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霧の音を聴くように。


「こんなことやってみたいと思ってるんやけど、杏奈ちゃんはどうやろ」
「こんな風に考えてるんやけど、並河さんはどう思う?」

まちの人と顔を合わせると、いつの間にかそんな会話ができるようになってきた。そして、そういった会話ができるようになってきたことで、生まれ育ったまちで暮らすことに少なからずおもしろさを感じられるようになったのだと思う。


わたしの地元は、JR京都駅から快速電車で20分、人口おおよそ88,000人のまち、京都府亀岡市。なだらかな山々に囲まれた盆地には、晩秋から春先にかけて霧が湧き立つ。

観光地として有名な嵐山の上流域にあり、トロッコ電車や保津川下りが行き来している。京野菜の一大生産地であると同時に、最近はオーガニック農業も盛んで、2021年1月1日からプラスチック製レジ袋の提供禁止が始まった。

わたしは、2016年4月から働きはじめ、地元と関わるうちにまもなく5年の月日が経とうとしている。幼い頃からあぜ道と夕日のグラデーションが好きで、小学2年生から高校卒業まではバスケットボール一筋だった。大学は政策系の学部で、国際関係学や貧困地域の経済開発について学んでいた。

短期間ではあるものの、国外に半年ほど滞在し、旅行者の視点で “もったいない” と感じたことに加え、生まれ育った土地をもっと知りたいと思うなかで、何かできることがないかを考えはじめた頃に、ちょうど商店街の活性化に関われることになった。

▲事業の一環で制作したコミュニティ映画「かめじん」。まちの人たちが主人公の映画で、マドリード国際映画祭2019にノミネートしていただきました。

(余談ですが、亀岡に暮らす人たちのことを「かめじん」と呼びます。ただ、お隣「京都市」との接点が生まれた時にはじめて「かめじん」という概念が生まれるということに、先日中学生と話しながら気がつきました。)

そんな地元で、現在は移住促進やコミュニティ・ベースド・ツーリズムの振興、各種プロジェクトの地域コーディネートなどを行っています。

数年前に “見てみたい” と思った風景を、まちの人たちとともに描けるようになってきたことと、ちょうど「かめおか霧の芸術祭 〜 めぐるかめおか 〜 」の搬出が終わった今だからこそ、改めて言葉にできるのではないかと、今宵は気の向くままに指を滑らせてみます。


23年暮らしていても、自宅と駅しか知らなかった地元。

5年ほど行き来するなかで、縦軸や横軸でたくさんの人と出会い、知らなかったまちのおもしろい側面が見えるようになってきた。駅よりも向こうを流れる川の、そのまた向こうへも、あるいは、中心部から離れた峠を越える場所へも、随分足を運ぶようになったと思う。

ベッドタウンとして開発が進み、国道沿いにはチェーン店が並ぶ。1300年の歴史はアスファルトの下に埋もれ、残っているとも壊れたとも言われる城下町の風景や、幼い頃に身近だったはずの汚れてしまった川。出て行った若者からは「何もない」と言われ、地元に残る若者が望むのは、イオンモールとアウトレットとスターバックス。マジョリティがそれを望むなら仕方がないと、その価値観のなかで暮らし続けることを諦めようと思ったこともあった。

身長が大きくなるにつれて服が小さくなっていくように、中学を卒業する頃には、自然環境の心地よさと感覚的な居心地の悪さがちょうど半分ずつで、どちらかといえば早く次の場所へ行きたかったし、バスケットボールだけに集中したいと思っていた。

それでも、毎年やってくる田んぼの水鏡やあぜ道に咲く彼岸花を見るたびに、暮れていく夕日のグラデーションを見るたびに、そして、夜を静かに迎えられることに(カエルの大合唱を除いて)、多少不便ではあったとしても、この環境が気に入っていることだけは心の底でなんとなくわかっていた。

そこから先に進めたのは(おもしろさを見出せたのは)、まちを行き来するなかで出会った人たちととにかく話をしたからだと思う。仕事中、歴史の話をたっぷり2時間、3時間と聞くこともざらにあった(家に戻ってから時間を取り戻すように働いた)。

興味のあることは聞き、まち歩きのイベントにも参加し、このまちを選んで移り住んでいる人やクリエイトしている方々の存在を知り、そういった人たちとのコミュニケーションを通して、表面的には見えなかった地元の魅力の見つけ方を教えてもらった。さまざまな人たちの視点を借りることで、まちそのものが立体的に感じられるようにもなってきた。

だからわたしも、出会った人たちとその先を描いてみたいと思えたし、ようやく描けるようになってきたのだと思う。

正直なところ、この5年という期間が長かったのか、短かったのかはわからない。大きな企業に勤めていたらもっと大きなインパクトをつくれるのでは・・・社会人って一体なんなんや・・・と思う瞬間もなかったわけではないから。

けれど、目の前の人たちとの一対一のコミュニケーションを大切にしていくことで、ちゃんと地元と向き合ってこれたのではないかなと思う。

わたし自身、あまり参考にしてもらえるような人生ではないけれど、同じ町に住む中学生や高校生、大学生が目を輝かせながら未来について話をしてくれるのを見ると、間違ってなかったんだなと思うし、何よりも背筋が伸びていく。「この子たちのために」という大義名分は掲げないけれど、次の世代におもしろがってもらえるように。

そのために今、大人である私たちがこの場所でできることをまじめに楽しく考えているのだと思います。


人と会って話すことの価値や、五感を通して感じられる経験。

どれだけテクノロジーが進んでも、見えないウイルスが蔓延しても、変わらないものがあることを知った1年。

日々、目の前の人たちとともに心を動かしながら、「ひと・もの・かね・情報」のめぐりを促し、手触りのあるやさしい未来を描いていきたいと思います。




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