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読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
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2020年5月の記事一覧

寝る前のメモ。

自分の部屋であっても、視点を変えれば新しい発見がある。 ひさしぶりに体調を崩して、今日は1日のほとんどをベッドの上で過ごした。目覚ましをかけずに寝たのはいつぶりなのだろう。(一瞬ヒヤッとしたけれど、お腹をこわしただけなので明日にでも治っていると思う。念のため熱を計ったけれど、35.8度だった。) ここのところ最近はPC漬けの日々で、今朝は流石に開けるのをためらったので、代わりに本棚を眺めていた。(机の上には、置き場所を失った読みかけか、未開封の本が15冊ほど積み重なってい

寝る前のメモ。

導かれるように、というと大げさかもしれないけれど、PC越しに入ってくる夕日がとても眩しくて、なんだか「今すぐ霧のテラスに行かねば・・!」と駆り立てられるものがあった。 水の張った田んぼが水鏡になっていて、夕日が反射して、それはそれは美しい光景だった。ここにくると、もう何も要らないと思えてくるので不思議。 このテラスは、自宅(オフィス)から車で10分ほどのぼったところにある。前に訪れたのは2月末だったかな。no-muに滞在しているアーティストたちと一緒に、テラス → Bla

寝る前のメモ。

人口増加とともに土地が切り開かれ、人々が至るところに住み始めてからしばらくが経った。育ってきた環境(家族構成・価値観・友人)と土地の特徴(立地・地形・歴史・利便性・・)は、思考回路の形成におおいに関係があるけれど、同じ土地に長く住み続けながらも、価値観が固定化されない方法はあるのだろうか。 こんな書き出しをすると、価値観が固定化されるのは良くないことだという前提で書いているようだけれど、決してそうではなくて。人々の生活においてあちらこちらで生じている「ちがい」をどのように受

寝る前のメモ。

はじめてのことなのに、こんなにも高揚感を覚えるのは何故なのだろう。走りはじめたことに不安がないわけではないけれど、いまだ!と思えるタイミングだったことは間違いなくて。根拠のない自信だとしても、この数年間考えていたことで、はじめていまだ!と思えたから。 - 行政が引いた境界にこだわり続けるつもりはないけれど、わたしが地元に特化している理由は、大人から子どもまで「このまち=〇〇がある」という共通の言葉を、何かひとつ共有できればいいなと思っているから。それは、ランドマークとなる

寝る前のメモ。

働きはじめた頃だったか、「アンナだったらどういう人とチームを組む?」と聞かれたことがある。そのときは、「興味関心が近しい人よりも、得意や専門が異なる人と組む」という返答をしたと記憶していて。 学生時にはじめて取り組んだ観光プランコンテストも、自分と後輩以外にデザインを学ぶ学生、建築部の学生、農学部の学生を交えてチームをつくっていたし、異なる視点をもつ人たちと取り組むことで、ひとりではたどり着けないところまで到達できた。(思えば、あの頃にラジオ形式でプレゼンをしていたのも、「

寝る前のメモ。

過去と未来に捉われてはいけない、というのは二千五百年前にお釈迦さまがおっしゃったことで。 (中略) 西洋の近代合理主義は、過去と未来という時間の流れの中で現在を考えるでしょう。でも、それっと本当なの?って、すごく気になるんですよね。というのは、いろんな人を見てきても、目の前のことを忘れている人が多すぎるから。今、みんなそれで悩んでいますよ。人生は本来、ケ・セラ・セラ。明日のことなどわからないはずなのに、みんな過去にとらわれ、未来のことを考えている。 鈴木敏夫著『禅とジブリ

寝る前のメモ。

この1枚に描かれているものを見て、ピンとくる方はほとんどいないと思う。けれど、わたしにとってはすごく特別で、幾重にも重なる記憶をもう一度思い起こさせてくれる。 言葉では説明しきれないなにかが、きちんとここに存在するだけで救われた気持ちになる。さまざまな感情が一度に押し寄せてくることもあるのだけれど、この絵がある限り、ここから何度でもがんばれるのだと思う。 これだけ目にさせていただきながらも、わたしにはアートやクラフトがわからない。すこしでもわかりたいと思っているし、その源

寝る前のメモ。

普段から感覚的に話しがちなのですが、最近はそれが一段と加速しているような気さえする。この環境下で新たに考えたこと、進めようとしていることは、その間にあるはずの細かいロジックをすっ飛ばして「感情」を優先してやっているので、だれかに突っ込まれながら「考え」を組み立てていくというおもしろい日々。自分の発言なのに、そういうことか!と発見しながら話している。 同時に、上手く話せなくて申し訳ない気持ちもあるのだけれど、だからこうして書くようにしている。明日はもうすこし上手に話せるように

マイクロツーリズム?違うでしょう?CPH「観光の終焉」から日本の観光を考える。日本型「観光」は、もう終わらせませんか?

コロナでほとんどすべての業界に歪みを起こしています。少し前まで、日本はオリンピックまであと数ヶ月、どこもインバウンド熱気でいっぱいでした。その反動もあって、最近は「観光」を扱うニュースが多いように思います。 以前、上のようなnoteを書いたことがありました。コロナが起きた今こそここで立ち止まって、完全コンテンツ型の日本の観光も舵を切るべきだ!という確信と共に、そうなる兆しが生まれるといいなと少し希望を持っていました。 ところが、テレビで特集されるのは、地方のお客さんが来な

寝る前のメモ。

取材やイベントで、地方にある中小企業の社長さんのお話を伺うことがあるのだけれど、そろそろプロジェクトベースで地元に関わる以上のことをやっていけたらいいなと思っている。 身の丈にあっているかどうかなんて、考えるだけ無駄なのはわかっているけれど、踏み切れないのは覚悟の問題なのかしら。舐めてはいけないけれど、シリアスに考えすぎてもいけない気がするので、上半期はひとつ小さな事業をつくることを目標にしたい。 今年はなかなか遠方への移動が難しくなるので、できた時間をとことん自分に向け

近況と雑感

えらいことになってから、随分と月日が過ぎたような気もするけど、カレンダー見てみると、まぁ大して時間は経っていない。 生活や仕事はこの2ヶ月ほどで大きく変わったと言えば変わった部分もあるけど、私自身は大して変わってない。いわゆる外出自粛している他は、ライブやイベント、興行の仕事が無くなったことと、会社の行く先や近しいスタッフや音楽家たち、ライブハウスの人たちなんかのこれからの生活のことを案じていることくらい。 コレをきっかけに大切なことに気づいた、とか、今出来ないことをとて

寝る前のメモ。

「速い」ことが良しとされる時代に「待つ」という時間をポジティブに認識してもらえる方法って何だろう。そこにどんな要素があれば、人は「待ちたく」なるのだろう。少なくともここ数日はそんなことを考えている。 そんなことを考えていると、不思議なことに遠くに住んでいる友人からメッセージが届く。イギリスからは友人のピースフルなライブ映像が。タイからは「元気にしてる?」というカジュアルなメッセージが。たとえそこに距離や時差があったとしても、そんなことは関係ないのだと感じさせてくれる。 い

寝る前のメモ。

先日、『いま、身近な風景を旅してみる。自分たちの住むまちを再発見するための「マイクロツーリズム」という提案。』というnoteを投稿してから、「ツーリズム」そのものの意義について改めて考えている。 「観光」について、大学の授業では “地域の光を観に行く” という風に習ったのだけれど(もちろんそれも大切な要素であることは変わらない)、なんとなくそこに違和感があって。おそらくその頃に感じていたのは、「大型バスで観光名所に乗り付けてお土産屋さんに寄る」という決められたパッケージツア

寝る前のメモ。

日付は超えてしまいましたが、5月16日は、松尾芭蕉が奥の細道に旅立った日を記念して「旅の日」に制定されているそうです。  昔の人のようにかわいい子に旅をさせて何かを学ばせるということもない。行けば何かためにあることはあるかもしれないが、そのために旅をする人は少ないだろう。だいたいそんな目的のために出掛けるのは旅とはいわない。用事で出掛けただけだ。  旅には不確定な要素があって、少しばかり怪しげなところが必要だ。  様々なところへ出掛けた。数え切れない程多くの村や町へ行った。