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寝る前のメモ。


感覚というものは正確ではないけれど、今年は少し、季節に急かされているような気がする。桜のあたりからそんな気持ちがふつふつと。追い討ちをかけるように梅雨入りが早かったせいかもしれないし、紫陽花の青さがそう感じさせるのかもしれない。人間は嘘をつけるから、嘘をつけない自然界のほうが正しいバロメーターなのだと私は思う。

わからない出来事をスピリチュアルに処理したいのではなく、例年の異常気象から、そろそろ人間側の都合で進めては、どうすることもできない世の中になってきたんじゃないかと感じている。自然の摂理を考えると、人間側の都合で進める開発には、少なからず限界があるように思う。以前どこかで「人間中心」のまちづくりという言葉を見かけて、個々を大切にする価値観は大いに賛成なのだけど、自分たち人間が中心だと考えることに違和感を覚えた。

私が地元で感じている居心地の良さは、そういったことをある程度共通言語として語れる土壌があるからだと思う。自然が身近にあることで、常に自分以外のものと共存している感覚・環境の課題について自分ごととして考えられるのであれば、この人口規模でチャレンジしていきたい。

前後するけれど、そんなタイミングで研究チームの先生方にお声がけをいただいたものだから、「川とともに暮らす亀岡2070」は、仕事というか個人的な興味として引き受けたいと思ったし、こうして地元できっかけができたことは素直にうれしい。(概要はチャプター3(2:50)のあたりを見ていただけると良いと思います。)

私がいいなと思うまちは、オックスフォードにしても、レイキャヴィークにしても、ハイデルベルグにしても、バルセロナにしても、中心部から常に自然が見えているところだった。電車や自転車に乗れば簡単に、自然にアクセスできる。

テクノロジーの進化を否定するわけでも、悲観するわけでもなく、大切にしたいと考える「社会(と、社会を構成する人を)」を持続可能にしていくために、テクノロジーを介在させていきたい。まだ読めてはいないのだけど、『コンヴィヴィアル・テクノロジー』には、今知りたいことが書かれていると思っている。

まだ読み終えていないのに、次々本を買う癖があるのだけれど(既に20冊以上は積読に・・)、その前か後に読もうとしているこちらも楽しみ。複合的に理解したいし、その時々の気分に合わせて同時進行で読んでしまうかもしれない。

思っていた以上にバタバタしてしまいましたが、今日1日を通してわたしは「複雑な社会」そのものに魅力を感じていることがわかった。

答えがひとつとは限らない状況下で、何かひとつの答えを追い求めるよりも、複雑なものを複雑なまま理解し、受け止めて、多様なまま成立する社会をつくりたい。そのなかで最低限を維持するために必要なインフラのこと、考え直さなければいけない人の行動のことを改めて理解していきたい。


環境、観光、アートを軸に進めながら、そこから先の教育、福祉の領域まで。先はとても長いけれど、本当に楽しみ。

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