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寝る前のメモ。


人口増加とともに土地が切り開かれ、人々が至るところに住み始めてからしばらくが経った。育ってきた環境(家族構成・価値観・友人)と土地の特徴(立地・地形・歴史・利便性・・)は、思考回路の形成におおいに関係があるけれど、同じ土地に長く住み続けながらも、価値観が固定化されない方法はあるのだろうか。

こんな書き出しをすると、価値観が固定化されるのは良くないことだという前提で書いているようだけれど、決してそうではなくて。人々の生活においてあちらこちらで生じている「ちがい」をどのように受けとめていくのがいいか、あるいは、受け流すのがいいか。今日の午前に話していた「川」と「まちづくり」の発展でそんなことを考えている。

アダプティブな土壌を、ソフト面・ハード面でどうつくっていくのか。ビートルズの名曲「Let it be」の精神(?)を、土地に注いでいくとすれば、どういうやり方がいいのだろうか。

それだけがすべてではないけれど、そういった「こころ」を育むことができるポテンシャルがここにあるとすれば、そのことを発見して理解していくことが、シビックプライドの醸成につながると思っていて。地形や歴史との関わりを紐解くことからはじまり、今にたどり着くまでのグラデーションを時間軸とともに案内できたら、割とおもしろい地元発見ツアーになるのではないかと、ひとりでワクワクしている。自分たちがおもしろいと感じられたら、それはきっと外から来る人にとってもおもしろい。


自分の住むまちにおいて、土着的に生きてきた人と移住してきた人の割合はわからない。けれど、この4年間どちらの人とも関わる仕事をしてきたなかで、さまざまな価値観に触れたことは事実で。共感するものも、理解できるものも、納得できないことも、相容れないものもあるなかで、どこを見据えていれば、そういうものを「ちがい」として受け入れることができるのだろうか。スポット的な議論ではなく、もうすこし遠くを眺めながら、私はそんな話がしたい。

言いたいことは全くまとまらないけれど、人口減少とともに空き家が増え、人々の暮らしが限定的になるなかで、自然界にある多様さに力を貸してもらいながら、人間自身がもっと多様に暮らすようになり、ひとりひとりの「ちがい」を受け入れることはできないかしら、なんて考えているところです。

正解なんてどこにもないので、自分たちのまちのスタンダードを自分たちでつくりたい。


全く締まらずに終わったな(笑)。

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