウトを済ませた。

電車に揺られて10分。雲の切れ間から太陽が差した時、ウザい、と思った。
精神疾患を約2年間闘病していた私の一つの持論として、陽の光を鬱陶しく感じはじめたら鬱の始まり。
あぁ、やっぱり病んでるわ、と確信し、もう暫く社会生活を休業することを決めた。


———  ガコッ

「 えぇ… 」

家に戻り玄関の鍵を開けると、ドアガードが掛かっていて開かなかった。
だるいって、と呟いて、私は中に居る母に電話を掛けた。

「 ・・・もしもし?下、開けて 」
『 えぁ…  あ… 』

暫く待っても出て来る気配が無くて、私は再び電話を掛けた。
いつまで寝てんの、とイライラして、声色に少し怒りが交じる。

「 もしもし?なぁ、開けてって 」

———  ドッ、ガコンッ、バタバタバタッ・・・

電話の向こうと、目の前の扉の奥で、何かが激しく転がり落ちるような音が響いた。

『 ぁあ…ぁぁ 』

扉が開くと、地面を這うようにして玄関になだれ込んでいる母の姿。
顔は青白く、口は半開き、目の焦点は合っていない。すぐに分かった「これはヤバい」と。

「 お母さん?分かる?帰って来たよ?私のこと分かる? 」

母の意識を確認しようとしたところで、鼻を劈くような、強烈な異臭に気が付いた。
母の顔をよく見ると、唇の周りが茶色く汚れている。

・・・食糞したか?

今思えば、あまりに極端な発想だった。
しかし、それは確かに糞便の匂いで、精神を病んだ人間の異常性は、私が身をもって分かっている。突拍子もない行動に及ぶことは珍しくない。

私は一度、母をリビングまで連れて行こうと試みた。2階に続く階段を、支えながら登る。

リビングまで辿り着くと、母をソファに座らせた。
精神的な病にしか知識が無い私は、この時もまだ、母は精神を病んでいるのだと思い込んでいた。
意識をこちらに戻す為に、手を握り、何度も何度も声を掛ける。

「 お母さん? 私、なず。分かる? なずのこと誰か分かる? 」
『 ぅ…ん、う、ん 』

母は震えながら首を縦に振った。そして、ままならない発声で『 さむい 』『 おふろはいりたい 』と言うので、再びお風呂場まで歩く。

脱衣所で母の服を脱がしている時に、私はやっと気が付いた。

失禁しているんだ。

だからか。そういうことか。
口の周りが汚れていたのは、無意識のうちに手に付いた汚れが、顔に触れた時などに付着したのだろう。
相変わらず、飛躍した自分の発想に呆れる。

それにしたって…  これは “えらいこっちゃ” だ。
母は浴槽の中で熱湯を浴びながら さむいさむい と呟いているし、母の部屋を覗くとデスクやタンス、コート掛けなど、何もかもが倒れている。
散らかっているなんてレベルじゃない。それこそ、強盗にでも入られたのかと思うほどに、たくさんの物が倒れている。

それでも私は精神的な何かだと思い込んで、当日診察してもらえる精神科を探して手当たり次第に電話を掛けた。


10軒ほど電話を掛けた頃だろうか。
母をお風呂に入れてから20分ほどが経っていた。状態は変わらない。
電話の向こうにいる精神科の看護師さんに事を説明していると、「 それはまず救急車を呼んだ方が良いかもしれません 」と言われてハッとした。

そこで私はようやく、母には身体的な何かが起きているのかもという発想を得た。
先入観とは怖いものだ。自分には精神的な分野の知識があると驕り、偏った見方をしてしまっていたと顧みる。
私は言われた通りに119番に発信をすると、程なくして救急隊員の男性が3名やって来た。

さむいさむい、あたまがいたい、こわい、と言う母をお風呂から上がらせるのは一苦労だった。
なんとか服を着せて、担架に乗せる。
母の保険証とポシェットを抱えて、救急隊員のあとを追いかけた。

私と母を乗せた救急車は、4㎞ほど離れた総合病院へと向かってサイレンを鳴り響かせた。

[下] につづく

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