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寝る前のメモ。


この1枚に描かれているものを見て、ピンとくる方はほとんどいないと思う。けれど、わたしにとってはすごく特別で、幾重にも重なる記憶をもう一度思い起こさせてくれる。

言葉では説明しきれないなにかが、きちんとここに存在するだけで救われた気持ちになる。さまざまな感情が一度に押し寄せてくることもあるのだけれど、この絵がある限り、ここから何度でもがんばれるのだと思う。


これだけ目にさせていただきながらも、わたしにはアートやクラフトがわからない。すこしでもわかりたいと思っているし、その源流に触れたい気持ちはあるけれど、わたしは子どものようにそれらを楽しむことしかできない。どこまで突き詰めても、優れたつくり手になることはない。つくり手のお話を聞いても、その背景やプロセスは凡人の想像の域を簡単に超えていってしまう。

けれど、人の手によってつくられたものを見て感動し、ある日は楽しみ、ある日は励まされるという気持ちを、自分以外の誰かに伝えることはできる。ものが溢れる時代に、ものをつくり出す人たちのことをもっと伝えたいし、つくられたものを通して享受できることも伝えたい。


以前も書いたかもしれないけれど、自分の住むまちの豊かさについて、新たに基準がつくれるのだとすれば、わたしはつくり手との近さをあげると思う。自然豊かな環境であることは間違いないのだけれど、それは要素の一つでしかなく、まちの規模に対して “つくり手が多い” ということが、この土地の心地よさを形成していると思う。

つくり手は本当に多いのか、単純に知り合いが増えただけなのか、その辺りについてはもう少し精査が必要だけれど。それでも、なにかがほしいと思ったときに、プロダクトではなく人の顔が思い浮かぶので、わたしはそこに心地よさを感じているのだと思う。義務感も使命感もなく “いいものはいい” ということを、身のまわりの人たちが証明してくれている。

それでいてちゃんと、選べる自由もある。

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