マガジンのカバー画像

doodle note

976
読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
運営しているクリエイター

#まちづくり

寝る前のメモ。

やっぱり、その場にいかなければわからないことがまだまだたくさんあるなと思えるイタリア滞在でした。 3年前にMILANO DESIGN WEEKへ伺おうと思ってから、世界が大きく変わってしまったけれど、今年は “通常開催” と呼ばれる以上の熱気があふれていたように思います。 今回の旅路はTwitterにまとめているのだけれど、もちろんこれ以上の体験がそこにはあって、早く日本に帰って実践したい。 半年前に出会ったみなさんとの楽しい時間や、新たにお会いした方々との刺激的な時間

きょうのメモ。

記憶が新しいうちに、今日のところは書いてしまおう。街が発展していくことは良いことだと思うのだけど、これまで流れていたスローな時間がどんどん失われていくような気がしていて、まちに対して環境やアートの取り組みに関わる身としては、ぼんやりとした違和感だけが残る。おそらく、同じ回に参加していた何名かも同じことを感じていたと思う。 もちろん、新しい場所ができれば新しい人の流れが生まれ、それに付随して新しい取り組みもはじまるわけだから、それはそれで歓迎するべきだと思っている。これまで地

寝る前のメモ。

感覚というものは正確ではないけれど、今年は少し、季節に急かされているような気がする。桜のあたりからそんな気持ちがふつふつと。追い討ちをかけるように梅雨入りが早かったせいかもしれないし、紫陽花の青さがそう感じさせるのかもしれない。人間は嘘をつけるから、嘘をつけない自然界のほうが正しいバロメーターなのだと私は思う。 わからない出来事をスピリチュアルに処理したいのではなく、例年の異常気象から、そろそろ人間側の都合で進めては、どうすることもできない世の中になってきたんじゃないかと感

風景をつくる人をつくる風景。

自然、建築、標識、看板、信号、公園、路上、そして、道ゆく人々 --。 はじめてのまちを巡るとき、意識的に、あるいは無意識のうちに、この辺りについてをよく観察するようになった。その場に身を投じたときに、感覚的に惹かれるものごとが、私自身が「いい」と感じる風景だから。 何を基準にして「いい」と感じるか、その比較対象はいつだって地元。いや、正確にはいつの間にか地元になっていた。もっとこんな風景が見れたら、こんな日常を目にしたら、私たちはもう少し地元のことを好きになれるのかもしれ

霧の音を聴くように。

「こんなことやってみたいと思ってるんやけど、杏奈ちゃんはどうやろ」 「こんな風に考えてるんやけど、並河さんはどう思う?」 まちの人と顔を合わせると、いつの間にかそんな会話ができるようになってきた。そして、そういった会話ができるようになってきたことで、生まれ育ったまちで暮らすことに少なからずおもしろさを感じられるようになったのだと思う。 わたしの地元は、JR京都駅から快速電車で20分、人口おおよそ88,000人のまち、京都府亀岡市。なだらかな山々に囲まれた盆地には、晩秋から

寝る前のメモ。

私は夢でも見ているのだろうか・・・といった具合で、あっという間に2月が終わりを迎えようとしています。手をつけられていないあれこれを終わらせていかないといけないのですが、とにかくあと1日走りきれたら。 と言いつつも、メインは開催前までのサポートなので、はじまってしまえばはじまってしまったな〜という感じです。 もしかしたらアーティストのみなさんはずっと、こんな風に毎日を生きているのかもしれないという状況を垣間見ながら、わたしはやっぱり見たものに感動し続ける側でいたいと思うので

寝る前のメモ。

空間(建物〜まちの規模まで)における人の行動をどうデザインできるか?空間(周辺環境)は感情をどう受け止められるか?そういった作用を誘発できる場の構成要素は?幅広い価値観があるなかで、利便性重視・人間側の都合で開発してきたものを自然側に委ねていくことは可能か?感性が育まれるまちって? などなど、本当にたくさんの疑問がポコポコと沸いてきたタイミングで先生にお声がけをいただき、「川とともに暮らす 亀岡2070」では、地域パートナーとして、また、ファシリテーターとして、参加者のみな

寝る前のメモ。

「・・・そうか!」と何かを思いつくのは、散歩をしているときか、自転車に乗っているときか、お風呂に入っているときが多い。脳みそや神経がほぐれているからかもしれないけれど、肩に力が入っている状態では簡単なことですら思いつけない。 とまあ、前振りは随分大きく出たわけですが、大した発見ではなくて、少しだけ悩ましいと思っていたことについて。 最近は連日、関わる企画についてSNSで投稿をしているわけですが、朝の忙しい時間帯に推敲しながら文章を書けるほどの余裕がなくて、投稿したいけれど

寝る前のメモ。

持続可能なまちの規模と経済活動について、もう少しきちんと理解を進めていきたい。全てがすべて、右肩あがりの社会ではないことを、みんなきっと頭ではわかっているはずなのに、実際の計画に落とし込むのは簡単なことではない。 今後の予測を右上の方角へ伸ばしていいものは、人口でも経済でもなく「幸福度」だと思っていて。何をもって「幸福」とすべきかどうかは、人それぞれでむずかしいのだけれど、その分野で先を走る国々を見ていたら、目指す方向はそれなりに明白なのではないかと思っている。 アリスト

マイクロツーリズム?違うでしょう?CPH「観光の終焉」から日本の観光を考える。日本型「観光」は、もう終わらせませんか?

コロナでほとんどすべての業界に歪みを起こしています。少し前まで、日本はオリンピックまであと数ヶ月、どこもインバウンド熱気でいっぱいでした。その反動もあって、最近は「観光」を扱うニュースが多いように思います。 以前、上のようなnoteを書いたことがありました。コロナが起きた今こそここで立ち止まって、完全コンテンツ型の日本の観光も舵を切るべきだ!という確信と共に、そうなる兆しが生まれるといいなと少し希望を持っていました。 ところが、テレビで特集されるのは、地方のお客さんが来な

寝る前のメモ。

晴耕雨読的な暮らしの良さは、自分の時間軸を自然側にあわせていくことで生まれる心の余白にあると思うのだけれど、そこまでのゆとりがもてるのは、もう少し俗世と離れてからになると思う。 もともと不便さには耐性があるけれど、わたしにはまだ手放せないものがそれなりにある。(手放す必要があるかどうかはさておき。)それに、どちらかといえば大雑把なほうなので、絵に描いたような丁寧さのもとでは暮らせないし、身のまわりにあるもので「実験」をしている感覚のほうがつよい。そういう意味でも、自分自身が

建築・都市・まちづくりが目指すべき人本主義でつくるグランドレベルの世界。それでも高密度を恐れず、私たちは人間らしいまちをつくっていく。

1階づくりは、まちづくり。久し振りの投稿です。 コロナで世界中のまちは焼け野原になりはじめています。戦争時や震災時のように物理的に建物が破壊されていないので、見た目の風景はそれほど変わっていないのに、近づいて見ると1階のお店は閉まっていて、まちの人気は少なくなっています。また家に閉じこもっている人たちの気持ちは、日に日に沈んでいく。確実に、私たちが暮らす日常が“見えない焼け野原“になりつつあります。(下写真:今日の上野駅) 経済は世界恐慌以来の落ち込みと言われはじめ、メデ

寝る前のメモ。

なにかができていく「プロセス」を、どんどんまちの若い人たちに開いていけたらいいなと思う。 とくに、地元を離れる前の中高生たちとの関わりをもっとつくっていきたくて。映画「かめじん」DVDのレンタルも、そんな思いで始めているのだけれど、これからやっていきたいこともいくつかあって。 力をつけないとな〜〜〜27歳!(ものごとに年齢は関係ないと思っているけれど、自分を鼓舞するためにだけ使います。中学生の頃から考えると、2倍も長く生きてる) 『いつもの亀岡。-shooting ou

寝る前のメモ。

途中まで読み進めていた本を、昨日ようやく読み終えた。「アルベルゴ・ディフーゾ」について理解を深めたかったのがこの本と出会ったきっかけだけれど、それ以外の地域の事例もおもしろく、また、地元で「地域振興」と呼ばれる分野に関わる私にとっては、必ず読むべき一冊だった。 やっぱり一筋縄ではいかないし、どこも大変だよなぁ・・というのが、この本を読んだ正直な感想だったけれど、考えながらも走っている方々がいるというだけで心強いし、すでに誰かがやっているという事実があるだけで、「やればできる